<編集履歴> 14Sep.2021公開、12Apr.2022見直し更新(第5回目、写真追加、文書見直し実施)
<場所 Place> 〒321-0106 栃木県宇都宮市上横田町1360 陸上自衛隊北宇都宮駐屯地
<訪問日Visit> 21May.2006, 25May.2014, 26May.2013, 27May2018, 08Apr.2022ほか
<行き方 Access>
(1) JR東北本線(宇都宮線)雀宮駅から道なりに約2.5km、徒歩約35分。
(2) JR宇都宮駅西口から石橋・雀宮航空学校方面行きの関東自動車バスで約25分、航空学校前で下車(410円)、ゲートまで約150mを歩く。バスは概ね1時間に2本程度の頻度で走っている。
(3) JR石橋駅から雀宮・宇都宮駅西口方面行の関東自動車バスで約30分、航空学校前で下車、ゲートまで約150mを歩く。バスは概ね1時間に2本程度の頻度で走っている。
<解説General>
(1) メインは陸上自衛隊のヘリコプターパイロット養成基地。第12ヘリコプター隊第1飛行隊隊も同居している。またSUBARUのヘリコプター製造工場があるため、最新のUH-2やIRANで飛来する各基地のUH-1Jを見ることができる。また航空自衛隊のT-7とU-125シリーズはここでIRANを行っている。海上自衛隊のT-5もここでPARを行っている。
(2) 基地ゲート周辺に4機(L-19E, LR-1, UH-1H, OH-6D)、航空資料室の脇にある「航空公園」に3機(F-86F, T-34A, OH-6J)が展示されているほか、格納庫周辺に教材機が数機置いてある。なお教材機のOH-6DとUH-1Hの数機は撤去されたとの情報が読者より寄せられている。詳細が確認でき次第、この部分の文章を改訂するつもりだ。
(3) 例年5月中旬ごろから6月初旬ごろにかけて航空祭が行われており、この時が用廃展示機を撮影するチャンスだ。ただしコロナの影響で2020~2022年度の航空祭は中止もしくは部隊内のみでの行事となってしまい、一般には公開されていない。
(4) 本駐屯地の教材機(整備訓練機ではなく、操縦感覚をつかむための操縦訓練機)は過去には何度か機体の入替えが行われていた。今後、UH-1Jの用廃機が増えれば教材機の入替えもあると思われるので、公開時や見学等での訪問した際には機体番号を必ず確認しよう。また交換された機体が展示場周辺にしばらく置かれていることもある。置いてあった機体が交換された古い機体なのか、これから展示される機体なのか、それとも航空祭でスペースを確保するために一時的に置かれた機体なのかを見極める必要がある。
(5) 外周からの撮影を行う場合、滑走路の西側は道路に沿っているが金網や雑草などがあるために目線の高さで2.5m程度を確保しないと滑走路上の機体の撮影は難しい。このため最低でも90cm程度の脚立が必須だ。もちろん高度を取ったヘリコプターは脚立なしでも撮影できるが、適度なアングルで撮影できる上昇地点の見極めが難しい。なお滑走路端にいても高度が高いので、なかなか思うような絵にはならない。
(6) 航空機公園の東側(民家側)からは鉄柵の隙間からフルサイズで70~150mm程度のレンズがあれば展示機を撮影することができる。しかし桜の樹や街灯が機体横に重なる場所が多いうえ、一眼レフのレンズだと鉄柵の隙間に入りきらず、画面両側に鉄柵の写り込むこともある。撮影するなら証拠写真レベルにしかならないと割り切ろう。
【展示機 Displayed aircrafts】
「正門周辺」、「航空公園」、「格納庫の周囲」に分けて紹介しよう。
【正門周辺、36.5136N, 139.8755E周辺】
(1) L-19E (11366) かつては近隣の宇都宮駐屯地に展示されていた機体。2005年前後に北宇都宮駐屯地に移設し、修復して2006年春ごろから展示した。現在も展示中。
写真1 修復・再塗装して展示された当時のL-19E。今はすっかり退色してしまった。(2006年5月21日撮影)
(2) LR-1 (22006) 2007年5月20日の公開時には展示されていた。現在も展示中。
写真2 再塗装で色合いが変わってしまったLR-1だが、こちらも今では退色している。(2018年5月27日撮影)
(3) UH-1H (41732) 以前の機体に代わり、2018年5月27日の公開日に正門前に展示されていた二代目のUH-1H。現在も展示中の機体だ。
写真3 正門脇にある”二代目”のUH-1H(41732)。現在も展示中だ。(2018年5月27日撮影)
(4) OH-6D (31135) この機体も先代の機体を入れ替えて 2018年5月27日の公開日に初めて確認された二代目のOH-6Dだ。現在も展示中。
写真4 正門脇にある”二代目”のOH-6D、31135号機。(2018年5月27日撮影)
【航空公園、36.5168N, 139.8758E周辺】
