用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

航空自衛隊 三菱T-2の展示機

<編集経緯> 21Aug.2018Mixiにて公開、21Feb.2019はてなBlog公開、19Nov.2023見直し更新(第20回目、見直し実施)

 

【概要】

 三菱重工(株)製の高等練習機T-2はプロトタイプ4機(101-104)、F-1プロトタイプことT-2特別仕様機が2機(106、107)、前期型28機(105、108-124、147-156)、レーダー/FCSと20mm機関砲を搭載した後期型62機(125-146、157-196)の合計96機が生産された。大部分の機体は松島基地で教育訓練用に使用されたが、F-1使用部隊でも若干数が使用された。初代アグレッサー部隊使用機、ブルーインパルス使用機でもある。

 試作機や改造機を含めて96機のT-2のうち、8機(112, 122, 135, 147, 167, 171, 172, 174)が事故等で抹消されており、現存するのは自衛隊基地等に8機、民間施等に12機の計20機だ(機首部分だけのものを含む)。生産機に対する展示機となった機体の割合は機首部分の展示を含めて20機/96機×100 = 20.8%でありまする。 

 なお運用期間中の一時期(1980年代頃)には、部隊によっては識別のために前期型をT-2A、後期型をT-2Bと称しており、基地祭時の機体紹介用の看板に「T-2A/B」と書かれていたことがある。このことが海外に伝わった結果、海外文献上で”T-2A/B”という表記となっている場合がある。また”Zenkigata”から”T-2Z”、”Koukigata”から”T-2K”と記載していた例もある。このため海外文献を参照する際には正しい情報を文脈とシリアルナンバーから読み取ってほしい。

【FS-T2改あるいはT-2特別仕様機】

 T-2「特別仕様機」(106号機と107号機)は開発時の呼称(のちに”F-1”となる支援戦闘機開発プロジェクトにおける機体の呼称)である「FS-T2改」とする場合がある。現在入手可能な資料として「世界の傑作機 三菱T-2」(文林堂)があるが、この本のp.43下段には”本書内では以降「FS-T2改」で統一”との注記がある。あくまで個人的な見解だが、次のように使い分けることが適切かと考える。すなわち;

・「FS-T2改」:開発プロジェクト上の開発目標である「理想とする完成形態」の名称であり、開発プロジェクト実施期間中に将来の配備・運用計画(国防計画など)を記述する場合やプロジェクト終了に際して報告書としてまとめられた「あるべき支援戦闘機」の仕様として、その文書上で指し示す場合に使われた。公式文書中に「支援戦闘機(FS-T2改)」という記述が存在している。現在の視点から見た場合には「当時はFS-T2改(のちのF-1)の開発が行われた」でよいだろう。

・「T-2特別仕様機」:「FS-T2改開発プロジェクト」を実施する際に造られた試作評価機のこと。「FS-T2改」がプロジェクト上の「書類上の公式名称」(上述の通り、開発過程において目標とする仕様・形態や開発中の期間に作成された国防計画記載名称)であるのに対し、こちらは「実物」である#106号機と#107号機のことを指す。文書で書くならば「2機のT-2特別仕様機を用いてFS-T2改(のちのF-1)の開発が行われた」という形になるだろう。開発・評価中の現場では「FS-T2改を造っている」という気構えがあったハズだから、これら2機のことを日常的に「FS-T2改」と呼んでいたかもしれない。

 開発プロジェクトが終了し、「報告書に記されたFS-T2改の仕様」が「F-1として部隊使用承認」されたあとの#106号機と#107号機は(時系列的にみて既にFS-T2改というものは存在しなくなっているため)「T-2特別仕様機」と表記する方が良いと考えている。

 なおプラモデルの箱に「FS-T2改」と記されていても、それ自体が販促用の宣伝文句と認識しているので気にしないというのが私の立場だ。また「T-2特別仕様機の#107号の初飛行日」をもって「F-1の初飛行日」とする記事が存在するが、開発経緯を考えていない戯言だと思っている。ただし#106号機と#107号機が「F-1のプロトタイプ/試作評価機」であることは間違いはない。

【雑談】三菱F-1の初飛行日は1977年6月16日 - 用廃機ハンターが行く!

 f:id:Unikun:20190323100353j:plain

写真1 新田原基地祭時にエプロンに展示された保存機。現在は基地内の保存展示機エリアに展示されている。(2011年12月04日撮影)

 

