用廃機ハンターが行く!

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【台湾】中国からの亡命機の展示

<編集履歴> 19Feb.2021公開、19Feb.2022 見直し更新(第5回目、写真追加)

 

 1960年1月1日以降、中国から台湾へ「軍用機」で直接あるいは間接的に亡命を試みた事案は13件が確認されている。このうち1960年1月12日の事案では台湾東北部の宜蘭までMiG-15で飛来したものの墜落し、パイロットは死亡している。6件の事案では韓国内に着陸し、亡命を希望した搭乗員は後日台湾に移送されている。これら6件の機体については別稿、韓国への亡命機の記事を参照していただきたい。

【特集】行こう、逝こう!韓国へ!!(亡命機一覧) - 用廃機ハンターが行く!

 残る6件は台湾内に機体が直接飛来した事案だ。亡命時に使用された6機は永らく軍史館前の軍機展示場に展示されていたが、現在では全機が航空教育展示館内に展示されている。 

 さて亡命事案とは全く異なる話となるが、1990年2月には基隆港に放置された木箱の中から正体不明のMiG-21F(1機)が発見された。調査を行うも全てが不明なまま、機体は空軍に引き渡され、前述の亡命機同様に展示されている。

 本稿ではこれらの機体について紹介するが、毎度ながら機体の素性などは軽く記載するのみなので、ウンチクを知りたい・語りたい方はこちらを参照してください。

反共義士 - 维基百科,自由的百科全书

List of Cold War pilot defections - Wikipedia

  最後に民間機を利用した亡命事案も発生しているが、本Blogではこれらの事案については一切触れない。このため「中国から台湾への亡命事案」を述べるつもりで本Blogの記載内容を引用したりコメントする際には、記述の際の定義や条件に注意していただきたい。

 

<亡命機(亡命日順)>

1. 1962年3月3日、劉承司少尉の搭乗したMIG-15bis(1765)が桃園基地に着陸・亡命した。  

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写真1,2 上は軍機展示場に置かれていた頃のMiG-15。下は現在、航空教育参考館にある同機だ。(上:2006年6月17日、下:2017年11月26日撮影)

 

2. 1965年11月11日、李顯斌、李才旺および廉保生の搭乗するH-5(IL-28, 0195)は杭州筧橋基地を飛び立ち、桃園基地に着陸した。着陸時に滑走路を外れて機体は中破。李才旺は両足を骨折した。亡命を希望していなかった廉保生は着陸後に自殺した。機体は修復されて展示されている。

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写真3,4 中破した機体はきれいに修復されているが、表面の継目が少なくツルツルという感じだ。(上:2012年12月23日、下:2017年11月26日撮影)

 

3. 1977年7月7日:范園焱の操縦するJZ-6(中国製MIG-19の偵察型, 3171)は福建晉江基地を飛び立ち、台南基地に着陸・亡命した。教育参考展示館への展示に際して増槽タンクは外された。

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写真5,6,7 JZ-6は中国製MiG-19の偵察型。主翼前縁、機関砲の下あたりの胴体下面にカメラ窓がある。(上:2006年6月17日、中、下:2017年11月26日撮影)

 

4. 1983年11月14日、王學成(当時28歳)がJ-5(中国製MIG-17, 83065)を操縦して浙江省岱山機場を飛び立ち、午前10時12分ごろに桃園国際空港に着陸、亡命した。

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写真8,9 現在は航空教育展示館内に吊り下げられているJ-5。(上:2006年6月17日、下:2017年11月26日撮影)

 

5. 1987年11月19日、劉志遠の操縦するJ-6(中国製MIG-19, 40208)は福建龍溪基地を飛び立ち、台中CCK基地に着陸・亡命した。

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写真10,11 全翼遊動式の水平尾翼の取付状況を隣の40307号機と比べてみよう。(上:2006年6月17日、下:2017年11月26日撮影)

 

