用廃機ハンターが行く!

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【岐阜県】空自 岐阜基地の展示機

<編集履歴> 27Mar.2021公開、23Dec.2023見直し更新(第16回目、見直し実施)

 

<場所 Place> 〒504-8701 岐阜県各務原市那加官有地無番地 航空自衛隊岐阜基地

岐阜基地 | [JASDF] 航空自衛隊

<座標 Location>  35.3928N, 136.8502E 

<訪問日Visit>  12Oct.2009, 13Nov.2022, 12Nov.2023ほか 

<行き方 Access> 名鉄各務原線各務原市役所前駅で下車、南に約1.2kmを歩くと基地南側の展示機エリアに近いゲートだ。なお航空祭の時には三柿野駅近くのゲートが航空祭の機体展示場に近い。

<解説General>

(1) 岐阜基地には第2補給処があり(規模としてはコチラが基地のメイン)、航空機の運用に必要な物品等の保管・管理等を行っている。また飛行開発実験団があり、各種の航空機の開発および搭載機器や搭載兵器等の開発・評価・各種試験を行っている。基地南西端のエリアに7機の展示機が機首を北北東を向けて置かれている。広報館内にはF-86FとF-4EJの操縦席部分が置かれている。

(3) 岐阜基地のF-4EJ/EJ改は2021年3月1日に全機が引退した。最後に残った機体は301、336、431(改)の3機であったが、初号機301号機は結局最後まで引き取り手が見つからなかったようで、2021年3月19日付でイカロス出版Jウイング編集部名で「引き取り先はありませんか?」とのコメントをTwitterに発信している。岐阜基地の格納庫には現在”ゆとり”があるハズなので、当面は基地で保管し、この先数年程度は基地祭でコクピット公開用機として展示されることもあるだろう。 基地展示エリアには先に岐阜基地開設60周年記念塗装の87-8409号機を展示しているが、その塗装の維持は極めて困難と思われるため、数年後に退色したころ、301号機と入れ替えるというのが現実的な「初号機の残し方」ではないだろうか。F-4EJ改07-8431は2023年2月に隣接する岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に貸与され展示された。 

(4) 以下に記す展示機のほか、基地内にはT-2(29-5102号機)の垂直尾翼を用いたモニュメントが設置されるはずだ。

(5) 隣接する川崎重工の敷地内にはT-33AとT-4ブルーインパルス機が展示されている。独立した「川崎重工の展示機」のような記事は設けないつもりなので以下の記事を参照して欲しい。

航空自衛隊 T-33Aの展示機 - 用廃機ハンターが行く!

航空自衛隊 川崎T-4の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

【展示機 Displayed Aircrafts】 

1. C-46D (91-1141) 1976年6月8日に用廃となったとされる機体。岐阜基地の広報展示機群の中ではT-33Aに次ぐ古顔だ。2022年9月中旬~10月末ごろにかけて再塗装を実施した。

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写真1 C-46D。(2009年10月12日撮影)

 

2. F-4EJ (87-8409) 緑色系のピクセル迷彩特別塗装機

 公式TWITTERによると航空機展示場に2020年1月18日および22日にかけて設置された(設置完了は22日)。引退間際の2017年秋に施された「陸軍各務原飛行場開設100周年・空自岐阜基地開設60年記念塗装(緑色系ピクセル迷彩)」を残していたが、2023年11月には再塗装に関する公告が出されており、この仕様書にてライトグレー塗装にすることが記されている。2023年度末までには通常機塗装に戻される予定だ。主翼下面のエアブレーキを開いており、その構造を確認することができる唯一の機体でもある。写真で分かる通り、エンジンは付いていない。

写真2 2023年度末の再塗装工事でノーマル塗装に戻される緑色系ピクセル迷彩塗装のF-4EJ。(2022年11月13日撮影)

 

3. F-86F (92-7897) 機体番号を”62-7427”と書き換えて展示中。本来の”62-7427”(先代の展示機)は主翼に境界層板のついたF-86F-30だったが、本機 (92-7897)は境界層板がなく、主翼を延長したF-86F-40だ。ヒコーキ雲さんへの投稿写真から1980年5月の公開日以降、1986年5月18日の公開日までの間に先代(本当の62-7427)の機体と交換されて展示が始まった。ドロップタンクもパイロンも無いクリーン形態での展示であり、スッキリとした印象を受ける。2023年11月の基地祭前に再塗装された。

