用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

【特集】ゼロ戦を見に行こう!

<編集履歴> 30Apr.2019公開、20May.2024見直し更新(第26回目、浜松のゼロ戦に関すr記述見直し)

 

【はじめに】

 日本国内には太平洋戦争当時の戦闘機「ゼロ戦」が数ヶ所に展示されている。なかにはエンジンやプロペラ、墜落機の破片だけの展示もあるが、本Blogでは「概ね機体外観の半分程度以上の実物」が展示されている9か所を紹介しよう。またレプリカ(実物大模型)を展示している場所も簡単に紹介する。

 比較的少ないので訪問コンプリートを目指そうじゃないか(笑)!

 

【一般的な注意事項】

1. ゼロ戦とは「零式艦上戦闘機」のことを指します。旧日本海軍の戦闘機です。

2. 第二次世界大戦当時に使用された日本の戦闘機の全てのことを、まとめて「ゼロ戦」と称すると考える方がおられますが、それは明らかに間違いです。また「緑色に塗られて胴体に日の丸が描かれたプロペラ機」を全て「ゼロ戦」と称すると考える方もおられますが、これも間違いです。

 旧日本軍には陸軍と海軍があり(”空軍”は当時は存在していない)、海軍の「ゼロ戦」以外にも数多くの戦闘機が存在していました。また緑色に塗られていた旧日本軍機の画像(着色写真やCGなど)が数多く出回っていることと、上述したように「旧日本軍機は全て”ゼロ戦”という」と思い込んでいる方の発言が多いために「緑色に塗られて胴体に日の丸が描かれたプロペラ機」を全て「ゼロ戦」と呼ぶものとする流れが定着していったものと考えています。

3. この記事では「ゼロ戦」の展示場所だけを紹介します。国内に遺されている「ゼロ戦以外」の旧日本軍機については別記事を参照ください。

【特集】旧日本軍機(ゼロ戦を除く)を見に行こう! - 用廃機ハンターが行く!

 

【”零戦”の呼称について】

零戦」と漢字で書かれた場合、「レイセン」と読むか、それとも「ゼロセン」と読むか?答えは「どちらでも構いません」。その文章を書いた方が読者に対して特定の、意図した読み方をさせようとするならば、ルビを振るなり、文書の最初か最後に注記を書くだけの話です。なお「戦時中には”ゼロセン”とは言わずに”レイセン”と言った」と主張する方がおられますが、これは明らかに誤りですので、その理由を明確に記しておきます。

 まずは昭和19年(1944年)11月23日付の朝日新聞を読んでみましょう。これは朝日新聞のデータベース「朝日新聞クロスサーチ(旧名称は聞蔵II)」を使えば容易に読むことができます。このデータベースは主として県立図書館レベルや大学図書館などで使えると思います(私は千代田区日比谷図書館で2022年9月27日に閲覧した)。

 さて、この日の一面には九州地方を爆撃したB-29が中国に戻ったところを(日本軍機が)襲撃して被害を与えたという記事が掲載されています。その中に”覆面脱いだ「零戦」「雷電」”という小タイトルの文があります。ここを読むと「・・・この戦闘に参加した海軍新戦闘機「零(れい)式戦闘(とう)機」および最新鋭戦闘(とう)機「雷電」の名称が初めて公にされた「零式戦闘機」は荒鷲(わし)達からは「零戦(ゼロセン)」と呼び親しまれてゐる・・・」と書かれています。なおカッコ内は新聞のルビです。また”公にされた”と”「零式戦闘機」”の間には句読点はありません。新聞記事内で書かれている通り、アメリカとの戦争(太平洋戦争)が始まってから3年が経過して初めて「零式戦闘機」の存在が明らかにされ、この機体が「ゼロセン」と呼ばれていたことが一般に紹介されたワケです。

 なお、この記事の中では「・・又敵は零戦を「ゼロ・ファイター」と呼んでゐるが・・・」とアメリカでの呼称も紹介しています。

 過去の戦記を読み直すと、いくつかの証言記録から部隊レベルでは当初は”レイセン”と呼んでいたものの、”ゼロセン”と呼称する新兵が多くなり、いつしか古参兵も”ゼロセン”と言うようになったという流れがあったようです。この辺りは新兵の補充状況に応じて、部隊ごとに呼称が変化していった時期は異なることでしょう。

