<編集履歴> 24Apr.2021公開、20Sep.2023見直し更新(第8回目、飛燕の写真を差し替えた)
【はじめに】
本記事では岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に関する三部構成の記事の第三部として館内にある回転翼機、戦中戦前の機体、人力飛行機、非公開の収蔵機、過去に展示されていた機体について紹介する。また個人的な所感、運営に関する話など「その他」の話も収録する。
・博物館の概要や行き方、屋外展示ついてはこちら:
【岐阜県】岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(その1、概要と屋外展示機) - 用廃機ハンターが行く!
・大ホールにある戦後の固定翼機についてはこちら:
【岐阜県】岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(その2、屋内展示の戦後の機体) - 用廃機ハンターが行く!
【回転翼機】
(1) 川崎ベル47G3B-KH4 (JA7110、製造番号2193) 川崎航空機工業(株)(現在の川崎重工業)がBell47G3Bのキャビンやセンターフレームを全面的に再設計・改造した小型ヘリコプターで、原型のBell47G3Bよりも定員が1名増えて4人乗り(前席1、後席3)となった。また燃料タンクの容量を163Lから208Lに増加させたことで航続距離も延伸している。ここまで改設計しても形式名に「ベル47G3B」を入れるのか?とか、本家ベル社とはどのような契約を取り交わして製造したのかなど調べると面白そうだ。初号機(JA7340、製造番号2000)は1961年9月から製作を開始、1962年8月2日に初飛行した。登録はそれに先立つ1962年7月27日付となっている。初号機は1984年8月17日に鹿児島県日置郡日吉町で不時着時大破して10月12日付で抹消されている。展示されているJA7110号機は1971年12月14日に登録、1992年 5月 6日付で登録抹消された機体だ。
マニアの調査だと生産機数は製造番号2000~2210の211機だが、このうち2機(2147と2207)が部品取りのため完成機として登録されていないため「最終生産数」は209機となる。一方で「川崎重工岐阜工場50年の歩み」(1987年発行)には 「合計203機生産」と記載されているそうだ。どちらが正しいのか、どなたか検証していただけるとありがたく思います。この話などはヒコーキ雲さんに詳しく紹介されています。
日本におけるベル47ヘリコプターの歴史 3 47G3B-1 47G3B-KH-4
・本機の技術論文です;
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1953/12/120/12_120_7/_pdf/-char/ja
写真1 川崎航空機工業が再設計した「日本独自」のヘリコプター。(2019年11月11日撮影)
(2) 川崎KHR-1 (2500) 川崎航空機工業(株)(現在の川崎重工業)がリジッド・ロータ(ローターとも書くが、ここでは最後を延ばさない)の実験/特性評価用として1968年に1機だけ製造したヘリコプター。(1)で紹介した川崎ベル47G3B-KH4のロータはシーソー式の2枚ロータだが、本機は3枚ロータとし、かつ取付部分を独自に開発した特殊鋼製板バネ式ハブの「リジッド・ロータ」(無関節ロータ)に交換している。試験の結果、リジッド・ロータの良好な操縦性が実証され、このリジッド・ロータをベースにして新たにKH-7ヘリコプターの開発が進められたが、オイルショックの影響により開発は中断されてしまった。この時に得られたリジッド・ロータのノウハウは、その後のBK117やOH-1の開発に貢献しているという。
・見るべき点はこちらのサイトに詳しい:KHR-1
・本機の技術論文です;
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1969/19/207/19_207_138/_pdf/-char/ja
写真2 リジット・ロータ実験機KHR-1。(2019年11月11日撮影)
(3) OH-6J改 (31058/ SD / TRDI) OH-1開発の前段階に無関節ローターの試験を行った機体。メインロータ軸と4枚のローター羽の接合方法に注目する。機首に標準ピトー管を取り付けたOH-6J自体は珍しいし、装備としては目立つが単なる計測装置なので、こちら(標準ピトー管)はそれほど注目しなくてもイイ。本機は試験終了後に元の姿に戻され、用廃後は北海道日高弾薬支処に展示されていたが、1995年7月に各務原市が展示用に新しい(用廃機の)OH-6を茨城県土浦市の武器補給処(霞ヶ浦駐屯地)で受領し、これを日高に運搬して現地の機体と差替えるという形で入手した。日高からはトラックで小樽に運び、小樽から敦賀まではフェリーで航送、敦賀から博物館までは再びトラックで陸送というルートではるばるとやってきた機体だ。その後、川崎重工に整備を依頼したところ、過去の様子は微塵もなく「新品のように」ピカピカにされてしまったというオチがある。歴史のある機体をどのように遺すかという点で教訓となる事例だろう(注:古い機械や道具を綺麗にしてただ遺すのではなく、その機械がどのような使われ方をしてきたのかという文化人類学的な視点を加味して、傷跡やすり減った様子までも遺そうという考え方は1980~1990年代ごろから日本とドイツで提唱され始めたという。しかし本事例のように「展示に際してキレイに再整備」されてしまうケースが多いのが現状のようだ)。さらには開館当初は通常のOH-6J形態であったが、明野駐屯地にて保管されていた試験用ロータを見つけ出してきて、これを「防衛庁(当時)」から借用し、ボランティアの協力により13か月をかけて2004年には「複合材ヒンジレスロータ実験機」を復元させてしまった。その過程の詳細は博物館ボランティア小山澄人氏のサイトに詳しく掲載されているので、ぜひ一度は読んでみていただきたい。少々長い記事だが、展示されている機体のどこをどのように復元したのか、多くの写真で紹介している。日付も克明にしるしてあるので、工作にどのくらいの時間がかかったかを知る手掛かりにもなる。
・参考図書:「航空機を後世に遺す」横山晋太郎著、グランプリ出版(2018)
・小山氏のサイトはこちら;
写真3 ローター改良のための試験機となった31058号機。機体は北海道で展示機となっていたものを移送し、注目すべき複合材ヒンジレスローター部分は13か月をかけてボランティアが復活させた。(2019年11月11日撮影)
(4) 川崎BK117 (JQ0003) FBW とGPSを組み合わせた次世代飛行制御システム実験機。赤い機体は普通のものとは違うのだよ!
