用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

【福岡県】空自 芦屋基地の展示機

<編集履歴> 29Apr.2021公開、13Sep.2021見直し更新(第6回目、写真追加)

 

<場所 Place> 〒807-0133 福岡県遠賀郡芦屋町大字芦屋1455-1

航空自衛隊 / 芦屋基地 -Ashiya Air Base- | [JASDF]航空自衛隊

<座標 Location>  33.8894N, 130.6637E 

<訪問日Visit>  28Nov.2010, 18Feb.2018, 04Sep.2022ほか 

<行き方 Access> 

(1) JR鹿児島本線 遠賀川駅から芦屋タウンバスで自衛隊前バス停にて下車。
所要時間約20分。バスはすべての系統が自衛隊前を通過する。朝夕は概ね30分に1本、日中は概ね1時間に1本程度の便がある。

<解説General>

(1) 第13飛行教育団のT-4による訓練基地。航空救難団のU-125AとUH-60Jも配備されている。第5、第6高射隊などもあるが、本記事での紹介は割愛する。基地内に5機の展示機と1機の消火訓練機がある。例年10月後半ごろに航空祭が行われるので、その時が展示機撮影のチャンスだ。(コロナの影響により2020年度は中止、2021年度は開催未定)

(2) 展示機は基地正門奥にあるが、F-1のみは消火訓練機なので基地の奥の別の場所(33.8838N, 130.6624E)に置いてある。この場所は基地祭の時には遠賀川駅からのシャトルバス乗降場所となる場合があるので運が良ければ基地に入って真っ先に撮影することができるが、非公開エリアになっていた場合には撮影を諦めよう。 

(3) F-86D、H-19C、ナイキJおよびF-1は2021年1月~3月末頃にかけて再塗装された。この時の仕様書を見ると、F-86DとH-19Cの区分は「展示用航空機」、ナイキJの区分は「展示用装備品」、そして”消火訓練用”と前述した三菱F-1の区分は「転用実機教材航空機(F-1)」となっており、明らかに目的用途が異なっていることが判明したが、本ブログでは特に記載しない限りは「展示機」という一括したくくりで表現する。

(4) 2022年9月4日の航空祭時には展示機展示エリアは立ち入り禁止となっており、道路から中望遠ズームレンズで撮影できるのみとなっていた。

(5) 基地内の航空参考館には一式戦闘機ハヤブサII型乙(キ-43II)の8/10サイズ模型やT-1の垂直尾翼、F-4EJの計器類、各種模型や大戦当時の搭乗者の写真(遺影)や手紙などが何点か展示されている。基地祭の時には公開されるので、一度は訪問しておこう。

【展示機 Displayed Aircrafts】 

1. T-1A (05-5812) 先代801号機(戦後の国内ジェット機開発1号機)と交換されて2001年ごろから展示されている。なお801号機を岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に持って行った際の顛末については「航空機を後世に遺す 歴史に刻まれた国産機を展示する博物館づくり」(p.76-77, 207-214、横山晋太郎著、グランプリ出版2018年)に詳しく記載されている。

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写真1 二代目のT-1A展示機である05-5812号機。(2010年11月28日撮影)

 

2. T-6D (52-0002) 10機が供与されたT-6Dのうち、国内に唯一残っている機体。主翼を支柱で支えるほどに状態は悪い。2022年9月4日の公開時には近寄ることができなかったがキャノピー周辺を粗い網で覆っていた。台風11号が接近中だったため、キャノピー可動部が勝手に開かないようにするためのものだろうか。

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写真2-1, 2-2 国内唯一残るT-6D。2022年の基地公開時には近寄ることができなかった。(上:2018年2月18日撮影、下:2022年9月4日撮影) 

 

3. F-86D (84-8106) 物品番号「6990-NL-8105-20-004(F-86D)」。2021年1~3月頃に再塗装された。

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写真3 F-86D。(2018年2月18日撮影)

 

4. F-86F-30 (52-7406) F-86Fはコクピットだけの機体を含めて35機が現存しているが、本機は国内には6機しか残っていない主翼に境界層板のついたタイプの機体だ。ちなみに残る5機は千歳基地小松基地静浜基地岐阜基地防府南基地に展示されている。

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写真4 主翼に境界層板が付いているF-86F-30。(2010年11月28日撮影)  

 

5. H-19C (91-4707) 物品番号「6990-NL-8105-20-008(H-19)」。2021年1~3月頃に再塗装された。20年以上前から機体番号を”91-4777”と記載している。2020年末の再塗装に関する仕様書にて”91-4777”とする旨が明確に記載されていた。H-19Cは1971年に引退しているので展示されてから50年が経過したことになる。もし次回、再塗装することがあるならば・・・、事前に書体(数字の太さや色、0の書き方)などを「仕様書別紙」として使えるレベルで作成して担当部署に送付しておけば元のシリアルナンバーである「91-4707」とする案が採用してもらえるかもしれない。公告が出てからでは遅いので、ヤル気がある方は事前に何度も担当部署と交渉するなど、地道な努力を続けてみよう。

