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【雑談】公式記録に残らないブルーインパルス

<編集履歴> 04Feb.2024公開、06Feb.2024見直し更新(第1回目、震災直前のBI帰投基地を芦屋に修正)


 ブルーインパルスの特集本には公式飛行回数が記されていることがある。
 これを見ると、何年何月何日に、どこで、どんなイベントがあったかが一応はわかるため、歴史調査をする際の基礎資料として活用している。


 だけど、「展示飛行のために移動したが、当日は天候不良のために飛べず、ホームベースに戻った」という場合には、当然ながら「公式飛行」の回数にはカウントされないのだな。すなわち「ブルーインパルスの公式飛行回数の記録」を見ただけでは、「ブルーインパルス参加基地祭」はわからないのだ。

「基地祭のために飛来したけれど、展示飛行を行っていない」事例があるため、後年「公式飛行回数」の記録だけを見て、「この年、**基地航空祭にはブルーインパルスは飛来しなかった」などと書こうものなら、足元をすくわれることになる。


 一例として1985年9月29日の岐阜基地航空祭を紹介しよう。
 ネット上の個人ブログには、前日にブルーインパルスが飛来して、着陸する際の写真が掲載されているが、航空祭当日は終日雨となり、フライトはキャンセルされている。   

 当時の雑誌記事には「悪天候のため、予定されていたフライトはキャンセルとなり、帰投するブルーインパルス」という内容のキャプションと離陸時の写真が残されている(エアワールド誌)。この日、「ブルーインパルスが飛んだシーン」を見た人は大勢いるハズだけど「公式展示飛行ではない」ため、公式記録にはブルーインパルス岐阜基地に来たことすらも残っていない。後年、調査のために公式記録を見ただけでは、この日に岐阜基地祭に「ブルーインパルスが参加していた」ということはわからないのだな。

 この件は「公式記録は、必ずしも歴史的事実を全て反映しているとは限らない」という、「歴史調査あるある話」の一つだ。ブルーインパルスの場合はファンが多く、その歴史や活動実績を調べている方が多数いると思われるので、注意喚起として書き残しておく。

写真 松島基地にあるT-2ブルーインパルス使用機。航空自衛隊の保存指定機だ。(2023年8月27日松島基地航空祭にて撮影)

 

【余談】

 ブルーインパルスの歴史上で、本番イベントが流れてしまった事案として最も有名なものは、2011年3月12日に予定されていた九州新幹線全通イベント(博多駅上空フライバイ)だろう。前日11日に予行フライトを終え、展開先の芦屋基地に戻ったあとで、東日本大震災が発生しました。

以上