<編集履歴> 15Feb.2024公開、20Feb.2024見直し更新(第2回目、見直し実施)
航空自衛隊入間基地の航空祭は、一日で20万人以上の観客がやって来る国内有数のビッグイベントだ。この度、1977年11月3日の航空祭の写真を「発掘」したので、その時の様子を紹介しよう。
当時、私は14歳。中学2年生の時のイベントだ。前年(1976年)に父親に連れられて国際航空宇宙ショー(F-14AやTF-15Aが飛び回った時ネ)を見学し、初めて戦闘機やその他のヒコーキを見て感動してから、初めて一人で行った、(ワタクシ的には)記念すべき航空ショーだ。カメラはオリンパスのPEN D。「ハーフサイズ」のフィルムカメラだ(なんのこっちゃ?と思う人はググってみてください)。
この日は「沖縄よりハリアーが来る」とのウワサがあったが、やってきたのはOV-10Aブロンコでガッカリした/ブルーインパルスは入間で初めて水平開花を実施した/入場者は20万人だった・・・と日記には書いてあった。この頃、すでに入場者は20万人に達していたんだねぇ。
おおむね半世紀前の記録。「う~む、懐かしい」と思いながら眺めてくれる方は、どれほどいるのだろうか?
JASDF Iruma Airshow, held on 3 Nov., 1977.
写真1 ノーズに大きなレドームを付けたEC-46。入間基地に於いては、この年がC-46系統の機体が展示された最後の年になった。誰もが通る道だが、「すごくすごい機体」であることはこのとき認識しておらず、撮影したのはこの1枚のみ。(1977年11月3日)
【地上展示機 Static Display】(北側から南側の順)
(1) P-2J (JMSDF 4735, VX-51) :当時、第51航空隊は下総にいた。
(2) EC-46 (91-1145):Go Navy!さんに当日展示された機体の写真が幾枚か掲載されています。
・参考:BBS II C-46
(3) YS-11FC (12-1160, FC-sqn.)
(4) C-1 (78-1022, 402sqn.): この年の4月に納入されたばかりの機体。38年後の2015年5月に用廃となった。
(5) Blue Impulse F-86F (12-7995/#1, 82-7809/#2, 12-7993/#3, 72-7709/#4, 92-7931/#5, 02-7962/spare)
(6) OH-6J (JGSDF 31090 / E)
(7) HU-1H (JGSDF 41648, 所属不明) :当時は呼称変更前なので”HU-1H”で正しい。
【備忘録】HU-1からUH-1への名称変更の件 - 用廃機ハンターが行く!
(8) T-34A (71-0432, 11FTW):スピンナーの色は青。
(9) NIKE-J:当時の地対空ミサイルですヨ。
(10) T-33A (81-5365, HQ)
(11) F-86F (02-7965, HQ)
(12) T-1B (25-5855, 13FTW)
(13) T-2 (69-5121, 21sqn.) 前期型。垂直尾翼には中白色の松葉マーク。
(14) OV-10A (USMC H&MS-36, WX-13 / Bu. 155424)
(15) C-130E (USAF 72-1288?):下二けたは不鮮明なため、他の情報からS/Nを推定
写真2 銀色塗装で、機体上部にはSKEがまだ設置されておらず、機首脇には「輸送航空団」と書かれていた頃のC-1。(1977年11月3日)
写真3 米海兵隊のOV-10A。在日米軍の機体は、いつごろから展示されなくなったのでしたっけね?(1977年11月3日)
【飛行展示 Flight Display】
(1) F-104J:百里基地(恐らく206sqn.)から、4機ダイヤモンド編隊でワンパス
(2) F-4EJ:百里基地301sqn.から、4機ダイヤモンド編隊でワンパス
(3) F-86F:入間基地総隊飛行司令部(当時)所属機4機によるダイヤモンド編隊パス
(82-7782号機を含む)
(4) C-1:3機✕3編隊の大きな9機編隊でワンパス。7番機となった68-1016号機がカーゴドアを開けてローパス実施。また、別途40名の空挺降下あり(1名試験降下+39名連続降下)
(5) V-107:救難展示機。展示エリアの北側エプロンに置かれた21sqn.のT-33Aのナナメ前にお尻を会場側に向けて置かれており、地上展示機としての配置はなされていなかった。
(5) Blue Impulse:S/Nは地上展示の項で記載した通りだが、観客前での並び順は演技の前後で変化している。すなわち演技前には北側から予備機#5#4#3#2#1の順だったが、戻ってきた際に1番機から予備機の脇に駐機したので、北側から予備機#1#2#3#4#5の順番となったのだ。 本文の最初に書いた通り、「入間で初めて水平開花を行った」と日記には記されている。当時のアナウンスか新聞記事か、あるいは雑誌記事に書かれていたことだろうが、その出典は今となっては不明だ。本当に「入間で初めて」の演技であったのかどうかも、検証のしようがない。
写真4 銀色のC-1による3機編隊が3つ、大きな傘型に並んだ”9機編隊”飛行の一部。PEN-Dの画角は35mm程度のハズだが、全てを収めることはできなかった。(1977年11月3日)
【その他 Others】
(1) T-33A (71-5241 or 71-5244, 21sqn.): 展示機ではなく、展示エリアの北側エプロンにお尻を向けて駐機していた垂直尾翼に松葉マークの機体 。
(2) T-33A (S/N?, 301sqn.): 展示機ではなく、展示エリアの北側エプロンにお尻を向けて駐機していた。
(3) C-1:この日は地上展示機と飛行展示機を含め、合計21機を確認したと日記に残る。うち5機は展示エリアの北側エプロンにお尻を向けて駐機しており、また1機はエンジンテストセルにあった。この時点までに25号機までが引き渡されており、01、02号機は岐阜基地にあったハズ。03号機と04号機は納入から約3年が経過しており、IRAN中だった可能性がある。すなわち入間に配属されていた機体のほぼ全てを見ていたハズだ。
(4) YS-11E(12-1163):正規の展示機では無く、展示エリアの南側奥(現在、EC-1やRC-2が置かれているあたり)に置かれていた機体。YS-11は2機置いてあったようだが、このうち西側の機体の上部にコブがあることから、YS-11Eであると判別できた。YS-11Eは1976年3月に163号機が姿を見せ、次いで1979年2月に162号機が姿を見せたとされる。このため、この日に駐機していたのは163号機で間違いないだろう。
(6) C-46 (51-1101, FC sqn.):こちらも正規の展示機では無く、展示エリアの南側奥(現在、EC-1やRC-2が置かれているあたり)に置かれていた機体。Go Navy!さんに写真が掲載されている。
・参考:BBS II C-46
写真5 松島基地第21飛行隊のT-2前期型。この時点でT-2は42号機あたりまでが引き渡されていたハズで、2番目のT-2教育飛行隊である第22飛行隊を編成中だった(第22飛行隊の発足は1978年4月5日)。(1977年11月3日)
以上