 ゼロ戦の主任設計者である堀越二郎氏は自身の著書「零戦 (注1): その誕生と栄光の記録」(光文社カッパ・ブックス、1970)のp.148~149にて「ゼロ戦という呼び方は、こうした外国での評判などから戦後生まれた零戦(注2)の愛称である」と記していますが、彼の当時の立場を考えれば、朝日新聞に掲載された(大本営発表の)一成果記事なんぞは目に留めていなかったものと考えています。したがって戦時中(ただし戦争終結の9か月前ですが)から”ゼロ戦”と呼ばれていたことが、朝日新聞を通じて一般に伝えられていたという”事実”は「知らなかった」のではないでしょうか。

注1:堀越氏のこの著書のタイトルの零戦の零には「ゼロ」とルビがふられている。

注2:この部分での「零戦」は「れいせん」と読ませている。

 

【実機展示場所一覧】 

 ゼロ戦の実機(復元機)は国内の次の9か所に展示されています。訪問前にはそれぞれの展示場所のHPなどで開館時間等を確認してからお出かけください。

(1) 茨城県 筑西市 ザ・ヒロサワ・シティ内科博廣澤航空博物館

(2) 東京都 靖国神社遊就館

(3) 山梨県 河口湖自動車博物館(注:例年8月1日~31日のみ公開、2020年夏は公開中止)

(4) 静岡県 航空自衛隊浜松広報館

(5) 愛知県 三菱重工(株)大江時計台航空史料室(要事前予約)

(6) 広島県 呉市海事歴史科学館大和ミュージアム

(7) 福岡県 筑前町立大刀洗平和記念館

(8) 鹿児島県 海上自衛隊鹿屋基地史料館

(9) 鹿児島県 知覧特攻会館(復元せず、海中から引揚げた時の状態で展示)

 

【各機の概要】

 展示された機体の概要を以下に記します。ただしネット上の情報(ウィキペディアなど)の方がはるかに詳しいので、本Blogの記載内容は参考程度に読み流してください。また私自身のリサーチ不足・転記ミスや、そもそも転記元の情報が間違っているなどの理由により、ここに記載した年代や数値などに間違いがある場合が多々あります。気づいた時には都度見直しを行いますので、どうかご了承ください。(ご指摘も歓迎いたします!)

 

1.茨城県筑西市 ザ・ヒロサワ・シティ内の科博廣澤航空博物館 21型複座偵察形改造機

 本機は1944年にラバウルにて数機を合わせて現地で複座型偵察機として組上げた機体であり、主な部分は中島製31870号機とされる。1945年1月9日ニューブリテンランバート沖で撃墜された。1973年に回収され修復されたものを日大教授が購入し、国立科学博物館に寄贈。以後、数度の展示形態変更を経て2020年に再修復工事を実施。2021年3月18日に科博廣澤航空博物館に搬入。複座に改造されていることと、偵察用に胴体下部小さなカメラ窓(直径10cm程度)を設けたことが注目点。

公式サイト:https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/584358.pdf

関連記事:

【茨城県】筑西市 ザ・ヒロサワ・シティの”ユメノバ” - 用廃機ハンターが行く!

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写真1-1, 1-2 上(写真1-1)は2020年頃まで東京・上野の国立科学博物館に展示されていた当時の21型改造機。下は(写真)現在の様子。(1-1: 2014年3月2日、1-2: 2024年3月27日撮影)

 

2.東京都 靖国神社遊就館の52型

 ラバウルで回収された機体を河口湖自動車博物館にて修復した。三菱製4240号機が主体だが、一部に4241号機の部品を用いているとのこと。修復に際しては三菱重工も協力したそうだ。2002年に靖国神社に奉納され、現在は遊就館1階玄関ホールに展示されている。この機体を見るだけなら入場料(1,000円)は不要。東京観光や出張ついでに、1時間もあればチラリと見てくることができるという、お手軽な存在だ。

公式サイト:https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/ 

関連記事:【東京都】靖國神社遊就館の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

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写真2 遊就館の52型。休日には見学者が多く、人を入れずに撮るには忍耐が必要。(2017年9月30日撮影)

