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【雑談】三菱F-1の初飛行日は1977年6月16日

<編集履歴> 05Jun2023公開、25Jul.2023見直し更新(第3回目、字句表現等の見直し実施)

 

 先日、「三菱F-1の初飛行は1975年6月3日」とするネットニュースが配信された。

 はぁ?何を言っているのだ?F-1初号機の初飛行は「1977年6月16日」だ。

 記事で書かれた「1975年6月3日」というのは「支援戦闘機FS-T2改」を開発するプロジェクト用に製造したT-2特別仕様機(59-5107号機)の初飛行日のことではないか。

写真1 入間基地にへのフェリーフライトをもって用廃となったF-1初号機。現在は修武台記念館内に保管されている。私自身は修武台にある機体の写真を撮影しているもののSNS公開不可という条件の下での撮影であったため、残念ながら皆様にはお見せすることはできない。そこで用廃後の基地祭で展示された際のものを張り付けておく。(2007年11月3日撮影)

 

 「FS-T2改」や「T-2特別仕様機」の名称の使いかた関する解釈の仕方は幾通りかあるかとは思うが、私自身は次のように考えている。 

 すなわち「支援戦闘機FS-T2改開発プロジェクト」において、T-2の量産2号機(#106)と3号機(#107)を改造した「T-2特別仕様機」を用いて各種搭載機器や設計仕様の検証など開発評価した結果、プロジェクトの最終目標である「FS-T2改」の仕様が決定し、報告書としてまとめられた(ここでプロジェクトの成果として”FS-T2改とはこういうものですよ”という仕様の詳細が決定したワケだ)。

 この結果(報告書の内容)の妥当性が審議され、「(これまでプロジェクト上で「FS-T2改」と呼んでいた)この仕様の機体を「F-1」として部隊で使用する」という部隊使用承認が下りたのは1976年11月12日。ここで初めて「F-1」という名前が誕生するのである。開発当時の担当者が知ることができなかった未来のことを、後世の者が現在の視線で語るのは、いわば”神の目”でながめている状態だ。その目をもってして、なお「製造当時は先の見えなかった評価試験機(T-2の106号機、107号機のこと)」と「F-1という名称が決定したあとの量産仕様機(F-1の201-277号機)」を混同して記載/紹介するのはいかがなものか思う。さらにいうなら空力的にT-2/F-1の姿を完成させたXT-2(主に#101)のことは「F-1のグリーンエアクラフト(F-1としての装備を持たない空力的評価試験機)」とでも呼ぶのだろうか。(注:F-1はT-2から基本的な機体構造を変えていない。FCS等の搭載機器を変えただけだ)

写真2 岐阜基地に展示されているT-2特別仕様機。2機造られた特別仕様機だが、107号機の方が若干早い1975年6月3日に初飛行を行い、続いて7日に#106号機が初飛行を行った。装備の点でも「#106号機よりF-1に近い装備(当時としてはより最新の装備)の評価」に使われたので「ほぼF-1」という関係者もいる。(2022年11月13日撮影)

 

 さて三菱F-1のS/Nは70-8201~70-8277。その数字が示す通り、77機が製造されている。一方で上述記事では「T-2特別仕様機」の初飛行日を「F-1の初飛行日」としているにもかかわらず、最後の方では「F-1は77機製造された」と記載している(注:2023年6月5日21時50分確認時には”約80機”に変更されていた)。1975年6月3日に「初飛行したF-1」があるのならば「F-1は79機(= 2機+77機)製造された」と書くべきだろうが、2機の「F-1と称するT-2特別仕様機」のことを考慮していない。ついでに書くとT-2の製造機数は96機だ。「T-2特別仕様機」を「F-1」とするのならば、こちらも製造機数は「94機(=96機-2機)」とするべきだろう。

 さらにコメントをいただいたことでもあるが、国有財産台帳の上では「T-2特別仕様機」はあくまで「96機生産されたT-2のうちの2機」であり、「F-1」の製造数はあくまで「77機」だ。各自で過去の防衛白書等で確認してみよう。また航空自衛隊の場合には、機体種別が変更されればシリアンルナンバーのハイフン直後の数字が変更される。このルールはF-86FをRF-86Fに改造した時やF-4EJをRF-4EJに改造した時に見られるが、「T-2特別仕様機」のハイフン直後の数字は初飛行から用廃になるまで一貫して「5(練習機)」であり、「8(戦闘機)」に変えられたことはない。

