用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

航空自衛隊のB-65の引退年は何時?

<編集履歴> 26Dec.2023公開

 

【概要】

 ネット上の記事を読むと、航空自衛隊で使用していたB-65の引退年を「1998年」とするものと、「1999年」とするものがある。過去に出版された書籍を調べたところ、それぞれの表記があることが判ったが、本当の話は判らなかった。

写真1 福島県のOld Car Center KudanにあるB-65(03-3093号機)。入間基地に3機配備されていた機体のうちの最後の一機で、1998年2月3日に最終フライトを行った。これをもって入間基地におけるB-65の運用は終了したが、那覇基地には可動機がまだ残っていた。(2021年12月11日撮影)

 

【本文】

 航空自衛隊では大型機操縦者の訓練のためにB-65を5機調達し、これらを海上自衛隊に委託して操縦教育を実施していた。その後、海上自衛隊では訓練機をB-65からTC-90に更新することなり、「不要となった」B-65を1980年3月4日付で航空自衛隊に返還した。航空自衛隊では、これら5機のB-65を入間基地の航空総隊司令部飛行隊と那覇基地の南西航空団支援飛行隊に配備して運用していた。

 さて、ここで本題である。

航空自衛隊ではいつまでB-65を運用していたのか?」

<入間基地における運用の調査結果>

(1) 航空情報誌1998年5月号p.91のDomestic Newsのページには03-3093号機が着陸する際のショットが掲載されており、「2月3日、ラストフライトを終え、入間基地に着陸する総隊司令部飛行隊のB-65(中略)、入間に3機、那覇で2機が使われていて(中略)、着陸後、簡単な退役式が行われた。」というキャプションが添えられている。

(2) 「ヒコーキ雲」さんのサイトにて本機の略歴を見ると、「1998年3月25日 総隊飛行隊で用途廃止」と記載されている。(個人的にはラストフライト実施は2月3日、書類上の用途廃止日が3月25日なのだろうと考えている)

(3) 同年(1998年)11月3日の入間基地航空祭で展示されたB-65には「1968-1998」という内容の特別塗装が施されており、この塗装のままでスクラップとなっている(本機は後にスクラップ業者から回収され、復元して現在も福島県のOld Car Center Kudanに展示されている。

写真2 福島県のOld Car Center KudanにあるB-65(03-3093号機)に遺されたスペシャルマーキング。海上自衛隊で運用していた1969年から1998年を記している。海上自衛隊202ATS(徳島)のマークが張られているのは、この基地で運用されていたため。(2021年12月11日撮影)

 

那覇基地における運用の調査結果>

(1) 那覇基地におけるB-65の最終飛行に関する記事は航空情報誌と航空ファン誌からは見つけることができなかった。

(注:新橋の航空図書館には当時のエアワールド誌は無く、確認することができなかった。航空ジャーナル誌は1988年7月号をもって休刊となっていたため、調査対象外)

(2) 「ヒコーキ雲」さんのサイトにて、那覇基地ゲートガードとなっている03-3095号機の略歴を見ると、「1998年7月16日 用途廃止」と記載されている。

(3) 那覇基地に展示された03-3095号機の前の説明板には「平成11年3月ラストフライト・・・」との文言がある。平成11年とは1999年だ。近年では本機を含め、那覇基地のゲートガード機周辺は航空祭時であっても立入禁止エリアとなっているため、私自身が直接確認したことはないが、この説明板の記載内容は「ヒコーキ雲」さんのサイトに写真が掲載されている。

航空自衛隊那覇基地

写真3 那覇基地のゲートガードとなったB-65(03-3095号機)。那覇基地からB-65が引退したのは1998年か、それとも1999年か?これを確認できる資料はみつけていない。(2023年12月10日撮影)

 

航空自衛隊における運用の調査結果>

(1) 「1998年3月1日に全機用途廃止になるまで、連絡、人員/軽貨物輸送機として使用した。」(「自衛隊機年鑑」p.118、イカロス出版(2016年1月20日発行))

