用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

このBlogについて

【このBlogについて】

 このBlogは主として東南アジアから極東の各国に展示されたり放置されている「飛べないヒコーキ」を訪ねる際のヒントを提供する場所として作成しました。

 また一部の国・地域では航空ショーの様子やスポッティングガイドも記載し、皆様が現地を訪問される際の一助となるようにしています。

紹介するのは「私自身が行ったコトのある場所」と「私自身が行って見たいと思う場所」です。ただし欧米の航空先進国のように整備され、ネット上に正規のHPを有するような博物館は「行くことができて当然」なので、あまり触れません。現地の人しか知らないような公園や店先など「おや、こんなトコロにも機体があった!」という場所の紹介が多いのは「ワタシの好み」ですね。

 自分自身や読者の皆様が現地に辿り着くための情報(あくまでヒント)を提供することに主眼を置いていますので、展示されている機体の由来や背景、機種解説や当該国での運用実績・エピソードなどは基本的には記載していません。これらの事項について、もっと詳しく知りたい方・訪問してからウンチクを語りたい方は別途ネットで検索を行って、そのスジのリサーチャーのHPなどを参照してください。 

 本Blogを読んだ皆様が「旅の途中でチョイと寄り道して見てみようか」という気が起きたら大成功だと思っています。 

  以上

<編集履歴>

30Jan.2019 公開

18Mar.2020 見直し更新(第5回目、字句修正・表現変更)

 

【航空自衛隊】 S-62は何型?

 航空自衛隊で1963-1983年の間に使用された救難ヘリコプターS-62。
コイツの形式はA型かJ型か?というのが今回のお題です。


 まずは話の発端となった今月号(2021年1月号No.817)の航空ファン誌を見てみましょう。「航空救難団 新田原救難隊」の記事p.14左上4行目には「S-62A」と記されています。また「航空救難、災害派遣に奔走した新田原救難隊の60年」記事中、p.54左のコラム下から8行目と5行目にも「S-62A」と記されていますね。これらの記事は恐らくは(新田原)救難航空隊の公式資料を元にして執筆されているものと考えるのですが、これまでの「ヒコーキマニアの一般常識」としては航空自衛隊に配備されたのは「S-62A」ではなく、「S-62J」ですよね。 

 

 すごく違和感を感じたので確認してみました。

まずは国内に3機が残る展示機の状況をチェック!

<浜松広報館展示機 53-4774>
 浜松広報館に展示されている機体のコクピット左側脇には「S-62 53-4774」と記されています。ここにA型かJ型かの形式は記入されていませんが、解説板には「S-62J」と記載されています。なお私自身は解説板の写真を撮っていませんが、ネット上に投稿されている画像から解説板の記載が「S-62J」であることを確認しています。

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写真1 浜松広報館のS-62は「J型」だ。(2018年8月13日撮影)

 

小牧基地展示機 53-4775>

 撮影時には機首左側に機種およびS/Nの記載はなかった。機体解説板には単に「S-62 救難ヘリコプター」としか書かれておらず、「形式不明」です。

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写真2 小牧基地正門脇のS-62は「形式不明」。(2008年10月4日撮影)

 

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写真3 解説板にも形式は書かれていない。(2016年3月13日撮影)

 

美保基地展示機 63-4776>
美保基地展示機前の看板には「S-62A」と記載されています。

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写真4 美保基地のS-62は「A型」。(2014年6月8日撮影)

 

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写真5 百聞は一見にしかず。解説板を拡大してみると「A型」だ。(2014年6月8日撮影)

 

続いていくつかのネット上の記載状況を確認してみましょう(2020年11月27日確認)。

<インターネット航空雑誌ヒコーキ雲さん>
国内の航空史に強い「ヒコーキ雲」ではS-62は取り上げられていません。

 

<Go! Navyさん>

Go! NavyさんのBBSII GalleryではH-52シリーズの中で「S-62J」として扱ってます。

 

