<編集履歴> 11Oct.2022公開、25Aug.2023見直し更新(第3回目、疾風の話に追記あり)
<場所 Place> 鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地 知覧特攻平和会館
<座標 Location> 31.3636N, 130.4343E
<訪問日Visit> 27Mar.2011, 09Mar.2020ほか
<行き方 Access>
(1) 鹿児島中央駅の「東16乗場」から知覧方面行きバスに乗り約80分(950円)、「特攻観音入口」で下車。ここから徒歩で約5分。バスの便は日中一時間に一本程度の割合で走っている。
(2) 基本は車で訪問する場所だ。
<解説General>
(1) 特攻関連の博物館としては国内で最も有名な博物館。1階にあるゼロ戦展示室とロビー以外の館内撮影は禁止。開館時間は0900-1700(入場は1630まで)、年中無休だが、台風の接近時などは都度問い合わせよう。入館料は大人500円。
(2) 基本は車(バイクを含む)で訪問する場所だが、「走り抜ける程度」であれば一般バスを使っても武家屋敷と万世特攻平和祈念館も含めて一日で見て回ることができる(ただし個人的にはお薦めしない)。
【展示機 Displayed aircrafts】
(1) 富士T-3 (81-5502) 屋外(31.3627N, 130.4343E)に展示された航空自衛隊の無償貸与機でいつでも撮影できる。2005年に防府北基地で用廃となり、5月に先代の展示機T-6G(52-0120)と交代して展示された。展示当初は通常塗装であったが、理由および時期は定かではないが全体を銀塗装とした。日の丸、シリアルナンバーおよび尾翼の部隊マークのみを描く。
写真1 銀塗装で展示されている富士T-3(81-5502)。(2020年3月9日撮影)
(2) ゼロ戦52形丙(A6M5c) 1945年5月にエンジントラブルで不時着水し、1980年6月12日に下甑村手打港沖合から引き揚げられた機体。着水時に胴体後半部は千切れて失われたとされる。館内展示機は本機のみが撮影可能となっている。
写真2-1, 2-2 引き揚げられたゼロ戦52型丙の前半分。(2020年3月9日撮影)
(3) 四式戦闘機一型甲”疾風(はやて)”(キ84、1446号機)
世界に唯一残る四式戦の機体で所有者は鹿児島県南九州市となっている機体。色々と書くべきことはあるが、全て省略する。とりあえずはWikipediaでも読んでおいて欲しい。2023年2月14日付で日本航空協会の「重要航空遺産」に認定された。本機は撮影禁止であるが、2018年12月27日~2019年3月10日に疾風の特別展を開催した際、期間の最後の1か月間(2018年2月9日~3月10日)だけは撮影を許可していた。このため、この間に撮影した画像がわずかながらネット上に存在しているが、大部分はオフィシャルフォトだ。
【知覧特攻平和会館文化財調査報告書(1) ”陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」保存状態調査報告書 I ”、 令和4(2022)年3月、知覧特攻平和会館 編】
これには2017年1月から2020年11月までの間に5回行われた機体調査の結果をまとめたもので、2023年7月時点では東京・新橋にある航空図書館で閲覧することができる。私自身は2023年7月6日および8月24日に訪問して閲覧した。以後、「報告書」と略記する。
<主翼切断の話は都市伝説>
さて「本機は国内輸送時に主翼桁を切断したために二度と飛ぶことはできない」というハナシがかつて存在していたが、調査結果はどのようなものだったろうか。報告書p.25ただし左列上から三分の二付近には「構造上分割できる箇所以外に胴体を半分に切った痕跡は認められない」と記載されている。また同じp.25の右列上から三分の二付近には「白浜御苑でおh管されていた時は構造上分割できる適切な箇所で分けられていたといえる」と記載されている」。
掲載された写真から富士重工(現SUBARU)が保管していた機体を京都嵐山に移設する際にはキチンと分解されており、主翼は胴体中央部に付けたままで輸送されていたようだった。
この件についてネット上での投稿を確認したところ、「少なくとも富士重工から京都嵐山に移設した際にはキチンと分解しており、主翼切断の事実はない」とするサイトをみつけたので以下にリンクを貼っておく。なおこの文章の中では、その後(京都から白浜、白浜から知覧への移動)については知らないとしている。
http://www.warbirds.jp/text/ju87/hayate.htm
また上記報告書がまとまる前に、別個に現地担当者との連絡を取った方が、「主翼桁の切断は事実誤認」という発信を2019年3月21日に行っていた。こちらもリンクを貼っておく。
https://readyfor.jp/projects/type95HA-GO/announcements/96657
さて、これらのことから「主翼が切断された事実は無い」と判断されるのだが、それでは逆にいつ、どの時点から「主翼が切断され、二度と飛ぶことができなくなった」という話が生じ、広まっていったのだろうか?私自身はこのような記載があった事例を「成書では」まだ見つけていないが、ネット上では「父親が切断した」という発言投稿を見た記憶がある。今後、見つけたら本記事を更新し、いつ頃から「主翼切断説」が広まったのかを検証してみたいと考えている。
(4) 一式戦闘機III型甲"隼(はやぶさ)"(キ43)のフルサイズ模型 映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年公開)に使われたもので、飛燕を返却したあとの館内遺品室にジオラマ風に展示されている。
(5) 一式戦闘機"隼(はやぶさ)"の9/10サイズ模型 映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年公開)に使われたもので屋外に展示されている。
写真3 一式戦闘機”隼”の9/10サイズ模型。(2020年3月9日撮影)
【かつて展示されていた機体】
(1) 三式戦闘機二型”飛燕”(キ61-II改、製造番号:川崎6117)。日本航空協会保有機を借り受け1986年から2015年8月まで展示していた。返却後は川崎重工(株)で修復作業を施し、現在は岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されている。この機体についても書くべきことは多々あるが、全て省略する。
(2) T-6G(52-0120) T-3(81-5502)設置により従来の展示場所(現在T-3の設置された場所)からグランド脇に移設されていたが、米国製で当地にふさわしくないとの理由で2006年になってから撤去された。
(3) 一式戦闘機II型乙"隼(はやぶさ)”の8/10スケール模型 2006年10月ごろまで展示していたが、隼のフルサイズ模型導入によって2007年中に玉突き的に芦屋基地航空参考館へと移設された。芦屋基地では現在も見ることができる。
・本Blogでの参考記事;
【福岡県】空自 芦屋基地の展示機 - 用廃機ハンターが行く!
以上