【各基地での基地運用実績と展示機の状況】

 過去にT-2を運用していたのは三沢、松島、岐阜、築城、新田原の五基地だ。運用していた部隊と各基地での展示状況の確認をしておこう。

(1)三沢基地:第3飛行隊、第8飛行隊にて運用。現在、基地内にT-2の展示機はないが隣接する青森県立航空科学館に通常機(105号機)とブルーインパルス使用機(177号機)の2機が展示されている。通常機はかつては基地内に展示されていた機体だ。

(2)  松島基地:第21飛行隊(戦技研究班含む)、第22飛行隊で運用していた。広報用展示機(通常機192号機)、ブルーインパルス使用機(保存指定機176号機)のほか、救助訓練に使われる141号機のコクピット部分が敷地内に残されている。

(3)  岐阜基地:実験航空隊/航空実験団/飛行開発実験団にて開発時の飛行試験や搭載物の適合試験等を実施した。基地内にF-1プロトタイプとなるT-2特別仕様機の2番機(107号機)が展示されている。2023年7月ごろには航空実験団司令室(?)に102号機の垂直尾翼が置かれていたが、同年11月の航空祭時にはハンガー内に移されていた。また広報館内には104号機の計器盤が残されている。

(4)  築城基地:第6飛行隊、飛行教導隊(1981-1983)にて運用していたが、現在の基地内にはT-2の機体は残されていない。

(5)  新田原基地築城基地から移転した飛行教導隊が1983年から1990年にかけて運用していた。通常塗装機であった196号機(最終号機)に対して飛行教導隊機の当時の塗装と当時のシリアルナンバー(127号機)を記載して展示している。

(6) 浜松基地第一術科学校での整備員教育にはF-1が用いられていたため、T-2を保有したことは無いが、隣接する浜松広報館にて元ブルーインパルス所属機(111号機)が展示されている。また用廃となった114号機の前部胴体がシミュレーターとして利用されている。

(7) 小牧基地では隣接する三菱重工業にて機体の製造とIRAN(定期点検修理)が行われていたため、全てのT-2を見ることができた。これらは基地所属機ではないため、小牧基地内にはT-2の展示機は存在しない。三菱重工敷地内に初号機である101号機が展示されており、外周道路から見ることができる。 

f:id:Unikun:20190901114551j:plain

写真2 松島基地で救助訓練に使用されている141号機の機首部分。(2019年8月25日撮影)

 

自衛隊基地での展示機】

 自衛隊基地・施設に展示されているT-2について、おおむね北方から南方への順で展示場所を列挙する。

(1) 59-5192 宮城県 松島基地

(2) 29-5176 宮城県 松島基地 BI機 保存指定航空機

(3) 79-5141 宮城県 松島基地 前部胴体のみを救出訓練用に使用

(4) 29-5175 茨城県 百里基地 BI機

(5) 59-5114 静岡県 広報館 コクピット部分をフライトシミュレーターに転用

(6) 86-5111 静岡県 広報館 BI機  保存指定航空機

(7) 59-5107 岐阜県 岐阜基地 2006年3月2日ラストフライト後、格納庫保管。2017年2月20日より屋外展示

(8) 89-5196 宮崎県 新田原基地 T-2最終号機。かつてのアグレッサー塗装とし、当時の機番である”69-5127”に書き換えて展示

写真3 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館のT-2CCV実験機。厳密にいうなら「T-2CCV実験機」は単座で後席には測定機器を搭載していた。本機は一連の試験が終了したのち、測定機器を降ろして複座仕様に戻したうえでTPC等で使用していた「”元”T-2CCV実験機」ということになる。(2019年11月11日撮影) 

 

f:id:Unikun:20190715200008j:plain

写真4 浜松広報館でシミュレーターとして利用されている114号機の機首部分。(2019年4月20日撮影)

 
【 公共施設・民間等にある展示機・教材機】

 次いで博物館や公園等の公共施設、民間施設に展示された機体を確認してみよう。教育用に使用されているのは帝京大学保有の一機のみだ。国産の超音速機であるが、航空機の構造・整備教育には従来から貸与していたT-6/F-86/F-104で十分であったということだろうか。Old Car Center KUDAN および山梨県の個人宅に展示されている前部胴体は防衛省の貸与機ではなく、スクラップとなった機体の一部を引取り、再生したものと思われる。

f:id:Unikun:20191114142819j:plain

写真5 三菱重工(株)小牧南工場のT-2初号機。現在は移設されていて、この写真の場所にはない。(2019年11月9日15時半ごろ撮影)