(1) F-86F (92-7883) 1977年5月に用廃となった後、北宇都宮駐屯地、宇都宮駐屯地(航空公園)、北宇都宮駐屯地と移設された機体。1983年4月29日には現在の場所に置かれていた。その時から1992年5月の公開時までは尾翼に第7飛行隊のマーク(青で4空団の4を示す)を描いたノーマル塗装機であったが、その後にブルーインパルス塗装とされた。これは使用期限切れの塗料を使って実機への塗装経験のない隊員に対する教育を行った結果だという話が読者から伝えられている。なお本機はブルーインパルスに所属したことはない。また実際のシリアルナンバーは92-7883号機だが、展示当初から”82-7818”と記入されている。
写真5,6,7 ブルーインパルス塗装となっているが実際にブルーインパルスに所属したことは無い機体だ。また"82-7818"と記入されているが実際の番号は"92-7883"だ。下2枚は外周から撮影したもので、真横だと桜の樹が機体に重なる。(上:2014年5月25日、中・下:2022年4月8日撮影)
(2) T-34A (60506) 国内に3機が残る陸上自衛隊のT-34Aのうちの貴重な1機。T-34Aは陸海空三自衛隊で運用されたので、機種としては数機が現存しているが、陸上自衛隊所属機は本機の他には所沢航空発祥記念館と八尾駐屯地にて展示中だ。1982年4月29日の公開時に存在していた写真がヒコーキ雲さんに投稿されている。
写真8,9,10 国内に現存する3機の”陸上自衛隊のT-34A”のうちの貴重な一機。下の写真は外周から撮影したもの。(上:2018年5月27日、中・下:2022年4月8日撮影)
(3) OH-6J (31115) 本機は2001年5月27日公開時にはロータを外した状態の教材機であったが、2012年6月4日の公開日以降は航空公園での展示機となっていた。正門にあるOH-6Dとは尾翼の形状が異なっているので比較写真を撮っておくと良いだろう。
写真11,12,13 上の写真は基地公開時、中・下は通常日に外周から撮影したもの。(上:2018年5月27日。中・下:2022年4月8日撮影)
【格納庫の周囲、36.5119N, 139.8752E周辺】
ヒコーキ雲さんには2019年6月16日公開時に存在した機体の番号が投稿されている。本記事を2021年9月14日に公開した後、読者から多くのOH-6DといくつかのUH-1Hは既に撤去されているとの指摘が寄せられた。GoogleEarthProの2021年1月2日取得画像を見ると、画像が不鮮明だが2機のUH-1Hは残っているもののOH-6Dは全て撤去されているように見える。次に基地公開等で確認するか、GEProの鮮明な画像が入手できるまで、本Blogでは「2機のUH-1Hのみが残り、OH-6Dは全て撤去された」としておく。
そもそも論だがOH-6Dが全廃された現在、OH-6Dの用廃機を教材として残しておく理由がない。UH-1Hは計器盤配置が異なるものの、ホバリング時の高さを体感するための教材として使用されているようなのでUH-1J用廃機と交換されるまでは使われるのだろう。
(1) UH-1H (41695)
(2) UH-1H (41681)
【展示後に撤去された機体】
北宇都宮駐屯地では練習機として使用していた機体が用廃となった後に学生教育用の教材として使用したり、古くなった広報用展示機を入替えたりすることが何度か行われている。もちろん純粋に「古くなったから」などの理由で廃棄された機体も存在する。一度は展示されたものの、その後廃棄された機体を確認できた範囲で列挙してみよう。
(1) H-19 (40014) 1982年4月29日と1986年4月度に撮影された写真がヒコーキ雲さんに投稿されている。撤去時期不明。
(2) H-13H (30166) 1982年4月29日と1986年4月度に撮影された写真がヒコーキ雲さんに投稿されている。撤去時期不明。
(3) TH-55J (61304) ホバリング時の目の高さを体得するため、台座の上におかれた訓練機。1984年4月29日の公開時に確認されているが、エンジンは取り外され、キャビン部と骨組みだけのテール部だけのシンプルな姿だった(テール部は必要だったのかな?)。撤去日不明。
(4) TH-55J (61321) 北宇都宮駐屯地に展示された初代のTH-55Jでヒコーキ雲さんには1992年5月の公開時に撮影された写真が投稿されている。しかし、その経歴を読むと「1995年6月30日用途廃止」となっている。写真撮影日か経歴記事のどちらかに誤記があるのか、もしくは展示開始日と手続き上の用廃日に大きくズレが生じているのだろう。2011年の公開後に61335号機と置換された。
(5) TH-55J (61335) 2012年6月公開時に確認された二代目のTH-55J展示機だ。2021年3月ごろに撤去されたとされる(注1、最下段参照)が、2020年12月撮影というGoogle MapのStreetViewを見たところ、この画像では既に本機は存在していなかった。Google Earth2021年1月2日取得画像は画質が悪く、本機の状況を確認することができていない。
