用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

【奈良県】空自 奈良基地

<編集履歴> 05May.2021公開、20Mar.2024見直し更新(第7回目、F-1再塗装)

 

<場所 Place> 〒630-8522奈良県奈良市法華寺町1578

奈良基地|防衛省 [JASDF] 航空自衛隊

<座標 Location>  34.6987N, 135.8067E 

<訪問日Visit> 02Apr.2022

<行き方 Access> 

(1) 近鉄奈良線新大宮駅から約1.9km、徒歩約24分。

(2) 近鉄大和西大寺駅1番から奈良交通バス「JR奈良駅」行に乗車、「航空自衛隊」で下車してすぐ。

(3) JR奈良駅西口15番から奈良交通バス「大和西大寺」行に乗車、「航空自衛隊」で下車してすぐ。

(4) 近鉄奈良駅13番から奈良交通バス「大和西大寺」行に乗車、「航空自衛隊」で下車してすぐ。

<解説General>

(1) 奈良基地は古墳群に囲まれた幹部候補生学校のみが存在しており、滑走路はない。HPを見ると基地紹介のページのトップに「関西エリアにある唯一の航空自衛隊の基地」と書かれている。串本(和歌山)、経ケ崎(京都)、饗庭野(滋賀)には航空自衛隊分屯基地が存在するが、これらは「関西エリア」ではないのか、もしくは「分屯基地」は「基地」ではないという認識なのだろう。基地内には6機の機体とナイキミサイルが展示されている。例年4月初旬ごろの桜の開花時期に合わせた開放日、5月末から6月ごろに開催される基地祭、そして8月の納涼祭(盆踊り)が展示機撮影のチャンスだ。(2020年度と2021年度はコロナ禍のため中止)

(2) JR奈良駅近鉄西大寺駅を結ぶバスが一時間に2本程度あり、正門脇までやってくるが、渋滞にハマると20分近く遅れることもあるので注意しよう。

【展示機 Dislayed aircrafts】

(1) F-86D (04-8196) 機体には”84-8100”という実機には存在しない番号を記載して展示されている。本機(04-8196号機)は1962年2月20日に04-8193号機と空中衝突して生還した機体とのこと。相手方の193号機は墜落したが、操縦者は脱出に成功して生還している。ヒコーキ雲さんには「1968年9月13日に第102飛行隊で用途廃止」と述べているが、その一方で(用廃時期以前の)”1962年4月”および”1962年10月”に撮影されたとする”84-8100”と記載した展示機の写真も掲載している。空中衝突事故の操縦者が二人とも生還しているので事故調査は素早く完結したとは思うが、1962年2月20日小牧基地で事故を起こし、同年4月には奈良基地で展示機になっていたというのはいくらなんでも早すぎるように思う。今となっては細かい調査や検証は不可能だが、写真撮影日か、あるいは空中衝突して生還した機体番号のいずれかに誤りを含んでいる可能性がある。2023年4月の公開時にはお色直しをされ、ウインドシールドとキャノピーは黒色化されていた。

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写真1 機体に描かれた”84-8100”という番号は実際には存在しない。本当のS/Nは”04-8196”だ。(2022年4月2日撮影)

 

(2) F-86F (62-7527) ヒコーキ雲さんには1961年8月2日に用廃となったと記されているが、「航空情報別冊 JASDFセイバースペシャル」(酣燈社1983)p.177のリストでは1959年1月1空団で小破、62年に1術校、67年奈良基地展示、68年3月用廃との内容が記載されている。展示時期が用廃時期より先になっているのは「1967年」に奈良基地への搬送が行われたが、用廃の書類手続きが行われたのは「1967年度」末(すなわち1968年3月)だったからだろう。ヒコーキ雲さん記載の「1961年8月2日に用廃」とは1空団による運用を終え、機体を1術校に引き渡した時のことかもしれない。2023年4月の公開時にはお色直しをされ、ウインドシールドとキャノピーは黒色化されていた。

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写真2-1, 2-2 エンジンは入っておらず、中身はがらんどうだ。 (2022年4月2日撮影)

 

(3) F-104J (56-8653) ヒコーキ雲さんによると1981年4月30日に那覇基地第207飛行隊で用廃となったとのことだが、用廃に際して岐阜の第二補給処に飛来しなかったのかとか、沖縄から用廃後の機体を運んだのかなど、突っ込みどころがある。奈良基地に搬入・展示された時期は不明だが、1993年に公開された時の写真が読者より提供されている。この時には「戦競風グレー塗装」となっていた。2023年4月の公開時にはお色直しをされ、ウインドシールドとキャノピーは黒色化されていた。