 

f:id:Unikun:20190822233618j:plain

写真6 山梨県南巨摩郡身延町遅沢にある個人所有機(2019年08月20日撮影)

 

【民間施設での展示機・教材機】

こちらもおおむね北方から南方への順で展示機を列挙する。
(1) 59-5105 青森県 県立三沢航空科学館、無償貸付機*1、元は三沢基地内展示機 
(2) 29-5177 青森県 県立三沢航空科学館、無償貸付機*1、BI機、タンク付き、ランチャー無し。
(3) 69-5125 青森県 芦野公園、無償貸付機*1、元は第4航空団第21飛行隊所属機
(4) 69-5128 宮城県 JR鹿妻駅前無償貸付機*1、BI機
(5) 59-5115 福島県 Old Car Center KUDAN 前部胴体のみ、2018年10月28日訪問者によると別所に保管中で非公開とのこと
(6) 79-5193 栃木県 宇都宮市 帝京大学、無償貸付機*1、 
(7) 79-5146 山梨県 個人宅 前部胴体のみ
(8) 19-5101 愛知県 三菱重工(株)小牧南工場、無償貸付機*1、生産初号機
(9) 29-5103 岐阜県 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館、CCV機、保存指定航空機 
(10) 19-5173 岐阜県 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館無償貸付機*1、 BI機
(11) 99-5163 石川県 小松市航空プラザ、無償貸付機*1、 BI機(BI→ADTW所属後に展示)
(12) 69-5126 香川県 高山航空公園、無償貸付機*1、元第6飛行隊所属機  

*1 Jウイング誌2021年8月号付録より

f:id:Unikun:20190317101359j:plain

写真7 青森県芦野公園に展示されている第21飛行隊マークを付けたT-2。(2010年01月24日撮影)

 

f:id:Unikun:20210801161532j:plain 

 写真8 高山航空公園のT-2は第6飛行隊のマークを付けている。(2020年4月5日撮影)

 

【展示後に撤去された機体】

一度は展示されたものの、その後に撤去された機体が3機存在する。

(1) 29-5102 岐阜基地内に塗装を落としたモニュメントとして設置していたが2021年3月に解体・撤去された。垂直尾翼のみは解体前に取り外されており、2023年7月10日時点では(恐らく)団司令室(調度品が良い部屋ネ)の応接セット脇に置かれていた。よくもこんなところに置いたなぁ!と思っていたが、同年11月の航空祭時にはハンガー内に移されていた。予算がつけばモニュメントとなるものと考えている。

(2) 59-5109 松島基地展示後、撤去 。津波被害ではなく、老朽化が原因らしい。

(3) 89-5151 茨城県鹿嶋市小鹿幼稚園に展示後、2018年5月16日以降2019年1月5日以前に撤去。機体は廃棄されたのか、次の展示のためにどこかの基地の片隅に保管されているのかは不明(個人的には廃棄されたものと考えている)。

f:id:Unikun:20190727062712j:plain 

写真9 ”開発・評価はゼロからスタートする”という気持ちが込められて塗装を落として岐阜基地内に展示されていた102号機だが2021年3月に解体・撤去された。垂直尾翼のみが残されている。(2016年10月30日撮影)。

 

【余談】

 栃木県宇都宮市帝京大学宇都宮キャンパスにあるT-2は、機体構造理解の教育に使われているため、各アクセスパネルを開いた状態で屋内に置かれている。このため学生に限らず、見学に訪問した一般客も搭載機器をジックリと眺めることができる。お薦めの機体だ。

写真10 帝京大学宇都宮キャンパスの機体の機首部右側にある疲労度積算計。アグレッサー所属機の主翼破断事案以降に取付けられたもので-2~+7Gの荷重が何回機体にかかったかを記録している。T-2運用の歴史の中で主翼破断という事故があったことと、その対応の一部を理解することができれば幸いだ。(2022年11月5日撮影)

 

【おまけ】

T-2の前期型は浜松広報館のブルーインパルス機と三沢航空科学館の量産初号機を除いて残されていない。記録として現役時代の画像を一枚張り付けておく。

写真11 松島基地にて撮影した第22飛行隊のT-2前期型。(撮影日詳細は記録紛失のため不明。1984年2月プラスマイナス2年ごろに撮影したものだ)

以上