写真3 機体には”62-7427”と記載しているが本当のS/Nは92-7897。先代の展示機62-7427号機は1980~1986年の間に廃棄されてしまった。(2022年11月14日撮影)

 

4. F-104J (36-8540) 1980年ごろには伊豆バイオパークに展示され、その後の一時期は神戸のメイテックで展示されていた機体。2023年度末までに再塗装される予定。

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写真4 各地で展示されたのちに岐阜基地に落ち着いたF-104J。(2009年10月12日撮影)

 

5. T-2 (59-5107) T-2特別仕様機(F-1のプロトタイプ)の2号機。2017年2月末に展示された。2023年度末までに再塗装される予定。

 本機の記述上の分類定義は次のようになるかと思うが、通常「FS-T2改」と「T-2特別仕様機」は混同して用いられている。

・機体種別をいう場合にはあくまで「T-2」。

・T-2高等練習機を支援戦闘機に発展改造する事業(プロジェクト)上での名称(開発目標としての名称)は「FS-T2改」。

・「FS-T2改の開発事業」を行う過程で、実証用に製造された機体”そのもの”を指す場合は「T-2特別仕様機」。

写真5 F-1のプロトタイプとなる「T-2特別仕様機」の2号機にあたる107号機。プロトタイプ初号機(106号機)は既に解体処分され、存在しない。(2022年11月13日撮影)

 

6. T-33A (51-5663) 岐阜基地の広報展示機群の中では最古参の機体で1965年10月11日に用廃になったとされる。おそらくはその直後から展示されたのだと考えているが、ネット上にある撮影日の判明している最古の写真は1986年5月18日の航空祭時に撮影されたもの(ヒコーキ雲さんに掲載)のようで、用廃後約20年間の動向は不明な機体だ。岐阜基地の歴史資料をめくれば、何らかの情報が得られるかもしれない。岐阜基地広報担当者さん、基地の広報展示機の歴史を探って、トリビアをXに紹介しませんかぁ?と、煽っておく。2023年11月の基地祭前に再塗装された。

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写真6 本機は半世紀以上も岐阜基地に居座る古顔・・・だと思う。背景に見えるC-46Dがやってきたのはそれから10年を経過した1975年頃のことだ。(2009年10月12日撮影)

 

7. T-34A (61-0406) 1983年1月17日に第12飛行教育団で用途廃止となったとされる機体で、1986年5月の航空祭時にはすでに広報展示機の仲間入りをしていた。2002年頃から銀色一色の塗装になっている。

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写真7 T-34A。1969-1975年ごろの塗装にしたものだが数字がやや太い。(2009年10月12日撮影)

 

【広報館】

(1) F-86F (72-7723) 機首部(コクピット周辺部)のみが館内に置かれている。F-4コクピット搬入と同時に廃棄されてしまうのでないかと危惧していたが、インテイク内に入ることが出来るので意外に訪問客には人気があるそうな。当面は廃棄の心配は無さそうに思う。なおインテイク内まで掃除が行き届いているとは思えない(そもそも管理する人手もない)ので、インテイクくぐりをする場合は「自らがモップ/雑巾代わりとなっている」可能性があることに留意しておこう。楽しければ、そのくらいのコトは容認できるだろう。

写真8 広報館内のF-86F機首部。(2023年11月12日撮影)

 

(2) F-4EJ (47-8336) 岐阜基地公式Twitterは2023年7月20日付で336号機のコクピット計器を使ったシミュレーターが広報館に入ったことを伝えた。これは2022年末頃より廃棄直前の336号機を一旦、第二補給処内に移動させ、部品取りを行い、製作していたことが数次にわたりTwitterで報告されていたものだ。オリジナルは計器部分だけであり、計器を取り付けてあるパネル盤や機首部の機体構造部などは全て”自作品”だ。

写真9 広報館内に置かれた「体験搭乗用」のF-4EJ機首部。(2023年11月12日撮影)

 

【保存指定機】

一般見学はできないが、次の2機が保管されている。

(1) H-21B (02-4759)

(2) F-104J (76-8686)

航空自衛隊の保存指定機については別記事を参照ください。

航空自衛隊 保存指定航空機 - 用廃機ハンターが行く!