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写真3-1, 3-2 戦競風グレーに塗られていたこともある(1993年)が、2022年4月に訪問した際には銀地が色褪せたような色合いになっていた。2023年4月の公開までに再塗装されて綺麗になったが、同時にキャノピーは劣化保護のために黒色塗装された。(上:1993年に大路 聡 氏撮影、下:2022年4月2日撮影)

 

(4) F-1 (70-8276) 2008年5月24日の公開時には設置されていたことがヒコーキ雲さんの掲載写真から判る。本機のみは他の展示機群とは異なり、正門近くの34.6977N, 135.8066Eに機首を北に向けて展示されている。このため基地右側面を外周からなんとか見ることができる。2024年2月末から3月にかけて再塗装を行い、この際にウインドシールドが黒色化されたが、キャノピーは透明なままで残された。なお、この時の契約金額は2,304,687円だった。

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写真4-1 敷地外外周から見たF-1。(大路 聡 氏撮影)

 

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写真4-1, 4-2 F-1のみは敷地外から写真のように見ることができる。2022年4月訪問時には細かい注意書きは既に消えて無くなっていた。(上:大路 聡 氏撮影、下:2022年4月2日撮影)

 

(5) T-33A (81-5348) 1995年6月30日に用廃となったとヒコーキ雲さんに記されており、2003年8月23日公開時の写真が同じくヒコーキ雲さんに投稿されている。二代目のT-33A展示機だ。2023年4月の公開時にはお色直しをされ、ウインドシールドとキャノピーは黒色化されていた。

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写真5 T-33Aとしては二代目の展示機”81-5348”。現在はキャノピーを黒色化している。(2022年4月2日撮影)

 

(6) T-34A (51-0331) ヒコーキ雲さんの記事によると1973年12月10日に第11飛行教育隊で用廃となり、1975年5月25日の公開時には既に展示されていた。2004年5月25日の公開時に機体の塗装はT-34Aのオレンジ塗装ではなくT-3同様の赤色塗装となっていた。またこの時には機体右側にコクピット見学用の台座が設置されていたが、2022年4月に訪問した際には無くなっていた。2023年4月の公開時にはお色直しをされて元のT-34Aのオレンジ塗装に戻されていたが、その一方でウインドシールドとキャノピーは黒色化ならぬ銀色化されていた。

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写真6 奈良基地で展示機となって半世紀近くが経ったT-34A。T-3風の塗装となってからでも20年近くが経過している。オリジナル塗装を知る自衛官は全員退官しているハズだ。(2022年4月2日撮影)

 

【展示後撤去された機体】

(1) T-33A (51-5601) 米軍から航空自衛隊に供与された1号機。1964年10月12日に用廃となり(ヒコーキ雲さんの記事より)、その後は奈良基地に展示されていたが、いつの間にか無くなって81-5348号機に代わっていた。1993年5月5日の岩国基地祭では601号機の前部胴体が目撃されているが、本当に本機であったのかどうか、またどうして601号機が岩国にあったのかなど不明な事項が多い。本機に関して、何らかの情報ご存じでしたらどうかお教えください(歴史の空白を埋めませんか?)。

【指名手配】岩国基地に転がる謎のT-33A - 用廃機ハンターが行く!

 

(2) T-6G (52-0075) 1959年に用廃となった後に奈良基地に展示されたが、2011年9月12~15日にかけて小牧基地への移送作業が行われた。(広報ならやま2011年9月号記事より)

 

【その他】

(1) ナイキJ地対空ミサイルもある。

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写真7 ナイキJ地対空ミサイルは教育系の施設では定番の展示物だろうか?(2022年4月2日撮影)

 

(2) 資料館内にはT-4の操縦席を模したトレーナーが存在する。教育体系からすれば次は静浜基地防府北基地でT-7に進むハズ。かつてはT-4に進む前にもう一度奈良基地で座学を行う流れになっていたが、それが変わって不要となったのだろうか(それならT-4の教育装置が奈良基地にあることが理解できるのだけれど)。2022年4月2日の一般公開時には資料館は公開されなかったので、私自身は見たことが無い。

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写真8 T-4のコクピットトレーナー。(大路 聡 氏 撮影)

以上