写真14 2021年3月には撤去されたTH-55J。(2013年5月26日撮影)
(6) UH-1B (41504) 1984年月29日の公開日にキャビン部だけとなっている姿が確認されている。撤去日不明。
(7) UH-1B (41571)2021年3月ごろに撤去されたとされる(注1、最下段参照)が、2020年12月撮影というGoogle MapのStreetViewを見たところ、この画像では既に本機は存在していなかった。またUH-1Bのキャビン部程度の大きさのものがブルーシートに包まれて置かれている様子が確認できた。Google Earth2021年1月2日取得画像は画質が悪く、本機の状況を確認することができていない。
写真15 2021年3月には撤去されたUH-1B(41571号機)。(2006年5月21日撮影)
(8) UH-1H (41637) 2006年5月21日の公開日から2014年5月25日の公開日までは本機が正門脇に展示されていたことがヒコーキ雲さんへの投稿写真にて確認されている。2018年の公開時には機体は航空機公園の脇に移動されており、放置状態となっていた。2020年12月に画像取得したGoogle MapのStreetView画像には写っておらず、これ以前に撤去されたものと考える。
写真16 2014年5月25日の公開時には正門脇に展示されていたUH-1H(41637)とOH-6D (31141)。両機とも2018年には別の機体に置換され、2020年末ごろまでには撤去された。(2014年5月25日撮影)
(9) UH-1H (41601) UH-1Hの初号機は用廃となった後、教材として使われていたが、2010年5月16日の公開時には41695号機に置き換えられていた。なおこの台座の高さはホバリング時の高さであり、学生に高度感覚を掴ませるためとのこと。
写真17 学生用の教材となったUH-1Hの初号機 (41601)。(2006年5月21日撮影)
(10) UH-1H (41693) 教材機として使用されていたが2019年6月16日公開時にはその存在が確認されていない。撤去されたものと思われる。
(11) OH-6D (31141)正門脇にUH-1H(41637)と共に展示されていたが2018年公開時には航空機公園の脇に移動され放置状態となっていた。本機も上述のUH-1H (41637)と同様に2020年12月に画像取得したGoogle MapのStreetView画像には写っておらず、これ以前に撤去されたものと考える。
写真18 かつて正門脇に展示されていた31141号機。(2014年5月25日撮影)
(12) OH-6D (31121) 2019年6月16日公開日に存在、2021年1月2日のGEPro画像で確認できず、また運用終了した機体なので撤去されたものと判断。
(13) OH-6D (31124) 2019年6月16日公開日に存在、2021年1月2日のGEPro画像で確認できず、また運用終了した機体なので撤去されたものと判断。
(14) OH-6D (31188) 2019年6月16日公開日に存在、2021年1月2日のGEPro画像で確認できず、また運用終了した機体なので撤去されたものと判断。
(15) OH-6D (31193) 2019年6月16日公開日に存在、2021年1月2日のGEPro画像で確認できず、また運用終了した機体なので撤去されたものと判断。
【注1】
航空機公園の展示機について2021年9月度に駐屯地に対して問い合わせを行い、UH-1BとTH-55Jについてはおおむね2021年3月ごろには撤去されたとの回答を得た。一方で2020年12月撮影とされるGoogle MapのStreetView画像を見ると両機の姿は存在しない。ここで3か月程度の誤差が生じているが、StreetViewの画像取得時期の記載が正しいものとすれば、これは撤去の事実を示しており、渉外広報班からの回答は業務としての撤去作業の終了時期を伝えてきたものと考えられる。すなわち「機体撤去の作業」は12月末ごろに行われたのかもしれないが、その処分が終わって産業廃棄物管理票(マニフェスト)が手元に戻り、「機体撤去に関する役務(業務)が完了した」のが3月ごろということだ。マニアとしては「展示場所から機体を撤去した作業を実施した日」を重要視するが、「機体を撤去する業務(仕事)」という実務は撤去業務の完了報告(関連書類の受領承認や検収)をもって終了する。この辺りは今後は明確に質問事項に記載して相手方に伝えるように注意する必要があるのだろう。
最後になりましたが、お忙しい中、対応いただいた北宇都宮駐屯地渉外広報班ご担当者殿に対し、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
以上