・本機に関する技術論文は複数発表されているが、ネット上で無料で内容を読むことができる邦文は次のものだけのようだ。:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1969/41/477/41_477_569/_pdf
余談ながら改装前にはBK117の静強度試験機を改造した「体験搭乗機」が設置されていたが、これは川崎重工に返却したとのこと。(こやまの航空宇宙博物館雑記帳より)
写真4 (2019年11月11日撮影)
(5) 川崎BK117A-4 (6001/ATLA) 元防衛装備庁の機体で2023年2月23日早朝に岐阜基地から搬入された。「体験搭乗用」の機体が少ないとの理由で導入されたもので後席はいつでも自由に入れるという触れ込みだったが私が訪問した際には「メンテナンス中」で立入禁止だった。メインローターは外して機体後部に展示してある。
写真5 「体験搭乗」用に入手したBK117。(2023年4月7日撮影)
(6) XOH-1 モックアップ OH-1開発の際に作られた木製の全機模型。OH-1初号機が用廃となった際には実機の差異を確認できるように両方とも展示されるとイイな・・・と、個人的には思っている。
・OH-1に関する技術論文のリストはこちらのサイトに超詳しく掲載されている。2006年以降更新されていないようなので、いつまでサイトが残っているかしらん?
写真6(2019年11月11日撮影)
【戦中・戦前の機体】
(1) 三式戦闘機(川崎キ-61)”飛燕” 以前は知覧で展示されていた機体。2023年3月25日付で日本航空協会の重要航空遺産に認定された。
写真7 日本航空協会の重要航空遺産に認定された三式戦闘機、川崎キ61”飛燕”。(2023年4月7日撮影)
(2) 十二試艦戦(実物大模型) ゼロ戦の試作機である十二試艦上戦闘機の実物大模型
写真8 ゼロ戦試作機「十二試艦戦」。(2019年11月11日撮影)
(3) 乙式一型偵察機(サルムソン2A2)の復元品 右端に展示されているのは国内に唯一残る本機の前部胴体部分。
写真9 乙式一型偵察機(サルムソン2A2)のレプリカ。(2020年12月16日撮影)
(4) ハンス・グラーデ1910年型単葉機(復元品)
写真10 グラーデ機。(2020年12月16日撮影)
(5) ライトフライヤー(実物大模型)
写真11 (2018年8月19日撮影)
※上記以外にグライダーや軽量飛行機などがあるが、正しく把握していないので記載を省略する。
【その他】
(1) 航技研VTOL Flying Test Bed 国内で初めてのVTOL試験機。「鉄骨架台に椅子とエンジンと燃料タンクが据え付けてあるだけ」で、なんだかワケが分からずに通り過ぎるような存在だが、貴重な技術遺産の一つ。「こんなモノから始まった!」のだよ。
写真12 NALのFTB。改装前に撮影した写真であり、現在とは展示位置が異なっているが、構造がよく分かるので掲載する。(2008年1月3日撮影)
(2) 日本大学N-70シグナス 1970年度設計、1971年12月初飛行した卒業研究製作機(理論実証機)。各種データ取得用の試験機や量産・販売を狙った機体ではない。学生でもこのくらいは作れる、という見本か。
写真13 (2019年11月11日撮影)
(3) 人力飛行機HYPER-CHick "Ko To No Limited” 1992年7月に女性パイロットにより119.045mの日本新記録を達成した機体
https://userweb.www.fsinet.or.jp/active-g/kotonoplaza/kotonoplaza_3_1.htm
写真14 マトモに撮影していないので、F-4EJ改が展示されたら再訪して撮ってこようと考えている。→2023年4月7日の訪問時には撮影してくるのを忘れた。(2019年11月11日撮影)
【収蔵機】
(1) T-1A (85-5801) 元は芦屋基地に展示されていたT-1の初号機。開館時に入手すべく自衛隊側と交渉したものの、この時には入手できずに810号機を入手して現在も展示中だ。その後、芦屋基地が廃棄するという話を聞きつけ、短期間のうちに予算の目途をつけて「救った」という経緯のある機体。シロウト目にも国内航空開発史上、きちんと後世に残すべき国産ジェット練習機の1号機だと思う。予算と展示場所の関係なのか、その後も眠りについたままなのは本当に残念に思う。
以上