<Flyteamさん>

機材一覧の中では航空自衛隊のS-62は全て「S-62J」となっています。

 

【考察】
1. 本件については次のような仮説を考えました。

1) 機体は「S-62A」型仕様機を導入して、自衛隊名称「S-62J」を付与した。

2) 記事の参考にした資料は導入初期に作成されたものなので「S-62A」のままであった。

3) 記事の参考にした資料には「導入したS-62Aのことを航空自衛隊ではS-62Jと命名する」という定義づけの文書(通知とか達、あるいは導入に際しての国会での発表資料など)が欠けていた。あるいは「自衛隊機の名称をS-62Jとした」という事実の記載がなかった。このため「資料を元にして記事を書く」と「S-62Aを導入した」となった。

4) 自衛隊内には業務として隊史をまとめる方がおられるだろうけれど、基本的には史料収集のシロウトが「仕事として押付けられたのでやる」「表面的にまとめる」状況であり、「上司はまとめた結果を精査しない(精査する力がないため、できない)」のだろうと考えます。これは一般企業でも同じでしょう。部下が集めてきた過去の記録を異なるソースと照らし合わせて真偽/正誤を確認するという作業は相当な力をいれないとできない話です。文書上の間違いが無いかを確認するのがせいぜいというのが実情だと思います(自衛隊航空史に関しては外部のマニアの方が詳しい場合があるが、外注依頼する予算がないので外部に助けを求めることもできない。企業の場合には外部の経済評論家や投資コンサルの方が自社の人間よりもはるかに詳しい情報を集めていることもある)。

 よって「隊史」などの公式資料は「鵜呑みにはできない事象が含まれている」ことに留意すべきと思います。

 

2. 「本機を***と命名する」という宣言(定義づけ)をした文書が見つからないと後世のリサーチャーはどちらの表記にすべきか困っちゃいますネ。
2020年11月15日から「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」さんのサイトでは陸上自衛隊のHU-1B/HがUH-1B/Hへと名称変更された経緯が判らない、誰か知らないか?と問題提起してますが、これも同種の問題ですね(本件は1992年に名称変更している。なんらかの発表があったと記憶しているけれど、その変更に係る文書を今のところネット上では見つけていない。そのうち新橋の航空図書館にでも行って、古い航空雑誌をめくってみるかいなと思っている)。

 また件の航空ファン誌2021年1月号P.54真ん中のコラム下から6行目には「能力向上型のMU-2Aが配備」という記載がありますが、これもMU-2Sのことですよね。「MU-2A」は航空自衛隊では使われていません。そもそもMU-2Sの三菱社内呼称はMU-2Eであり、1967年にMU-2Bの120号機を改修してMU-2Sの初号機にしています(ヒコーキ雲さんの三菱MU-2研究のページ参照)。

 仮説ですが、これは誤植ではなくて上述したS-62Aと同様に元ネタが間違っていて、そのまま転記して記事にしたのではないかと思います。一個人では確認のしようもない仮説ですけれど・・・。

 さらについでの話となりますがUS-2の01号機と02号機は「US-1改」として製造されたため、機体銘板や整備記録には「US-1改」と記載されているそうです。しかし、これはTRDIの試験が終了した際に「本機をUS-2とする」旨の発表があったと記憶しています(ただし、これも明確な定義づけの文書を見つけていない)。


・・・とまぁ、上記のように一読者としては考えるのですけれど、ホントのところはどうなのでしょうね(ここまで書いてきて、そう言うか?笑)。

 

 まとめとして、従来J型としてきた機体を突然A型と記載した理由なんぞを、いつかどこかで一筆入れておいていただけると嬉しいな~と雑誌側には希望する次第でありますヨ。

 

以上

編集履歴

27Nov.2020 公開

28Nov.2020 見直し更新(第1回目、HU1をUH1に名称変更した年度を確定。MU2に関する記載を見直し変更、その他字句表現変更)