 

【過去にあった機体】

岐阜基地の展示機は入れ替わりが激しい。全機はトレースできないが、私が撮影した機体や興味のある機体など一部を紹介しておこう。

1. T-2 (29-5102)

T-2試作2号機(29-5102)は2005年12月ごろに滑走路の北側35.3982N、36.8628Eに展示された。展示に際しては「開発に際しては無垢な心掛けで」という意味を込め、全ての塗装を落とした銀地として尾翼のマークのみを記入していたが、2021年3月中旬に解体撤去された。解体公告より入札は2021年1月7日、履行期限は2021年3月31日だった。2021年3月17日には第二補給処前の廃材置場に切り刻まれた銀色の機体(ベントラルフィン付)が見える写真がTwitterに投稿され、作業終了が確認された。本機はあいち航空ミュージアムに展示すれば「三菱航空博物館」になったのにと思うが、おそらくは公告を出す前には電話の一本でも入れて打診を行った結果なのだろう。

2022年11月13日の基地祭時には車輪を置いていたコンクリート製の台座(3か所)と立て看板(シートで包まれていて内容は見えないようになっていた)のみが撤去されずに残っていた。

 なお本機の解体仕様書には垂直尾翼は切断済であることが記されており、事実2020年12月下旬ごろにはTwitter垂直尾翼のない本機の写真が投稿されていた。恐らくは基地内モニュメントとなるのだろうと考えていたが、基地内のどこかの部屋の応接セットの脇に立てかけられていることが2023年7月10日の岐阜基地公式Twitter発信により判明した(調度品の質が良さそうなので団司令の部屋だろうか?)。どうやって部屋の中に運び込んだのかが気になるところだ。2023年11月12日に行われた航空祭では、いずれかの格納庫内の赤白の緞帳脇に置かれている姿がXに投稿されていた。そのうち予算が付けば、モニュメントにして基地内のどこかに残すのではないかと思っている。

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写真10-1, 10-2 基地内滑走路北側にあったT-2試作2号機(29-5102)のモニュメントだが、2021年3月中旬には解体・撤去された。垂直尾翼のみは基地内に残されている。(上:2016年10月30日、下:2019年11月10日撮影)

 

2. V-107(KV107II-5, 74-4801)

 航空自衛隊が導入したV-107の初号機だったが、2011年11月頃に腐食を理由に解体撤去された。ヒコーキ雲さんには「塩害による腐食」と記載されているが、展示機となってから数年経過してから「現役時の塩害が元で」とホントに言えるのだろうか。単に屋外展示で管理が悪かったことで風雨による腐食が生じた(進んだ)というのが主たる原因だろうと考えている。初期の機体はホイストウインチが機体内部に格納されており、必要時にはフックの部分を含めて伸縮式のアームをドアから伸ばして(もちろん人力で)吊り上げる仕組みになっていた。外付けホイストになるのはエンジンをパワーアップしたV-107Aなってからとのこと。(入間、浜松、小牧、新田原にある機体と写真を較べてみよう)

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写真11 かつて展示されていたV-107。(2009年10月12日撮影)

 

3. T-6G (62-0100) 2010年10月13日に解体し、15日(金)の午前中に美濃加茂市にあるヤマザキマザックへと運ばれた。このためGE-Proの2010年7月1日取得画像ではまだ基地南側の広報機展示場に置かれている姿が確認できる。修復・整備された後はヤマザキマザック工作機械博物館にて展示されている。

写真12 現在はヤマザキマザックの工作機械博物館内に展示されているT-6G。(2009年10月12日撮影)

 

4. 試製秋水 (J6M) 1961年6月に神奈川県横浜市金沢区の日本飛行機杉田工場の拡張工事の際に地中より見つかった胴体の一部(主翼や尾翼の無い、バスタブのような胴体主要部の枠組みのみ)が1963年2月より岐阜基地にて保管・展示されていた(35.3923N, 136.8507E)。この胴体部分は1997年11月に三菱重工業へと譲渡され、2001年12月には全機規模で機体が復元され、しばらくは小牧南工場敷地内の史料室内に展示されていた。現在は同社大江時計台航空史料室に移設されて一般公開されている(ただし写真撮影不可)。岐阜基地に置かれていた当時の様子はモノクロネガとポジで撮影しているが、当面スキャンして紹介する予定は無いので当時の様子を知りたい方はネット検索するなどしてみてください(ヒコーキ雲さんに画像があります)。

 

5. 愛知零式三座水上偵察機 1971年10月9日に千葉県館山沖から揚収された胴体と右翼部分が南基地内(35.3922N, 136.8508E)に展示されていたが、2021年3月に福岡県の芙蓉博物館に移設された。

・参考:本Blogでの芙蓉博物館の記事;

【福岡県】芙蓉博物館(一時公開) - 用廃機ハンターが行く!