 

3.山梨県 河口湖自動車博物館

 河口湖自動車博物館では4機のゼロ戦を復元し、そのうち1機を靖国神社に奉納している(上述の遊就館を参照)。残る3機は例年8月1日~31日の一か月間のみ一般に公開している。現地ではスマホ以外の機材による撮影は禁止されるなどの制限があるので注意する。詳細は公式サイトにて確認すること。

3-1. 21型 中島飛行機製91518号機

1983年にカロリン諸島ヤップ島から回収した機体を復元。国内で唯一灰白色の塗装を施した機体だ。

3-2. 21型 中島飛行機製92717号機

内部構造を見せるため、外板を張らずに展示されている。 

3-3. 52型 中島飛行機製1493号機

カロリン諸島ヤップ島から回収し、復元。

公式サイト:http://www.car-airmuseum.com/

関連記事:【山梨県】河口湖自動車博物館・飛行舘 - 用廃機ハンターが行く!

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写真3 翼端を折りたたんだ状態で展示されている21型。(2019年8月20日撮影)

 

4.静岡県 航空自衛隊浜松広報館 52型甲 三菱製4685号機。

 1944年7月グアム島で撃墜された。1963年4月アガナ市で発見(1962年発見説もあり)。1964年1月岐阜基地に空輸し、修復。以後、航空自衛隊浜松基地(当時は浜松南基地)を保管拠点として国内各地のイベント等で展示された。1999年の浜松広報館オープン時より、飛行形態にて展示されている。戦後初めて復元された機体だが、復元の程度が(本機以後に復元されたものに比べて)最も低いともいわれる機体。国内で唯一飛行形態で展示されているが、これは復元程度の低い細部を見せないためだと陰口をたたかれている。復元後60年が経過するが「どこが、どのようにおかしい」のかキチンとまとめ、さらには「このように改修すべき」と訴えるようなHPやBlogは存在しないようだ(私自身はまだ見つけていない)。都度、気づいた点を述べる個人的悪口のレベルはネット上に多数”散見”されるので気になる方は色々と調べてみよう。

公式サイト:https://www.mod.go.jp/asdf/airpark/

関連記事:【静岡県】空自 浜松基地浜松広報館 - 用廃機ハンターが行く!

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写真4 浜松広報館にて天井に吊り下げられてる52型甲4685号機。2024年度末までには隣の資料館2階に移設される予定だ。(2018年8月13日撮影)

 

5.愛知県 三菱重工(株)大江時計台航空史料室 52型甲 三菱製4708号機

1983年に河口湖自動車博物館がヤップ島から回収し、三菱重工に譲渡。三菱重工にて修復した機体。修復後は三菱重工(株)小牧工場内資料室にて限定公開されていたが、2017年11月30日のあいち航空ミュージアムオープンに際して貸与、展示。2019年4月8日をもって展示を終了して返却された。2020年1月31日より同社大江時計台航空史料室にて一般公開(事前予約制)。写真撮影はできない。

公式サイト:https://www.mhi.com/jp/expertise/museum/nagoya/index.html

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写真5 あいち航空ミュージアムに展示されていた時の4708号機。現在は三菱重工(株)大江時計台航空史料室に展示されており、撮影することはできない。(2018年8月18日撮影)

 

6.広島県 呉市海事歴史科学館大和ミュージアム」 62型

1945年8月、エンジン不調のため琵琶湖に不時着水。1978年に琵琶湖から引き揚られた。その後は京都の嵐山美術館に展示されていたが、同館が1991年に閉鎖された後は2002年3月13日まで和歌山の温泉旅館白浜御苑「零パーク」に展示されていた。こちらも2002年3月13日に閉鎖されたが、ここで呉市が呑龍エンジンと共に約3億円で購入し、再整備のうえで大和ミュージアム(2005年4月23日開館)にて展示することになった。国内唯一の62型だが、再整備に際しては考証が不十分との声をよそに作業を実施したため、「実機の部品を使ったまがい物」と酷評されている。本件も浜松のゼロ戦同様に「どこが、どのようにおかしい」とキチンとまとめ、改修を訴えるようなHPやBlogなどは私自身はまだ見つけていない。

公式サイト:https://yamato-museum.com/

関連記事:【広島県】呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」のゼロ戦 - 用廃機ハンターが行く!