(2) 「1998年3月1日に全機用途廃止になるまで、連絡、人員/軽貨物輸送機として使用した。」(注:上記(1)と全く同じ文言が記載されている)(「自衛隊機全集」p.118、イカロス出版(2021年12月5日発行))

(3) 「総飛からは1998年に、南混団からは1999年3月1日付で最後の1機が退役し、全機用廃になった。」(航空ファンイラストレイテッドNo.108,(1999 Autumun)「自衛隊航空機 ALL CATALOG」p.41、文林堂(1999))

(4) 「JAPANESE MILITARY AIRCRAFT SERIALS 2000」(J.A.R.G.編)を見ると、航空自衛隊のB-65の運用期間は「1980-1999」となっている(上述の通り、海上自衛隊から返還されたのは1980年3月4日付)。

 

【考察】

 航空自衛隊で運用していたB-65の用廃時期について、ネット上には1998年説と1999年説が混在している。過去に出版された書籍を確認したところ、イカロス出版の出版物では「1998年」、文林堂出版物では「1999年」と記載されていることが原因と考えられた。

 

 入間基地で運用していたB-65の退役は1998年2月3日とすることに間違いはないだろう。問題となるのは那覇基地で運用されていた機体の退役時期だ。最終フライトは「1998年3月1日」か、それとも一年後の「1999年3月1日」なのか?

 すなわち1997年度末(1998年3月1日)に5機全機が退役したのか、それとも入間基地では1997年度末(1998年2月3日)に運用を終え、那覇基地では翌年度(1998年度)末の1999年3月1日に運用を終えて航空自衛隊から姿を消したのか?

 これを確認できる記事や資料をみつけることはできなかった。

 なお、那覇基地ゲートガードとして展示された機体の前には平成11年(1999年)3月にラストフライトを行った旨の解説板が設置されている。自衛隊の広報展示物に添えられた説明文の日付等は、自身の持つ記録からではなく、手持ちの雑誌等から引用して書かれていることがしばしばある(経験的に確認している)。このため歴史調査に際しては「参考とするけれども、100%の信用はしない」ことが前提となる。何か別な記録から、これを裏付けることが必要になるのだ。

 ヒコーキ雲さんには03-3095号機の用廃時期が1998年7月16日とされている(1998年度用廃)ため、1997年度末の全機退役はあり得ず、「1998年度末(1999年3月)全機退役」という説が正しいように思われる。

 このため、本Blogでは「航空自衛隊のB-65は1999年3月1日で退役した」という航空ファンイラストレイテッド記載の日時を支持する。

 

 国内事案においては「**年」と「**年度」を混同する事例が多数生じており、歴史的事実の検証を行う際の障害となっている。今回の事案も「1998年度用廃(1999年3月用廃)」ということであれば、何ら問題はないのだろう。「年」と「年度」を間違えたのか「98年」「99年」の誤植なのか。いつかはハッキリさせたいと思っている。

 

・参考/本Blogにおける関連記事;

航空自衛隊 連絡機、救難機、その他の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

【福島県】オールドカーセンター・クダンの展示機 - 用廃機ハンターが行く!

【沖縄県】空自 那覇基地の展示機 - 用廃機ハンターが行く!

写真4 福島県のOld Car Center KudanにあるB-65(03-3093号機)の胴体に遺されたスペシャルマーキング。消えかけているが「Rainbow Monster / IRUMA AIRFESTIVAL / 1998. 11.3」と読める。引退した年(1998年)の11月3日に開催された入間基地航空祭に展示された際のマーキングだ。(2021年12月11日撮影)

 

【情報求む!】

 読者の皆様の写真コレクションに、「1998年度中」に稼働している那覇基地南西航空団支援飛行隊所属のB-65の写真があるようでしたら、ご一報いただければ幸いです。また、当時の那覇基地内新聞などでB-65退役の様子が取り上げられているものがありましたら、その日付(最終飛行にともなうセレモニーの実施日、あるいはこれを伝える基地内新聞の発行日)などをお教えいただければ幸いです。

以上