<編集履歴> 13Nov.2020 公開(海上自衛隊 回転翼機の展示機より分離独立)、
11Dec.2024見直し更新(第27回目、2024年12月6日全廃)
【はじめに】
海上自衛隊の救難ヘリコプターUH-60Jは1991年12月に初号機が納入され、最終的には8961-8979号機の19機が調達された。
2024年7月初旬時点では3機が硫黄島にて運用されていたが、SH-60K(救難仕様)2機の配備に伴い、75号機と76号機は7月中旬に館山航空基地に戻ってきた。両機は7月21日に開催された館山航空基地祭”ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA”にて最終フライト展示と除籍式を行って除籍(用廃)となった。残る8979号は2024年12月6日に館山航空基地にて除籍セレモニーが行われ、海上自衛隊におけるUH-60Jの運用は終了した。
本機種で展示機や訓練機となった機体は存在しておらす、また、事故抹消機も無い。昨今の人手不足の折に、維持管理にもそこそこの人手のかかる展示機とすることは考えにくい。実機の存在しなくなるであろう本機種について、いくらかの記録を残すことを目的として本記事を書き残すことにする。
写真1 八戸航空基地祭でデモフライトを行う第73航空隊大湊分遣隊の8973号機。(2008年9月6日)
【回転翼救難機の運用一本化方針】
さて、私は中期防衛力整備計画(平成23年度~平成27年度、p.7の下から3行目)に回転翼救難機は航空自衛隊に一本化する旨が書かれていたため「2019年度末頃には全機が退役する」とアチラコチラで吹聴してきた(ええ、私がデマの発信源です)が、結果的にはそれから5年が経過した2024年度まで運用が続けられていた。財務省が2020年1月に発行した「予算執行調査資料 反映状況票(令和2年度予算政府案)」にも「海自のUH-60の除籍に合わせた、空自への一元化を推進中である」との一文がある。
写真2 館山基地にフォーメーションのままアプローチするUH-60J。(2009年5月31日、館山航空基地祭にて)
【海上自衛隊回転翼救難機の運用は継続】
回転翼救難機を航空自衛隊での運用に一本化する方針であったが、調整の結果、硫黄島をベースとした救難活動に於いては海自が引き続き行うこととなった。このため、海自型のUH-60Jの追加購入は行わず、SH-60Kから対潜機器を外して「SH-60K(救難仕様)」としたうえで、これを運用することになった。2020年度予算にて2機、2021年度予算で1機、2022年度予算で2機(12億円)の合計5機を改装して、海自硫黄島基地で運用する予定だ。ちなみに海上自衛隊隊の硫黄島航空分遣隊が航空救難を行う根拠は「航空救難に関する訓令」第3条による。こんな根拠は「空自が行う」と書き換えれば済むハナシなのだが・・・。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1960/ax19601224_00056_000.pdf
2020年度予算で改装された2機のSH-60K(救難仕様)(8455, 8457号機)は2023年度中に納入された。2021年度予算による3機目の改装機(8461号機)は2024年10月には試験飛行を開始している。この機体の納入/配備と引き換えに、最後に残るUH-60J(8989号機、最終号機)が除籍となり、海上自衛隊におけるUH-60Jの運用は終了した。
写真3 レスキューデモ中のUH-60J。(2016年7月30日、館山航空基地祭にて)
写真4 容易に哨戒型(通常型)に戻せるよう、最小限の改修を施したSH-60K(救難仕様)。吊下型ソナーを取り外してあるため、機体下面のソナー用の穴が塞がれているのが外見上の大きな特徴だ。細かいトコロでは対潜哨戒関連の装備がいくつか外され、機内には増槽タンクが設けられている。
【UH-60J用廃時期】
UH-60JのIRAN終了時期から考え、各機体の用廃時期はおおむね以下のようになるものと考えている(公式発表があったものは、その時期を記載する)。なお海上自衛隊では航空機として使用しなくなる際に「機体を”除籍”する」と称しているようだ。「除籍」の定義となる文書を、まだ見つけていないが、本Blogでは「除籍」イコール「用廃」とし、原則としては「用廃」という用語を用いる。(他の海上自衛隊機についても同様)
・8961~8969 本Blogの立ち上げ前の2019年度末までに用廃
・8970 2020年9月30日に用廃
・8971 2021年1~3月度ごろに用廃と推定
・8972 公式Twitter2023年4月5日付で除籍式の報告あり。第22航空群最後のUH-60J
・8973 2023年1月度に用廃と推定(新聞記事より)
・8974 2023年10~12月度ごろに用廃(推定)→→2024年7月21日格納庫内にて部品取り作業中
・8975 2024年7月21日、航空祭にて最終フライトを実施し、用廃
・8976 2024年7月21日、航空祭にて最終フライトを実施し、用廃
・8977 2022年2月度に用廃→2024年7月21日時点で基地内放置中
・8978 2022年2月14日用廃→2024年7月21日時点で基地内放置中
・8979 2024年12月6日除籍セレモニー実施(2023年1月31日頃に三菱小牧にて最終PAR終了)
写真5 格納庫の中で部品を外され、埃まみれ、鳥の糞だらけになって置かれていた用廃UH-60J。(2019年7月27日館山基地にて撮影)
【UH-60J在籍機数の推移(主として防衛白書の資料より、記載年度末時点での機数)】
2020年度末 8機
2021年度末 6機 第224飛行隊(大村)解隊。
2022年度末 4機、第213飛行隊(館山)解隊(2022年4月1日)、第22航空隊鹿屋分遣隊廃止(2023年1月)
2023年度末 3機、全機を硫黄島航空分遣隊で運用、SH-60K(救難仕様)2機納入
2024年度末 0機(SH-60K(救難仕様)3機目納入予定)
写真6 館山基地の片隅に置かれた用廃UH-60J/SH-60J。手前の8966号機には第73航空隊の"73"、奥の8969号機には第21飛行隊の”21”が記入されていた。(2020年11月25日、館山基地にて撮影)
【余談】
2024年7月21日の館山航空基地祭にて、「色付きのヘリ(本機種のこと)を見たのは初めてだ!」という声が若い撮影者のグループから聞こえてきた。本機種を知らない世代が航空祭にやってくる時期になったんだなぁ。その日の夕方には、同世代の知人と夕食を共にした際に、親子喧嘩にて「お父さんは昭和生まれでしょ!私は平成生まれだモン!」と言われたという話を耳にして、世代交代の実態をオッサン(1963年生)は改めて認識したのであった。ファントムを知らない世代が航空祭にやってくるのも、間もなくのコトなのだな。ちなみに私は厚木でF-8を見たことが無い!とか、入間でRF-86Fを見たことが無い!とか、百里のF-104部隊(206sqn.と移動前の207sqn.)を見たことが無い!と、当時言われていた世代です。
写真7 「UH-60Jが3機も並んでいた時があったなんて信じられな~い!」「いや、フツーだったでしょ」と、オッサンは思う。(2009年5月31日、館山航空基地祭にて撮影)
以上