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写真6 大和ミュージアムに展示された62型。(2013年6月16日撮影)

 

7.福岡県 筑前町立大刀洗平和記念館 32型 三菱製3148号機

 1979年12月サイパンにて発見。1982年10月に福岡航空宇宙協会が輸入し、修復。2004年10月まで名古屋空港(小牧)にて展示(2004年10月閉館)。その後、福岡県朝倉市黒川の音楽館(2022年閉館)に一時保管・展示されていたが、2009年10月3日からは現在の大刀洗平和記念館にて展示されている。翼端が四角く整形された32型はここでしか見られない。なお本機、97式戦闘機および震電の実物大模型以外の屋内展示物は撮影禁止となっているので注意すること。

公式サイト:http://tachiarai-heiwa.jp/

関連記事:【福岡県】大刀洗平和記念館と駅前のT-33A - 用廃機ハンターが行く!

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写真7 太刀洗平和記念館の32型。(2016年1月11日撮影)   

 

8.鹿児島県 海上自衛隊史料館 52型。

1992年に錦江湾吹上浜から引き揚げた型式の異なる二機を合体させ、52型として復元したもの。ゼロ戦の撮影は可能だが遺品など一部の展示物は撮影禁止なので注意する。屋外の自衛隊展示機は自由に撮影できる。

公式サイト:https://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/toukatu/HPzairyou/1-8siryoukann/1-8siryoukann.html 

関連記事:【鹿児島県】海自 鹿屋航空基地史料館(コロナによる入場制限中) - 用廃機ハンターが行く!

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写真8 鹿屋基地史料館のゼロ戦。(2008年5月17日撮影)

 

9.鹿児島県 知覧特攻平和会館 52型丙の前半分。

1980年6月に鹿児島県甑島手打港沖から引き揚げられたもので、修復はされずにボロボロな姿のままで展示されている。

公式サイト:http://www.chiran-tokkou.jp/

関連記事:【鹿児島県】知覧特攻平和会館の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

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写真9 知覧特攻平和会館にあるゼロ戦の前半分。(2020年3月10日撮影)

 

【レプリカ(実物大模型)展示場所】

 当初から展示目的で作られた機体もあるが、本Blogで確認している7機のうち4機は、映画撮影用として作られた機体を博物館等が入手して展示しているものだ。これらは実機でないため、私自身はあまり興味が無い。サラリと北から南の順で紹介しておこう。詳しいことはGoogle大先生にうかがって欲しい。

(1) 茨城県 笠間市の筑波海軍航空隊記念館 21型。映画「山本五十六」使用機。青森県県立三沢航空科学館に2020年11月8日まで展示されたのち本館に譲渡された。2020年11月中旬より胴体部分のみをJR友部駅前の地域交流センター”Tomoa”にて展示していたが、2022年春ごろには記念館での展示準備のために移されている。そして2022年6月25日からは地下戦闘指揮所近くの展示倉庫で一般公開を開始しているが、7月度と8月度以降では見学方法が異なるようなので、詳細はHPで確認すること。

https://p-ibaraki.com/

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写真10 映画「山本五十六」に使用された21型のレプリカ。青森県立三沢航空科学館にて2020年年11月8日まで展示されたのち、茨城県笠間市の筑波海軍航空隊記念館に譲渡された。(2014年2月1日、三沢航空博物館にて撮影)

 

(2) 茨城県 阿見町予科練平和記念館 21型。開館5周年事業として町の2015年度予算3,707万円を計上し、水戸市の「広洋社」に発注して製作したもの。「製作費」だけなのか、「調査費」や「運搬費」、「設置費」を含む金額なのかという詳細までは調べていないが、おそらくは注文から設置までの「関係する一式の費用」だろう。垂直尾翼に描かれた「A60-05」は架空の番号で「阿見町60周年および記念館5周年」の意味がある。天気の良い日曜・祝日の開館時間中は”格納庫”から引き出して展示される。季節や引き出す際の距離にもよるが、お昼近くまでは垂直尾翼に格納庫の影が写る。キレイな写真を撮るならお昼ごろ、もしくは明るい曇天の日・祝日を狙って訪問しよう。

写真11 予科練平和記念館のゼロ戦21型の実物大模型。天気の良い日・祝日のみ屋外に引き出されて公開されるが、休日なので意外と見学者が多く、人を入れない写真を撮るには忍耐が必要だ。(2022年5月29日撮影)

 

(3) 山梨県 一竹博物館脇にある個人で製作したゼロ戦の模型(52型か?)

