<編集履歴> 12Aug.2023公開、22Nov.2024見直し更新(第20回目、大分分屯地の車体解体予定)
【はじめに】別記事参照のこと。
【概要】
戦後初の国産戦車で560両が生産された。2000年に全車両退役。
駐屯地等に61両が展示されているほか、ヨルダンに寄贈した1両があり、ヨルダン国内で展示されている。
【61式戦車展示場所 Displayed Type 61 tanks】
<北海道 11両>
(1) 名寄駐屯地 (44.3851N/142.4383E)
(2) 遠軽駐屯地 (44.0546N/143.5461E, cn.0443)
(3) 美幌駐屯地 (43.8209N/144.1582E)
(4) 上富良野駐屯地 (43.4471N/142.4725, cn.0091) 1966年( 昭和41年)8月製造の車両でM2重機関銃を装着している。第2戦車隊の隊舎前(43.4482N/142.4715E)に2022年頃まで置かれていたが、2024年初夏の公開前までの間に現在の場所へと移設されている。
(5) 別海駐屯地 (43.4298N/144.7471E)
(6) 鹿追駐屯地 (43.1471N/142.9962E)
(7) 島松駐屯地 (42.9130N/141.5582E) 展示車両に関する「伝説」あり。詳細は本記事の最下段に後述する。
(8) 北恵庭駐屯地 (42.8912N/141.5614E)
(9) 東千歳駐屯地 (42.8349N/141.7107E)
(10) 北千歳駐屯地 (42.8267N/141.6261E)
(11) 函館駐屯地 (41.7808N/140.7679E)
<東北 8両>
(1) 青森県 青森駐屯地 (40.8099N/140.7118E)
(2) 青森県 弘前駐屯地(40.5678N/140.4629E)
(3) 青森県 八戸駐屯地 (40.5526N/141.4517E)
(4) 岩手県 岩手駐屯地 (39.8372N/141.1090E)
(5) 岩手県 船岡駐屯地 (38.0475N/140.7798E)
(6) 宮城県 仙台駐屯地 (38.2684N/140.9215E)
(7) 宮城県 大和駐屯地 (38.4493N/140.8755E)
(8) 宮城県 多賀城駐屯地 (38.2923N/141.0300E)
* 福島県 福島駐屯地:2022年度以降、展示場所周辺工事のため移設もしくは撤去
写真1 岩手駐屯地の61式戦車。広報用展示車両等は密接して置かれているので撮りづらい。(2023年6月18日撮影)
<関東・甲信越 10両>
(1) 茨城県 霞ヶ浦駐屯地 (36.0381N/140.1906E)
(2) 茨城県 土浦駐屯地 (36.0474N/140.2220E)
(3) 茨城県 古河駐屯地 (36.1820N/139.7282E)
(4) 栃木県 宇都宮駐屯地 (36.4778N/139.8692E)
(5) 群馬県 新町駐屯地 (36.2707N/139.1154E)
(6) 群馬県 相馬原駐屯地 (36.4327N/138.9693E)
(7) 神奈川県 三菱重工(株)相模原製作所 (35.5628N/139.3363E)
(8) 神奈川県 防衛大学校 (35.2568N/139.7229E)
(9) 神奈川県 武山駐屯地 (35.2183N/139.6304E)
(10) 長野県 松本駐屯地 (36.2114N/137.9543E)
<東海北陸中部 7両>
(1) 静岡県 北富士駐屯地 (35.4518N/138.8251E)
(2) 静岡県 富士駐屯地 (35.3574N/138.8622E) 練馬駐屯地に展示されていた車体を移設したとの話あり。
(3) 静岡県 駒門駐屯地 (35.2473N/138.9151E) 現在の場所には2020年3月末~4月初旬頃に設置された。
(4) 愛知県 豊川駐屯地 (34.8300N/137.3817E)
(5) 愛知県 春日井駐屯地 (35.2821N/136.9775E)
(6) 愛知県 守山駐屯地 (35.1983N/136.9572E)
(7) 三重県 久居駐屯地 (34.6736N/136.4803E)
※静岡県 滝ケ原駐屯地 (35.3233N/138.8771E)に置かれていた車両は2019年晩夏ごろにヨルダンへ寄贈された(後述)。
<近畿 7両>
(1) 滋賀県 今津駐屯地 (35.3945N/136.0213E)
(2) 滋賀県 大津駐屯地 (35.0363N/135.8675E)
(3) 京都府 宇治駐屯地 (34.9139N/135.7999E)
(4) 大阪府 信太山駐屯地 (34.4910N/135.4409E)
(5) 兵庫県 青野原駐屯地 (34.9117N/134.9155E) 1984年度から始まった退役車両の第一号
(6) 兵庫県 伊丹駐屯地 (34.7979N/135.4064E)
(7) 兵庫県 千僧駐屯地 (34.7890N/135.4048E) ”未改修車体なのでレア?”とのコメントを見かけるが、当方に改修経緯の知識がないので、現状では「なんのこっちゃ?」状態です。
写真2 大津駐屯地の61式戦車。この時はこれ以上車体の右側(向かって左側)には行くことができなかった。(2023年4月29日撮影)
<山陽山陰 5両>
(1) 鳥取県 米子駐屯地 (35.4580N/133.3245E)
(2) 岡山県 日本原駐屯地 (35.1163N/134.1514E)
(3) 岡山県 三軒屋駐屯地 (34.6982N/133.9328E)