6. 1989年9月6日、蔣文浩中尉(23歳)が福建漳州龍溪機場よりJ-6(中国製MIG-19, 40307)に搭乗し、金門尚義­機場に着陸・亡命した。なお亡命日を16日とする記述がいくつかのサイトに見られるが、多くの記事などからこれは誤りだ。また年齢を「24歳」あるいは「24歳未満(不満24歳)」と記述するサイトがある。これは蔣文浩が1965年12月3日生まれであり、亡命時には23歳9か月であったことに起因する。

 なお次のサイトや台湾通信社の配信記事、およびいくつかの個人サイトでは本事案の発生日を「9月16日」としているが、明らかに誤記と判断し、本Blogでは「9月6日」として扱う。

日付が間違っていると思われるサイト;國軍與解放軍間的駕機叛逃事件 - 维基百科,自由的百科全书

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写真12,13 亡命日が誤って伝えられていることが多いJ-6の40307号機。(上:2012年12月23日、下:2017年11月26日撮影)

   

【正体不明のMiG-21】

 基隆港に放置された宛先不明の木箱から1990年2月に発見されたMIG-21F(2318)。亡命機ではなく「遺失物」という扱いだろうか。ハンガリーの国籍表示があるものの、その素性は製造番号を含めて全てが不明のまま空軍に引き渡された。現在は館内に吊り下げられて展示されているが、軍機展示場で屋外展示されていた頃の写真に見える翼下のミサイルランチャーは軽量化のために外されている。

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写真14,15 航空教育展示館での展示に際して翼下のランチャーは外された。(上:2006年6月17日、下:2017年11月26日撮影)

  

【参考:中国にある台湾軍機】

 台湾から中国に亡命した機体は少なくとも7機ある。このうちの3機(F-86F、T-33A、U-6A)は北京の中国人民革命軍事博物館にが展示されている。また亡命したF-5EとF-5Fの2機が北京近郊の中国航空博物館のトンネル内に展示されている。

以下に記す亡命日は読者ガメラさんの投稿に基づくもので、私自身の確認はまだ行っていない。(確認後にこの一文は消去する予定です。2021年2月21日記)

中国人民革命軍事博物館に展示されている台湾からの亡命機>

1) F-86F 6272/24441 1963年6月2日に第二聯隊11大隊43中隊の徐廷澤上尉が亡命

2) T-33A 3024 / 55-3024 1969年5月26日亡命、62-**71と尾翼に記載

3) U-6A 8018 / 54-1725 1983年4月22日亡命

 

<中国航空博物館に展示されている台湾からの亡命機> 

1) F-5F 5361 / 70343 1981年8月8日亡命

2) F-5E 5120 / 74-0977  1989年2月11日亡命時に燃料切れとなったため、パイロット林賢順は脱出・落下傘降下しており機体は大破した。焼け焦げた残骸の一部と青天白日旗が2/3程度見える主翼の破片が中国航空博物館に存在していた。この残骸の様子は「中国名机珍蔵 Aircraft Treasures of China」(中国民航出版社1998年11月出版、p.114)に掲載されている。現在も公開されているかどうは不明だ。ネット上の写真はは見つけていない。「中国名机珍蔵 Aircraft Treasures of China」は東京新橋の航空図書館の蔵書となっており閲覧可能だ。

 

<機体の現状が判らない台湾からの亡命機>

1) F-47N 233 1955年5月18日亡命

2) AT-6 106 1956年8月15日亡命

 

<参考:撃墜された台湾空軍のU-2>

中国人民革命軍事博物館には撃墜された台湾空軍のU-2C(S/N?)の残骸が展示されている。

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写真16 中国人民革命軍事博物館にある撃墜されたU-2の残骸。インテーク前に青天白日旗が見える。現在はリニューアルされた館内に展示されている。(2013年12月22日撮影)

 

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写真17 航空教育展示館のJ-6(40307)を後方上から。(2017年11月26日撮影)

 

以上