<編集履歴> 01Nov.2021公開、04Dec.2025見直し更新(第5回目、展示機があった時期を”1967年頃から”に修正)
【情報募集中】
2025年の時点で60~80歳前後の方のお宅に、「さやま遊園」で遊んだ子供のころの写真はございませんか?もし、そこに機体の一部だけでも写っていたら、ぜひともお教えいただきたいと思う次第です。当Blogではなく、ヒコーキ雲さんのサイトでも構いません。
「さやま遊園」には4機ほどの展示機がありましたが、時期により、その配置が異なっていたようです。多くの方が、ヒコーキに乗って遊んだ経験をお持ちなのですが、写真がわずかしか残っておらず、いつ、どこに、どんな機種の、何号機が展示されていたのかがハッキリしていません。国内航空史における「ミッシングリング」となっている状態なのです。
断片記録であっても、ございましたら一報いただければ幸いです。
どうかよろしくお願いいたします。
【概要】
かつて大阪府大阪狭山市の狭山池東側には「さやま遊園」という小さな遊園地が存在していた。ここ(34.5040N / 135.5532E付近)にはF-86D、F-86F、T-33A、T-6Gの4機が1967年頃から1975年頃まで展示されていた。このうちF-86F, T-6Gおよび T-33Aの3機は1975年から1979年の間に、スケートリンク場を建設する工事に伴って撤去されている。F-86Dのみは園内の近所に移設され、しばらくの間は展示されていたが、1992年から1996年の間に撤去されてしまった。
これら4機については「確かに存在していた/よじ登って遊んだ/写生した/翼の下の日陰でお弁当を食べた」などの証言が寄せられているものの、機体が明瞭に写る写真はなく、展示機種やその機体番号は永らく不明/不確実情報のままであった。2025年1月にFacebook上で数葉のスナップ写真が公開されたことにより、展示機種および機体番号の多くが明確になった。
しかし、現在もなお、次の事項が不明/不確実となっている。
(1) 展示開始時期(読者情報より、T-6は1967年頃から存在)
(2) 園内の展示場所/機体相互の展示位置の関係(国土地理院の航空写真閲覧サービスで見られる1975年ごろの画像と、1968年ごろに撮影されたとするスナップ写真では機体相互の配置が異なる)
(3) F-86F, T-6GおよびT-33Aの撤去時期
(4) F-86Dの初期の展示位置と撤去前の様子
(5) F-86Dの機体番号書き換えにまつわる謎
以上については、今後も調査を継続したいと考えています。
【展示機の情報】
(1) F-86D (04-8209)
<機体の設置状況>
F-86Dの運用終了は1968年。国土地理院の航空写真閲覧サービスを利用すると、1969年04月18日撮影の写真では機影を確認することができないが、1973年05月12日~1975年1月26日の間ではF-86D/F, T-6G, T-33Aの4機が園内に展示されていることが判る。
また、1975年01月27日~1979年10月15日の間に園内が改装されてスケートリンク場が建設された。これに伴って本機は移設され、残る3機が撤去されたことが判る。
1986年02月02日に撮影された写真がヒコーキ雲さんへ投稿されている
F-86Dが展示されていることが判る最後の航空写真は1992年03月04日撮影のものだ。次に撮影されたのは1999年05月07日だが、この時にはF-86Dの機影は確認できない。
1996年03月23日 岐阜基地ファイアーピットにて本機と思われるF-86Dを確認した。この機体は、その後、消火訓練に用いられて焼失している。
<機体番号や塗装に関する考察>
(1) ヒコーキ雲さんに投稿された1986年2月2日撮影の写真より、04-8209号機の機体番号を"04-8182"に書き換えたものと思われる。
(2) 1996年3月に岐阜基地のファイアーピットにあった”182”号機は機首上部の防眩塗装がなく、銀地となっているので、さやま遊園地から撤去された機体であると思われる。
(注:ヒコーキ雲さんに記載された経歴は182号機と209号機(他の機体に”04-8209”と記載した機体を含む)のものが混在しているので非常に分かりづらい)
