<編集履歴> 02Mar.2021公開、28Aug.2024見直し更新(第8回目、F-2B 110号機の尾翼モニュメント写真追加)
<場所 Place> 〒981-0503 宮城県東松島市矢本板取85
<訪問日Visit> 25Aug.2019, 27Aug.2023, 25Aug.2024ほか
<行き方 Access>
(1) 正門まではJR仙石線矢本駅から約2.1km、徒歩約30分、タクシーで数分。基地祭開催時には駅から700mほどの基地北端にある臨時ゲートから入門できるが、航空機展示会場まではさらに約850m歩く。
<解説General>
(1) 第4航空団の基地。第11飛行隊「ブルーインパルス(B.I.と略す)」の基地として有名で、SNS上で松島基地の状況を確認しようとするとB.I.しか出てこないこともあるが、部隊規模からいえばF-2Bによるパイロット養成基地の方がメインだ。松島救難隊も所属している。航空祭は例年8月最終週末に行われている。(2020、2021年は新型コロナウイルス感染防止のため中止)
(2) 基地正門奥にF-86F、F-104J、T-2の3機の展示機があるほか、B.I.ハンガー内にT-2B.I.機が保管されている。また基地公開時には尾翼モニュメントや救出訓練用のT-2の機首部などを見ることができる。
【展示機】
1. T-2 (59-5192、38.4126N, 141.2239E) 松島基地に展示された二代目のT-2で2008年8月の航空祭が一般初公開となった。初代展示機の59-5109(前期型)は廃棄された。
写真1-1, 1-2 松島基地のT-2とF-86F。T-2の主翼下の日陰や周辺の芝生の上でお弁当を広げる人も多いので、航空祭時に人を入れない写真を撮るのは不可能に近い。(1-1: 2023年7月27日、1-2: 2019年8月25日撮影)
2. F-86F (82-7789、38.4125N, 141.2240E) 国土地理院の航空写真閲覧サービスの写真より、1975年11月26日以降、1981年7月8日までの間に設置された。ヒコーキ雲さんに投稿されている1982年7月撮影の写真以降には垂直尾翼に"”9”2-7789"と書かれているが、このSNは存在しない。""8"2-7789"が正しい番号だ。なおヒコーキ雲さんでは本機は”92-7889”ではないかとの説を紹介しているが、889号機はアメリカに返還されQF-86Fに改造され後に撃墜抹消されている。ただし当時は返還機の数合わせのために機体SNの書換えはよく行われていたので「本当の889号機はコチラ」ということも有り得る話だ。なお789号機は1978年3月31日に第4航空団第5飛行隊にて用廃、889号機は1981年12月に第8航空団第6飛行隊で用廃となっている(航空情報別冊セイバースペシャルより。ヒコーキ雲さんでは1976年6月8日付第8航空団10飛行隊で用廃となったされており、用廃時期に5年間の誤差がある)こと、上述の航空写真への出現時期と九州で使用していた機体をわざわざ松島に持ってきて展示するとは思えないことから、本Blogでは”82-7789”号機としておく。現在では尾翼に第7飛行隊のマーク(青地で4を表したもの)が記入されている。また震災後には左側の機首先端部に津波到達ラインが追加で(テプラで)表示されているが、2019年の航空祭時にはシールの一部が剥がれていた。このマーキングだけは、しっかりと後世に残してほしいと思う(たとえ形だけでも良いので航空祭前日には見直し、剥がれかけていたら直して、航空祭当日にはしっかりとした表示にして見学者に見えるようにしておいていただきたいと、強く希望する)。
写真2-1, 2-2 垂直尾翼に"92-7789”と記された"82-7789"号機。機首部には東日本大震災時の津波到達ラインが表示されているが、この状況を見ると「あの時の記憶も風化したな」と感じる。(2019年8月25日撮影)
※2021年6月17日に行われた准曹士会による本機清掃の映像を公式Twitterで見たところ、この表示は元通りに修正されていました。また2023年8月27日の航空祭時にも確認しています。表示が消えかけたままで航空祭を迎えることが無いよう、あえて剥がれかけた表示の写真を掲示し続けます。
3. F-104J (36-8535、38.4125N, 141.2236E) 20mm砲口は塞がれている。第203飛行隊のマークを記入している。新田原基地にも”36-8535”号機が展示されているが、こちらはニセモノであり(本機の本当のS/Nは46-8656)、当基地の”36-8535”号機がホンモノだ。