 すなわち公的資料の全てが「T-2特別仕様機」は「F-1」ではないことを示しているのだな。

 

 結局のところ、記事を書いた本人自身が「T-2特別仕様機」をF-1とはみなしていないが「記事を書くため」に「T-2特別仕様機」を「F-1」とこじつけた結果ではないだろうか。そうでなければ何故F-1の生産機数を「77機(後に約80機と変更)」としたのか、またT-2の生産機数を「96機」としていることに言及していないのか、その理由を明確に記載するべきだろう。現状では矛盾点だらけの記事となっている。繰り返し述べるが「T-2特別仕様機(#106と#107)」の2機を「F-1」というのであれば、F-1の生産機は「79機(=77+2機)であり、T-2の生産機は94機(=96-2機)となる。またこの場合には上述の通りS/Nの変更や国有財産台帳の記載内容との違いをどのように説明するのだろうか。「T-2特別仕様機」を無理やり「F-1」と称することで、過去の文書や運用記録の全てにおいて矛盾が生じてくる。

 結論として「T-2特別仕様機」を「F-1」ということ自体がそもそも間違いということだ。

 

 ここで助け舟を出しておくと「6月3日はF-1の初飛行日」ではなく、「6月3日はF-1の原型となるT-2(59-5107号機)の初飛行日」あるいは「6月3日はF-1のプロトタイプというべきT-2特別仕様機(FS-T2改)の初飛行日」としておけば良いだけの話である。「F-1初号機の初飛行」はあくまで「1977年6月16日」だ。「三菱F-1の初飛行は1975年6月3日」に固執すると国産機であるにもかかわらず生産機数を「約80機」と正確な機数を記すことができないという結果を生む。上述の矛盾点を説明することもできない情けない記事となる。

 

 こういう底の浅い記事を書いて広める方の話は「私は」信用しない。

 なおライター氏が「商業的活動(すなわち食い扶持を稼ぐため)」として何を書き、また読者諸兄が何を信じるかは「私」の知ったこっちゃない。フィクションストーリーは世の中に沢山あるし、私自身SFは大好きだ。

しかし間違った歴史認識が広がることは徹底的に防ぐべきだと考える。

写真3 築城基地に展示されているF-1最終号機(77号機)。ただし2023年6月時点では展示場所(その他)整備工事のため、滑走路の反対側移転されていて見ることはできない。(2019年12月8日)

 

 最後に、ネット記事は出版物とは異なり後日の修正が可能だ。ネットニュースのコメント欄にて事実誤認/誤報/誤字などの指摘を投稿されたあとに、しれっと当該部分を修正しているのは日常茶飯事だろう。私自身も記事中の誤認を指摘したあとに元記事が更新されたため、逆に「何言ってんだコイツ」というコメントを新たな投稿者(彼は元記事の誤りを知らない)からいただいたことがある。

 2023年6月5日朝に閲覧した上述のネット配信記事は、上記の指摘が反映されて修正されるかもしれないし、修正されずに後世まで残るかもしれない。もし(私の考える)正しい認識に直されるのであれば、その時には本記事は役目を果たしたものと考える。

 特に航空専門雑誌に記事を執筆する方々には上述の「私の」認識が正しいと考えるのであれば記事が修正されるまでの間は「F-1初飛行は1975年6月3日」説を「徹底的に潰し」て、「歴史上の誤認識を一般読者の間に残さない」ような発言発信をしていただければ良いなぁと切に希望しています。一つの事象に対して異なる見解は数多くあっても構わないし、元ネタ記事が説明不足なのであれば言葉を補って修正すればよい。もちろん私自身の認識が間違っている(何言ってんだオマエ!寝言は寝て言え!)という話であっても構わない。私自身が自らの認識が間違っていたと認めた場合には、各位に謝罪のうえ、この記事を削除したいと考えています。

・本Blogでの関連記事:航空自衛隊 三菱F-1の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

以上