(3) F-86Fの機体返還時に数多く見られた機体番号の書き換えだが、本機も返還機の書類と現物を合わせるための書き換えが行われていたのではないかと考えている。当時、返還に関する書類作業を行っていた方の年齢が35歳程度だったとしても、2025年時点では92歳だ。このことを明らかにする手段は事実上残されていない。

写真1 岐阜基地南側のファイアーピットに置かれたF-86D。(1996年3月23日撮影)
(2) F-86F (62-7429)
さやま遊園に置かれていたとの話はあったものの、証拠写真がみつからなかった機体。2025年1月12日にFacebook上の「ゆるい航空機写真部」というグループサイトに「実家で発掘した、昭和43年頃(1968年頃)に撮影された写真」が投稿され、本機(62-7429号機)が展示されていたことが明確かつ確実となった。本記事最終版において、F-86Fの存在が確認できる画像は、この1枚のみである。
国土地理院の航空写真閲覧サービスを利用すると、1973年05月12日~1975年1月26日の間にはF-86D/F, T-6G, T-33Aの4機が園内に展示されていることが判る。
本機は1975年01月27日~1979年10月15日の間に園内が改装された際に、T-6GおよびT-33Aとともに撤去された。
(3) T-33A (51-5654)
1965年10月11日に用途廃止となったのちは、各地で展示されていたという機体。2025年1月11日にFacebook上の「ゆるい航空機写真部」というグループサイトに「実家で発掘した、昭和43年頃(1968年頃)に撮影された写真」が投稿され、さやま公園には本機(51-5654号機)が展示されていたことが、初めて明確かつ確実となった。本記事最終版において、T-33Aの存在が確認できる画像は、この1枚のみである。この写真を見る限りでは、垂直尾翼のS/N上部にマークは記入されていなかったが、帯状のマーク(例えば浜松の黄色と黒のチェッカーの帯)を落としたような跡・・・らしきものが見えた。航空写真によると本機は1975年01月27日~1979年10月15日の間に園内が改装された際に、F-86FおよびT-6Gとともに撤去された。
一方、ヒコーキ雲さんには1972年の愛媛県唐小浜で開催された「空のエキスポ大航空博覧会」で展示された51-5654号機の写真が掲載されている。この機体の垂直尾翼には当時の実験航空隊の”鵜”のマークが記入されている。
愛媛県唐小浜で展示された654号機とさやま遊園に展示されていた654号機の展示時期が重なる時期があるので、どちらが本当なのか、あるいは一時的に貸し出され、また戻ってきたような経緯があったのか、さらに歴史調査を進める必要がある。
4. T-6G (52-0100)
読者情報より1967年から1969年頃には設置されていたようだ。また1967-1970年頃には「黄緑色」だったとの投稿がある(少なくともお二方が「黄緑色」と称している)ことから、「ゼロ戦」風の塗装を施されていたのかもしれない。航空自衛隊では1964年10月1日以降にのべ55機のT-6を全国の学校や公園等に放出した。展示された時期から考え、さやま遊園の展示機は、この55機のうちの1機であった可能性が高い。
2025年1月11日および12日にFacebook上の「ゆるい航空機写真部」というグループサイトに「実家で発掘した、昭和43年頃(1968年頃)に撮影された写真」が投稿され、さやま公園には本機(52-0100号機)が展示されていたことが、初めて明確かつ確実となった。投稿写真より、本機は「F-86Fの左側、かつT-33Aの右側」に置かれている。すなわちF-86F/T-6G/T-33Aの順に置かれていた。この状況は1973年05月12日および1975年1月26日に撮影された航空写真で確認できる機体配置とは一致しない。また、この白黒写真のトーンから、この写真を撮影した時には航空自衛隊T-6Gの標準塗装である黄色だったものと思われる。機体の配置については1968年以降、1973年までの間に展示機各機の設置位置を変更したのかもしれない。