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写真5-1, 5-2 ”91-4777”と描かれているが本当のS/Nは"91-4707"だ。(上:2018年2月18日撮影、下:2022年9月4日撮影)

 

6. F-1 (80-8219) 2021年1~3月頃に再塗装された。2020年末頃に公表された再塗装に関する公告の仕様書(仕様書番号2-芦基LPS-B69064)に記された物品番号は「6998-F1-80-8129」。F-1のシリアル番号をそのまま転用したものと思われるが、本来「80-8219」であるところが「80-8129」と「1」と「2」の数字の順番が違っている。仕様書の誤記なのか登録時の入力間違いで物品番号としては正しいものなのかは外部の者としては確認のしようがないが、何らかの情報公開請求をする際に物品番号を参照することがあるならば気を付けておこう。消火訓練に使われている機体だが、比較的きれいに保たれている。

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写真6-1,6-2 このF-1は広報用展示機ではなく消火訓練用の機体だ。再塗装時の仕様書を見ると登録上の区分は「展示用航空機」ではなく「転用実機教材航空機(F-1)」となっている。(上:2018年2月18日撮影、下:2022年9月4日撮影)

 

7. 地対空ミサイル ナイキJ  物品番号「6990-NL-8105-40-006(ナイキJ)」。2021年1~3月頃に再塗装された。

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写真7 弾頭部側面に「航空自衛隊」と記載されていないと何か物足りない気持ちになるが、再塗装時の仕様書を見ると「航空自衛隊」と書くことは定められていない。(2018年2月18日撮影)

 

【航空参考館の展示物】

(1) T-A(25-5845)の垂直尾翼 写真では見にくいがオレンジ色に塗られたラダーの下部付近に”45-4350”と記されたテープが貼られているが、このS/Nに該当する機体は存在しない。

写真7 T-1Aの垂直尾翼J3エンジンのカットモデル。(2022年9月4日撮影)

 

(2) 一式戦闘機「隼II型乙」の8/10スケール模型。もとは知覧平和会館に展示されていた縮小模型で2006年10月ごろには知覧にあったが2009年9月27日の芦屋基地祭では航空参考館の中に展示されていた。知覧には映画で使用した隼が2機展示された際(2007年)に展示打診があり、これを受け入れたというので、移設は2007年度中のことであったものと思われる。なお知覧に展示されていた当時は撮影禁止となっていたハズで(それゆえ私も写真を撮っていない)、ネット上には許可を得て撮影した写真と文脈から判断して撮影禁止を無視して撮影した写真があるが、いずれにせよ数は多くない。

写真8 一式戦闘機「隼II型乙」の8/10スケール模型。(2022年9月4日撮影)

 

(3) F-4EJの計器数点 アナログ表示機が数点あるが、写真を撮るほどではないと思い、撮影はしていない。

(4) J3エンジンカットモデル。

(5) 大戦当時のパイロットの写真(遺影)、家族にあてた手紙、その他。時間の都合で詳しくは確認してこなかった。

(6) 現行機の模型やブルーインパルス関連の展示。ブルーインパルス東日本大震災の際に芦屋基地に展開しており、津波被害を免れている。その後の約2年ほどは芦屋基地を拠点として築城基地上空などで訓練を行っていたが、この時の様子などが展示されている。 

 

【展示後に移転・廃棄された機体】

1. T-1A (82-5801) T-1Aの初号機は1961年に用廃となってからは永らく芦屋基地に展示されていたが、2001年4月に岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に移設した。この機体はは現在も再組立されることなく保管されているが、その顛末については「航空機を後世に遺す 歴史に刻まれた国産機を展示する博物館づくり」(p.76-77, 207-214、横山晋太郎著、グランプリ出版2018年)に詳しく記載されている。

2. F-104J (56-8663) 2010年以前から全体をライトブルーに塗られていた。2021年7月2日にT-33Aと同時の解体公告があり、2021年8月23日に解体撤去。落札金額は2機分で1,067,000円だった。

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写真9 2021年夏に解体撤去されたF-104J。(2018年2月18日撮影)

 

3. T-33A (51-5610) 2021年7月2日にF-104Jと同時の解体公告があり、2021年8月23日に解体撤去。落札金額は2機分で1,067,000円だった。コクピット部分を残すような形での解体仕様であったが、読者からのコメントからでは(コクピット部分も)ボコボコであり、結局は何も残さずに撤去されたようだ。2022年9月4日の航空祭時に航空参考館を見学したが、やはりコクピットや計器盤の展示は無く、全て廃棄処分されてしまったものと思われる。

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写真10 2021年夏に解体撤去されたT-33A。(2018年2月18日撮影)

以上