写真3-1, 3-2 松島基地のF-104J。(上:2023年8月27日、下:2019年8月25日撮影)
4. T-2 (29-5176) 先代B.I.の使用機が格納庫内に保管されている。航空自衛隊の保存指定機だ。津波による被害を受けたが修復された。 右エンジン排気口にあったスモークパイプは取り外されている。
写真4-1,4-2 B.I.ハンガー内に保管されているT-2B.I.。(4-1: 2019年8月25日、4-2: 2023年7月27日撮影)
5. T-4B.I. (26-5804、38.4118N, 141.2236E) 第11飛行隊隊舎前には津波被害を受け廃棄された機体の垂直尾翼がモニュメントとして設置されている。震災発災時、B.I.は九州に展開しており、難を逃れている。
写真5 モニュメントとなったT-4B.I.の26-5804号機の尾翼。(2019年8月25日撮影)
6. T-4B.I. (46-5725) こちらは用廃となった元B.I.の機体の垂直尾翼を台車の上に設置し、各種イベントでの広報展示用にできるようにしたもの。基地公開の際に見ることができる。各地のイベントに展示する際にはこの垂直尾翼と射出座席、そしてエンジンをワンセットにして展示しているようだ。
写真6 基地公開時に展示されるT-4B.I.の垂直尾翼(2019年8月25日撮影)
7. F-2B (23-8110) 2011年3月11日に発災した東日本大震災の際に、津波被害を受けて用廃となった23-8110号機の最終飛行は被災前日の2011年3月10日、総飛行時間は1850.0時間であった(2024年8月展示時の解説より)。被災後の機体から前席コクピット部分を切取り、学生教育用のコクピットトレーナーを作成した。その備品シール記載情報によると、供用開始は2015年4月3日で、価格はわずか20,000円(!)とのことだ。航空祭では2018年以降に展示されており(2015~2017年度の航空祭で展示されていたという写真記録をみつけていない)、2019年公開時にはコクピット内部の写真撮影はできなかったが、2023年公開時には自由に撮影できるようになっていた。
また2024年度に入ってからは、残されていた垂直尾翼部分(ドラッグシュート格納部を含む)を使ったモニュメント(移動式)を製作した(2024年8月25日の基地祭にて一般初公開)。ラダーは無くなっていたので自作したが、垂直安定板とドラッグシュート格納部は実機のものだという。展示解説担当者の話によると、2024年8月の時点において、基地内には当時のことを知る者がほとんど残っていないという。このため当時の記録を後世に遺し、かつ広報用として活用することを目的として製作したのだそうな。
写真7-1 津波被害により用廃となったF-2Bの110号機の前席コクピット部分は、学生用教材として利用されている。(2023年8月27日撮影)
写真7-2 上記と同じF-2B (110号機)の垂直尾翼を利用したモニュメントは、2024年度になってから製作された。尾翼上部の衝突防止灯が点灯する。(2024年8月25日撮影)
8. T-2 (79-5141、38.4105N, 141.2103E) 基地北西部には震災以前からパイロット救出訓練に使われているT-2の機首部がある。基地公開時にはエプロンから見ることができるが、かなり遠い。外周からは松の木と雑草の間からかろうじて見ることができる。2024年8月の基地祭時にも確認することができた。
写真8 乗員救出訓練に使われているT-2の機首部。エプロンからはかなり遠い場所にあるので、原画をオニのようにトリミングしている。(2019年8月25日撮影)
9. T-6G (52-0129、38.4093N, 141.2116E) 52-0080と記入された元広報展示機。2023年8月末にSNの書き換え事案について疑義が生じ、”52-0129”号機であることの証拠(エビデンス)をネット上で探したが見つからなかった。ここで変更してしまうと「52-0129」説は完全に消し去られてしまうので、今しばらくの間、本Blogでは52-0129号機説を続けることにする(次に新橋の航空図書館に行く機会があれば、JARGのシリアル本を確認してみたいと思っている)。全国各地にあるT-6展示機の中では比較的外観の状態の良い機体であったが、2017年ごろの台風の際に勝手に動き出して破損したため展示エリアから管制塔近くに移設され、放置されている 。そのうち撤去されると思っているが2024年8月25日の航空祭時にも確認することができた。
写真9 管制塔近くには台風の際に破損した元展示機52-0129(52-0080と記載)が放置されている。(2019年8月25日撮影)
以上