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写真13 愛知零式三座水上偵察機の残骸。現在は福岡県豊前市の芙蓉博物館にある。GE-Pro画像を見ると背景にある建物は2022年4月ごろには取り壊されていた。(2009年10月12日撮影)

 

5. F-86F (62-7427) ヒコーキ雲さんへの投稿より1974年10月19日の公開時には用廃機であったもののエプロンにて展示されていた。その後1980年6月1日には南基地の展示機エリアに設置されていたが、1986年5月18日の公開日にはすでに"二代目の427号機”に交換されいた。

 

【その他】

(1) 基地内第二補給処の一角(35.3917N, 136.8548E)には用廃となった3機のE-2Cがシートに包まれて保管されている。機体は東側よりBu.16189(写真判定)、Bu.161788(消去法による推定)、Bu.161787(写真判定)だ。2023年11月の公開時には455号機が格納庫内にあったというXへの投稿があるため、2023年11月時点では合計4機のE-2Cが岐阜基地に内に保管されていることになる。私自身は2022年11月の基地祭時にこれらの機体を撮影していたが、撮影場所を鑑み、その画像公開を自主規制していた。しかし一年後の2023年11月に行われた岐阜基地祭では「南側撮影エリア」として拡張開放された場所から、存分に撮影できる環境となっていたため、自主規制を解除することにした。

E-2Cの退役状況については別記事を参照願います。

航空自衛隊 E-2Cの用廃機 - 用廃機ハンターが行く!

写真14 基地南側でシートに包まれて放置されているE-2C。(2023年11月14日撮影)

 

(2) F-4EJ (17-8301) F-4EJファントムの初号機であり、運用最終日まで生き残った機体だが、貰い手がなく基地内格納庫で運用末期に施された「導入当時のようなガルグレイと白の特別塗装」のままで保管されている。2022年11月13日の航空祭時には招待者の祝賀会会場となったハンガー内に置かれていたが、翌2023年11月12日の航空祭では基地南側に展示され、主翼を折りたたむ様子を観客に披露した。

写真15 2023年11月の航空祭にて主翼を折りたたむ様子を披露したF-4EJ初号機。(2023年11月12日撮影)

 

(3) F-4EJ改(07-8431) 本機は退役後のランウェイウォーク開催時や2022年度航空祭で展示されたが2022年度末(2023年2月)に隣接する岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に展示された。

・参考(関連記事);

【短報・続報】岐阜かかみがはら航空宇宙博物館にファントム431号機とBK117を導入 - 用廃機ハンターが行く!

 

【余談】

(1) 1996年3月23日に基地見学した時のこと。ファイアーピットには機首に182と描いたF-86Dが置かれていた。その後の岐阜基地祭で現地を確認すると黒焦げになった機体の残骸が置いてあったので、消火訓練に使われたのだろう。さてこの機体はどこにあったものなのか?とヒコーキ雲さんへの投稿を調べててみると、どうやら大阪府大阪狭山市にあった「さやま遊園地(2000年4月1日閉園)」に1973年頃から1992年ごろにかけて展示されていた機体のようだ。さらにこの機体は04-8182号機ではなく、04-8209号機の"209"を消して、"182”と記載した機体のようだ。

F-86Fの機体返還時にも見られた機体番号の書き換えだが、本機も返還機の書類と現物を合わせるための書き換えが行われていたのではないかと考える。F-86Dの運用終了は1968年。当時返還に関する書類作業を行っていた方が35歳程度だったとしても2021年時点では88歳だ。このことを明らかにする手段は事実上残されていない。

蛇足ながら本機が展示されていた「さやま遊園」にはF-86D/F、T-33A、T-6が展示されていたことが国土地理院の航空写真で確認できる。2021年頃より何号機がどのような塗装やマーキングで展示されていたのか確認すべく、いくつかのサイトやTwitterで情報提供の呼びかけを行っているが、本F-86Dを除いて具体的な情報は得られていない(情報はヒコーキ雲さんへの投稿ですので、そちらを参照ください)。

・参考(関連記事);

【大阪府】さやま遊園の展示機(記録) - 用廃機ハンターが行く!

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写真16 ファイアーピットに置かれたF-86D。この後しばらくして消火訓練に使用されて焼失した。機首に”182”と記入されているが実際は04-8209号機だったと思われる。(1996年3月23日撮影)

以上