用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

海上自衛隊 P2V-7とP-2Jの展示機

<編集履歴> 24Dec.2022公開(「海上自衛隊固定翼哨戒機の展示機(??Aug.2018Mixiにて公開、21Feb.2019はてなBlogに移設)」より分離独立)、20Nov.2023見直し更新(第2回目、文書見直し、写真差し替え)

 

 海上自衛隊では2000年前後ごろから任務内容が「潜水艦の哨戒」から「広義の哨戒」となったため「対潜哨戒機」の呼称をやめ、「哨戒機」としている。このため本Blogでは原則としてP-3C以前を「対潜哨戒機」、P-3Cおよび以降の機種を「哨戒機」と記載する。

P2V-7】
 1956年より16機がアメリカより供与され、その後48機が川崎重工(株)で製造された。4637号機がP-2Jの初号機(4701)に改修され、また、4655号機がVSA可変特性実験機に改修された。事故により9機が抹消されている。P2V-7は1982年5月頃までに退役し、VSA実験機も1982年度末には用廃となった。国内に残るのは鹿屋基地の航空史料館に展示されている4618号機のみだ。屋外展示のために保存状況は好ましいとは言えない。早めに訪問して記録に残しておこう。

写真1 退役間近な頃に厚木基地に飛来したP2V-7。私自身が”生きている”P2V-7を撮影したのはこの一枚だけなので、記録として紹介する。(1982年2月10日撮影)

 

写真2-1, 2-2  国内に唯一残る鹿屋基地史料館のP2V-7。保存状況はかなり悪いように見受けられた。キャノピーには白いコーティングをしているのだろうか。(上:2008年5月17日、下:2022年1月20日撮影)

 

【P-2J / UP-2J】
 1971年にP2V-7(4637)を改造した初号機が納入され、1994年までに初号機を含む全83機が損耗することなく退役した。運用期間中に4機がUP-2Jに改修され、また1機は外見はほぼ変わらないものの飛行特性を変更できるVSA機に改修され第51航空隊にて各種の飛行データ取得やテストパイロット教育に使用された。現在はP-2Jの全機展示機が3機、機首部分の展示が2機分、合計5機が存在する。電子戦訓練機や標的搭載・運用母機となったUP-2Jは残されていない。

<展示機・教材機>  
(1) 4701 東京都江東区の個人宅にP-2J初号機(元P2V-7の4637号機)の機首部分のみが飾られている。

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写真3  個人宅に展示されているP-2J初号機の機首。(2017年4月22日撮影)

 

(2) 4770 操縦席部分を鹿屋基地航空史料館内に展示している。

写真4  鹿屋基地史料館内にある4770号機の操縦席部分。(2022年1月20日撮影)


(3) 4771 鹿屋基地航空史料館屋外にある。

写真5 鹿屋基地史料館で屋外展示となっている4771号機。(2022年1月20日撮影)


(4) 4782 岐阜かかみがはら航空宇宙科学館の屋外に置かれている。

写真6 屋外展示となっている4782号機。(2019年11月11日撮影)


(5) 4783 最終号機。鹿屋基地航空史料館屋外にある。

写真7 鹿屋基地史料館で屋外展示となっているP-2Jの最終号機(4783号機)。(2022年1月20日撮影)

 

【教材として使用後(おそらく)廃棄】

(1) 4774号機が下総基地第3術科学校にて大型機のハンドリング訓練/擱座機撤去訓練用として使われていた。本機は格納庫入口の高さの都合で垂直尾翼先端部を切欠いていた。また翼端の探照灯/補助燃料タンクおよび胴体下面のレドームを取り外していたので雰囲気が大分変わっていた。2013年7月20日のちびっ子ヤング大会が一般公開された最後のイベントとなったようだ。2023年夏の時点で格納庫内に存在していたが、本機を使用する訓練は終了しており、廃棄される時期を待っているとのことであった。

写真8-1, 8-2 下総基地で教育用に用いられていた4774号機。(上:2008年7月19日、下:2013年7月20日撮影)

 

【余談:P2V-7 VSA】

VSA (Variable Stability Aircraft)可変特性実験機はP2V-7の4655号機を川崎重工岐阜工場で改造し、1977年12月23日に改造後の初飛行を行い、(1977年度末の)1978年3月15日に海上自衛隊へ引き渡されている。紅白に塗られた機体と両主翼の中ほどに立てられた横力制御用のフェンスが目立つ機体であった。1979年5月5日の岩国基地祭、1979年5月27日の下総基地祭、1979年秋に入間基地で行われた国際航空宇宙ショーなどで一般公開されている。GO NAVYさんには1982年6月28日に厚木基地に進入する本機の写真があり、ヒコーキ雲さんには1982年8月にスクラップヤードに置かれた機体の写真が掲載されている。このため「1983年2月9日用途廃止、下総航空基地で解体」というヒコーキ雲さん掲載情報(1982年度末用廃)は正しいものの「書類上の用廃期日」であり、実機はそれ以前に飛べなくなっていたものと考えている。なおFlyteamさんには「1973年9月8日」および「1973年9月9日」の「岐阜基地航空祭)」にて撮影したとするVSA機の写真が公開されているが、1973年には本機はまだ改造されていないので、この撮影日は明らかに間違いだ。さらには改造予算が1975年度分であったためか「1975年に改造された」と言う記述もあるが、前述の通り改造後の初飛行は1977年12月23日なのでウンチク述べる際には表現に注意が必要だ。改造期間を言うなら「1975年から1977年末にかけて改造が行われた」と記載するのが適切かと思う。最後に本機で得られたデータの一部は「航空機力学入門」(東京大学出版会発行、加藤寛一郎、大屋昭男、柄沢研治著)に記載されているという。私自身はこの本を確認していないが、これ以外の加藤寛一郎氏の一般向け著作物の中に一部のデータが記載されており「おや!」と思った記憶がある。書籍のタイトルは忘れてしまったが、気になる方は色々と調べてみよう。

以上