(4) 広島県 海田市駐屯地 (34.3590N/132.5334E)
(5) 山口県 山口駐屯地 (34.1881N/131.4837E)
写真3 米子駐屯地の61式戦車。(2023年4月1日撮影)
<四国 2両>
(1) 香川県 善通寺駐屯地 (34.2206N/133.7816E) 乃木館前にあり、平日は簡単な手続きのみで見学可能。
(2) 愛媛県 松山駐屯地 (33.8020N/132.8478E)
写真4 善通寺駐屯地の乃木館前にある61式戦車。(2023年3月31日撮影)
<九州・沖縄 11両>
(1) 福岡県 小倉駐屯地 (33.8443N/130.8804E)
(2) 福岡県 久留米駐屯地 (33.2914N/130.5466E)
(3) 福岡県 前川原駐屯地 (33.2900N/130.3562E) 試作3号車らしいが、確認はしていない。GE-PROの2023年5月16日取得画像にそれらしき影が写るが、撤去されたとの記事も存在している。近隣には74式戦車と90式戦車(試作車)も置かれている。
(4) 佐賀県 目達原駐屯地 (33.3269N/130.4097E)
(5) 熊本県 北熊本駐屯地 (32.8427N/130.7330E)
(6) 熊本県 健軍駐屯地 (32.7892N/130.7606E)
(7) 長崎県 大村駐屯地 (32.9240N/129.9523E)
(8) 大分県 玖珠駐屯地 (33.2901N/131.1484E)
(9) 宮崎県 えびの駐屯地 (32.0450N/130.9143E)
(10) 宮崎県 都城駐屯地 (31.7234N/131.0378E)
(11) 鹿児島県 国分駐屯地 (31.7235N/130.7537E)
写真5 目達原駐屯地の61式戦車。(2010年10月23日撮影)
【展示後撤去/移設 7両】
(1) 北海道 真駒内駐屯地(43.0051N/141.3554E) 2005年4月24日~2009年5月29日の間に撤去。隣にF-86Dもあったが、同時期に撤去された。
(2) 北海道 倶知安駐屯地 2010~2012年頃に撤去。
(3) 東京都 練馬駐屯地 (35.7645N/139.6611E) 2014年3月16日から6月7日の間に富士駐屯地に移設した。保存状態は良好で、移設の際にはトレーラーまで自走したとの話がX(Twitter)上に残る。また同じ話が茂林寺にあったM24軽戦車を新町駐屯地に移設する際にも残されており、どこまでホントかは分からない。
(4) 新潟県 新発田駐屯地 移転前の白壁兵舎前に砲塔を後ろに向けて展示されていた(2005年6月に存在)が、白壁兵舎の移転(2008年度)に伴い撤去。
(5) 静岡県 滝ケ原駐屯地 ヨルダンに寄贈(詳細は後述)
(6) 大分県 大分分屯地 GE-Proの2016年4月15日取得画像までは33.1812N / 131.6222Eに展示されていたが、2017年3月11日までに33. 1817N / 131.6245Eに移設されていた。衛星画像の状況より、移設後は展示車両ではなく、シートをかけられていたようだ。2024年7月18日付で九州補給処(目達原)公告第96号「装備品等の解体処分」が公開され、8月8日に入札実施。2024年度末までに解体処分が完了する予定となっている。本Blogでは既に解体処分されたものとして扱う。
(7) 沖縄県 那覇駐屯地 かつて展示されていたような記述を見かけたが、詳細不明
【その他 1両】
(1) 滝ケ原駐屯地に展示されていた1両をヨルダン国王アブドゥッラー2世の要請に応えてヨルダン王立戦車博物館へ無償貸与されることが決定した(2019年8月5日)。「武器を海外へ!」ということで相当もめたようだ。本件に関してはネット上に様々な「お話」が掲載されているが、どこまでホントなのか、全く検証していないので私には分からない。
【島松駐屯地の車両にまつわる伝説】
陸海空自衛隊には様々な「伝説」が存在する。その多くは怪談モノであり、たいていは「不慮の事故で亡くなった隊員が出てくる」という類のものだ。有名なものでは、少し古いが青森駐屯地には八甲田で遭難した兵士たちが帰営する行進の足音が聞こえるというものがあった(たしか新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」の”あとがき”だったかに記載されていた話だったと思う)。しかし、ある時点での司令官が「お前らの行くところは幸畑の墓地だ!回れ右!進め!」と命じたところ、足音は去って行き、それ以後は聞こえなくなったという。
まぁ、事故やヒヤリハット事案を元にして、先輩が後輩を驚かすために作った話に尾ひれ胸びれカンタービレがついて広まり、出来の良い話は長く語り継がれ、また話好きな隊員が他部署に異動した際に、部署に合わせて新たに話を作り替えたりしたものがほとんどだろうと思っている。逆を言えば、伝説にはネタとなる事実が存在することもあるので、それを調べてみるのも面白いかもしれない。
前置きが長くなった。島松の車両の話をしよう。
61式戦車はギアが入らないのが有名だった。ある時、坂道でギアが入らずに滑り落ちてきた61式戦車に隊員が轢かれる事故が発生した。その隊員の遺体の一部は履帯に深く挟まってしまったので、整備担当者は隙間に挟まった遺体の一部をピンセットで回収することになったそうだ。その後、夜間の警備巡回の際には遺体回収作業を行った整備工場から隊員の悲鳴が聞こえる事があったという。事故を起こした61式戦車は、誰も乗ろうとしなかったので行き場を失い、その後は島松駐屯地の正門側の空き地に展示されたそうな・・・(おしまい)。
以上