上に掲げた写真は1993年5月5日の岩国祭で撮影したT-33A(601号機)の前部胴体と用廃となったUS-1Aの1号機(9071)です。
この601号機は本物の51-5601号機なのでしょうか?またどうして「海上自衛隊・米海兵隊基地」に航空自衛隊の機体の、それも前半分だけがあったのでしょうか?
(本物の51-5601号機(MAP供与1号機)は1980年頃には航空自衛隊奈良基地に展示されていました。)
この謎について調べてみたいと思います。
【初期情報】
さて私の入手している情報は次の3点のみです。
1) 航空自衛隊奈良基地の601号機は1992年頃に撤去された。
2) 岩国基地のT-33Aは1988-1990年ごろの岩国基地祭開催時に確認されていた。
3) 自分の記録が正しければ1993年5月5日には岩国基地に601号機の前半分があった。
【仮説】
奈良基地の601号機を撤去したのち、前半分を何らかの事情により岩国基地に搬入した。
【検証】
1) 方法:国土地理院の地図・航空写真閲覧サービスより、当時撮影された写真を確認する。
2) 結果:
<奈良基地> 1989年4月29日撮影の空中写真では現在のT-33の位置に機体は確認できなかった(樹木に覆われていた)が、1992年3月4日撮影の写真には現在の位置に機体が存在した。これ以降の航空写真ではほぼ同じ場所にT-33が確認できる。
<岩国基地> 1991年5月4日撮影の写真にはUS-1(9071号機)とPS-1(5813号機)が並んで地上展示されている様子が写っていたが、T-33Aの前半分は確認できなかった。
その次に岩国基地上空を撮影した写真は1995年5月17日のものでした。この写真を見るとUS-1とPS-1の姿はなくなっていました(PS-1 5813号機と思われる機体は少し離れたところに置かれていた)。
3) 考察
奈良基地:601号機が撤去されたのは1989年5月から1992年2月までの間の出来事であると推定する(1992年頃という初期情報を修整する)。この撤去作業に際して機体脇にあった樹木を伐採したものと考える。601号機を撤去したあと、間を置かずして現在の展示機であるT-33A 81-5348号機を設置したと考える。
なお81-5348号機は1991年3月12日浜松から岐阜へ32sqn.のマークをつけたままでフライトして用廃になったとの情報を得ています。そして1991年10月13日の岐阜基地祭にて胴体と主翼を分離した状態で保管されていることが確認されています。この後、奈良基地に運ばれたとすると、時期的には問題なく合致しますね。
ちなみにヒコーキ雲さんには348号機の用廃時期は1995年6月30日とされており、ヒコーキ雲さんの方での記載間違いか、あるいは最終フライトの日と書類上の用廃時期とが大きく異なっていることが考えられます。「胴体と主翼が分離された状態で保管」ということは、格納した(すなわち飛ばしはしないけれど、まだ生きているという状態)のかもしれないという気がしますね。それとも単に奈良基地への移送準備だったのかな?
岩国基地:展示機だったUS-1Aが移動されたのは1991年5月から1995年5月の間の出来事である(1988-1990ごろに存在したという初期情報を修整する)。なお上掲の写真に写るUS-1A(9071)号機は台風被害で損傷したため廃棄されたという話を聞いたコトがある。写真を見ても左側のフラップが外れかかっていることが確認でるが、恐らく1991年9月27日佐世保に上陸、山口県をかすめて北上した台風19号(Mireille)によるものだろう。この時は厳島神社の能舞台が倒壊するなどの被害がでている。
このことから「奈良基地の機体が岩国に移された」という仮説は時系列的に成立する場合もあるが、決め手とはなっていない。
【今後の予定】
どうして奈良基地から撤去されたT-33Aの胴体を岩国に運んだのでしょうか?消火訓練に使用するために持ってきたとするにはコストパフォーマンスが悪すぎると考えますが、こればかりは内情をご存知の方でないと判りませんね・・・。
本件について、何か情報をお持ちの方がおられましたら、どうかお教えください。
よろしくお願いいたします。
以上
【編集履歴】
2020年05月11日 公開
2020年05月12日 字句表現修正、同日、国土地理院の航空写真から得られた情報を元に描き直し。
2020年05月13日、国土地理院の航空写真検索範囲を広げた結果、考察見直し。
2021年05月30日 奈良基地に展示されている”二代目”のT-33A用廃時期に関する情報を得て考察修正