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写真12 河口湖の一竹美術館脇にあるゼロ戦の模型。河口湖自動車博物館見学のついでに立ち寄るとよいだろう。(2019年8月20日撮影)

 

(4) 愛知県 あいち航空ミュージアム  52型。佐賀県の馬場ボデーが製作した機体で、映画「人間の翼」「君を忘れない」「永遠の0」使用機。2010年には青森県立三沢航空科学館に一時展示された機体。2019年3月ごろに三菱に返却した実機の代わりとして展示。

写真13 あいち航空ミュージアムに展示された52型の実物大模型。3つの映画に使われた機体なので、どこかで以前見ているかもしれないね。(2021年12月20日撮影)

 

(5) 岐阜県 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館 十二試艦戦。博物館展示用に新造したもの。その名の通り、ゼロ戦のプロトタイプだ。量産型ゼロ戦には各型式があり、それぞれ細部は異なっているが、この機体も(実物大模型とはいえ)細かい所はアチコチ違うぞ。

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写真14 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に展示されている十二試艦戦。左下の飛燕は実機。詳細は別記事にて紹介する。(2018年8月19日撮影)

 

(6) 山口県 岩国基地内 21型。映画「ゼロ戦燃ゆ」使用機。かつては基地公開時にゲートからイベント開催エリアの間に本機の展示場所があったので見学できた。しかし、滑走路等が沖合に移転してからは公開時の通路から外れてしまったため、一般人は見ることはできなくなってしまった。

(7) 大分県 宇佐市平和資料館 21型。映画「永遠の0」使用機。他に桜花11型の実物大模型あり。

宇佐市平和資料館がリニューアルしました。/宇佐市

 

【よくある間違い】

 「単発低翼機」を緑色に塗った機体が各地にありますし、また過去にも何機か存在していました。本記事の最初の方で述べましたが「緑色の胴体に日の丸を描いた機体は全てゼロ戦」と思っていたり、”ゼロ戦”と表現する方が大変多いのが国内の傾向(というか、グローバルな目で見ると日本の特徴)ですが、現在、最もゼロ戦と間違われることが多い機体はおそらく「るり渓温泉ゼロ戦研究所(京都府南丹市)」の「ゼロ戦風の濃緑色に塗装した機体」でしょう。これは航空自衛隊でかつて練習機(のちに救難機)として使われていたT-6G (52-0101)です。大事なコトなので繰り返して書いておきますが「”ゼロ戦研究所”の”ゼロ戦風塗装”の低翼単発機は”ゼロ戦ではなく”、かつて航空自衛隊で使われていたT-6G練習機」です。お間違えなく。なお2022年夏ごろの報道によると、るり渓温泉ではゼロ戦研究所周辺の再整備を計画中であり、本機の譲渡先を検討しているとのこと。2023年末時点では本展示場所は資材庫(物置)状態であり、機体はなんとか見ることはできるが・・・という感じだ。本機を目当てに訪問する際には、事前に存在しているか、見学が可能かどうかを現地に確認してから出かけよう。

 るり渓温泉ゼロ戦研究所」に関する本Blogでの紹介記事はこちら;

【京都府】京都るり渓温泉 ゼロ戦研究所のT-6G - 用廃機ハンターが行く!

写真14 るり渓温泉ゼロ戦研究所」にある「ゼロ戦風の塗装」の「元航空自衛隊のT-6G練習機」。(2021年8月5日撮影)

 

写真15 個人所有の小型機に”ゼロ戦風の塗装”を施した機体が存在していたこともある。これは海上自衛隊小月基地公開日に展示されたFA-200 (JA3803)。その後は何度かオーナーと塗装が変わっていたが、2022年4月18日に大牟田市西方の有明海に水没して失われた。(2010年10月17日撮影)

以上