国土交通省の地図・空中写真閲覧サービスにより1975年1月26日撮影の写真を見ると、F-86D/F-86F/T-33Aの左側(南側)になんとなく黄色っぽく見える機体がある。
本機は1975年01月27日~1979年10月15日の間に、園内が改装された際に、F-86FおよびT-33Aとともに撤去されたが、1977年4月には岐阜基地に展示されている。さらに後年にはヤマザキマザック工作機械博物館に移設され、現在も展示されている。
【さやま遊園のゼロ戦】
ネット上には「1975年頃にゼロ戦があった」「ゼロ戦で遊んだ」という内容の投稿が複数存在する。また、これまでに寄せられた情報の中にも「本当の機種は不明ながら、子供の頃には友人達みんなして”ゼロ戦”と呼んでいた機体があった」というものがある。
個人的な見解だが、一般の方がいう「ゼロ戦」とは「低翼単葉の単発機で、胴体に日の丸のある機体」全般を指すものだと思っている。このため当時、各地に貸し出されて展示されていたゼロ戦(現在は浜松広報館にある機体)とは限らないと考えている。おそらくは上述のT-6G (52-0100号機)のことであろう。
【最後に】
さやま遊園に1970年代に訪問した入園者にとって、機体があったことは当たり前の話でしょう。またF-86Dが1機展示されていたことはヒコーキ雲さんで紹介されています。しかし「さやま遊園に4機の展示機があった」という話は、”ヒコーキマニア界では”、2021年11月に、おそらく本Blogにて初めて確認した事項です。
2020年頃のSNSにて「用廃機は先達によって調べ尽くされている」という発言を目にしています。しかし用廃機については上述のとおり、実は判らないコトだらけなんですヨ、と一言申し上げおきます。
【さやま遊園の機体展示に関する年表】
(参考:Wikipedia2021年11月10日閲覧)
1938年05月01日 狭山池東畔の狭山藩下屋敷跡地に南海電鉄会社によって開園
戦時中・戦後は荒廃(イモ畑にされていたとのこと)
1952年 競艇場「狭山競走場」として利用(1955年に住之江競艇場へ移転)
1959年04月01日 南海観光開発会社が経営再開、以後、南海電鉄が経営
1964年10月01日以降 航空自衛隊の用廃T-6のべ55機を民間に放出
1967~1969年頃 ”ゼロ戦”と称された機体(送付いただいた写真よりT-6と判明)が設置されていた。(読者情報)
1968年頃 T-6G, F-86F, T-33Aの写る写真が撮影されている。(Facebook投稿)
1969年04月18日 この日の空撮写真では展示機を確認できない。(国土交通省)
1969~1970年 ”ゼロ戦”と称される機体と"戦闘機"2機が存在していた。(読者情報)
1973年05月12日~1975年1月26日 F-86D/F、T-33A、低翼単葉機の4機を園内に展示(*1)
1975年01月27日~1979年10月14日 この間に園内改装、スケートリンク建設によりF-86D展示機移設およびその他の3機を撤去(*2)
1979年10月15日 F-86Dが移設展示され、かつその他の3機が撤去済であることを確認できる最初の航空写真の撮影日(*1)
1986年02月02日 ヒコーキ雲さんへのF-86D投稿写真の撮影日
1992年03月04日 F-86D展示を確認できる最後の航空写真の撮影日(*1)
1996年03月23日 岐阜基地ファイアーピットにF-86D確認、その後、訓練で焼失
1999年05月07日 さやま遊園地のF-86Dが撤去されていることを確認(*1)
2000年04月01日 閉園
*1 : 国土地理院の提供する地図・空中写真閲覧サービスより写真を閲覧して確認
*2 : 上記写真に写る変化より読み取った事項
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・Facebookにおける当時のT-33Aの写真へのURLはこちら(注意:Facebookに登録していないと見られないかもしれません)
https://www.facebook.com/photo/?fbid=1842063929935605&set=pcb.8518590001578313
以上