<編集履歴> 26Mar.2024公開、03Apr.2024見直し更新(第2回目、情報追加、見直し実施)
【はじめに】
入間基地周辺自治体に対する地元説明会の資料によると、入間基地に所属するYS-11EAのうち、少なくとも一機は2024年度末までに引退するとのことだ。
http://www.shiokawa-tetsuya.jp/wp/wp-content/uploads/2023/09/0d5261184fbc3d7e593d4b003f1500c5.pdf
資料には退役予定の機数は記されていないが、もともと2機しか無い機体なので「少なくとも1機」となる。同時にEC-1の引退についても記されているので、電子戦隊そのものが無くなるのかもしれない。YS-11EAが用廃後に展示機となることは無いだろう。ならば、せめてその記録をキチンとまとめておくことが必要かな、などと思う。
別記事(【メモ/備忘録】Kawasaki EC-1)でも述べたことを繰り返すが、電子戦機に関する航空自衛隊の公式資料はほとんど無い。アレコレと推測しようにも物理で波(光・電磁波)の性質を理解していないと、電子戦理論を説明することも理解することも難しい。ここは無難に一般に入手可能な書籍や資料等から得られる「ヒコーキ写真マニア目線」でのYS-11E/EAのお話をまとめておこうと思う。
【メモ/備忘録】Kawasaki EC-1 - 用廃機ハンターが行く!
そして本記事も資料を集めつつ、書きながらUpdate進めるので、本記事が「大作」となるのは数年後の見込みだ(そもそも電子戦の知識が無いのに書けるのか?>自分)。そんなワケで今日の時点では中身はありません。年単位の間隔で「話の中身が増えているかな?」と見に来ていただければ幸いです。
最後に、本記事に掲載した写真は特記しない限り全て入間基地周辺で撮影したものです。
【その1、YS-11E】
<概要>
(1) YS-11Cの12-1162号機と12-1163号機(以後、#162/#163と略す)を改造して国産ECM装置J/ALQ-3を搭載した電子戦訓練機。J/ALQ-3は「電波妨害」装置(レーダー妨害用)とされる。のちに「通信妨害装置」であるJ/ALQ-7を搭載したYS-11EAに改造される。
(2) 時系列的には、先に#163号機を改造(1976年)してから#162号機を改造した(1979年)。
<外形的な特徴>
(1) 次の8か所(注)にレドーム(アンテナフェアリング)が増設されている。なお、以下の1)3)4)の4つのレドームは前方部分のみが黒色の電波透過素材となっている;
1) 胴体上前部に大きさの異なるレドームが二つ。
2) ほぼ同じ形の小さ目なレドームが搭乗ドア下付近の胴体下面左右二か所と、胴体の日の丸の前縁付近の胴体下面左右二か所、合計四か所にある。なお右前下方と左後下方の二つはやや大きく膨らんでおり、左前下方と右後下方のものは比較的スリムな形状をしているので、それぞれ異なる用途のもの(受信と発信用途か?)が前下方にワンセット、後下方にワンセットあるものと考えている。
3) 胴体前部下部に大きめのレドーム
(2) 両主翼の後端部付近に冷却機材用といわれる膨らみが設けられた。なお左側の張り出しの方が大きい。また右側のものは張り出しの程度が左側より小さく、後端には排気口のようなものがある。機体左側は冷却器、右側は電力供給用の補助発電装置ではないだろうか。
注:「航空自衛隊の電子飛行隊」小林健、航空ファン1999年10月号p.72には「計7か所」と記載されている。この記述部分を引用した後続の文献にも「計7か所」と記載されることが多い。だが、「ボコボコと突き出した、黒色の電波透過性素材のある突き出し部分」は上述の通り8か所あるのだよ。小林氏の記事のp.71にはレドームの数に関する記述があり、ここで述べられたレドームの数を合計すると「8か所」となっている。p.72の「計7か所」の表記は筆者の誤記か誤植だろう。
<垂直尾翼の部隊マーク>
総隊司令部(当時)所属機同様、三色のシェブロン(三角形)を組合わせたマークを垂直尾翼に描いていた。
<一般公開の記録>
YS-11Eは1981年に三沢基地祭と入間基地祭の二か所において地上展示されている。その後、YS-11EAに改修されるまでの間に一般の目の前にて展示されたことはない。
(1) 1981年09月06日 三沢基地航空祭にて#162を展示
(2) 1981年11月03日 入間基地航空祭にて#163を展示
<空撮>
YS-11Eの空撮写真が公表されたケースは次の1例だけかと思う(ちなみにYS-11EA/EBの空撮写真の公表は皆無じゃないかな?)。
(1)「空撮・電子戦訓練機 EC-1&YS-11E 妨害と欺騙の空」瀬尾央、航空ファン1999年10月号p.41-47(YS-11E(#162)の写真はp.45-47): 民間人カメラマンが公表を前提に空撮を行うことができた、おそらくは唯一の空撮機会の写真を掲載したもの。
写真1-1, 1-2 YS-11Cの#162/#163がYS-11E/EAとなってから、基地祭で正式な展示機として一般公開されたのは1981年の三沢基地祭と入間航空祭の2回だけだ。1981年の入間基地祭は小雨が降ったり止んだりの一日だった。この年はブルーインパルスがF-86FからT-2に機種更新されるために不在であり、また入間基地所属のF-86Fが最後の展示飛行を行った年でもあった。(1981年11月3日、入間基地)
【その2、YS-11EA】
<概要>
(1) YS-11Eの搭載機器を国産初の大型機搭載用通信妨害装置であるJ/ALQ-7へと換装し、エンジンをRRダート(2,775shp)からT64-IHI-10E(-10J説あり)へ、プロペラも従来のダウティロートルの4翅からハミルトン・スタンダード60E60-27の3翅のものへと換装した機体。エンジンとプロペラを換装し、パワーアップした機体(YS-11EA/EB)のことを”スーパーYS”と称することもあるが、これは俗称だ。先のYS-11Eが「電子戦訓練機」であるのに対し、YS-11EAは「電子支援機」と表記されている(訓練機ではないことに注意。なおEC-1は「電子支援訓練機」と表記される)。地上レーダーサイト/AWACSと戦闘機との間の通信妨害を行うことを目的としたというウワサがあった。同様な内容が「世界の傑作機C-1」p.123にて、「主に防空作戦および航空阻止作戦の実施時に、侵攻する航空部隊の指揮統制通信系に対して、遠距離から妨害を実施するなどの運用が想定されている」と記載されている。
(2) デビュー当初は従来のYS-11Eと同じ上部白色/窓付近に青帯/下面は銀色塗装であったが、#162号機は2008年秋頃から2009年1月頃のIRAN期間中にグレー二色の迷彩塗装となった。また#163号機は2010年頃にグレー塗装となっているが、ネット上の投稿写真の撮影日に疑問があるので、塗装変更の時期は幾分かの誤差を含んでいる。
写真2 入間基地にアプローチするYS-11EA。YS-11E時代には胴体の上下にボコボコと出ていた大小8個のレドームは撤去されてスッキリした姿に戻ったが、右主翼後縁部の膨らみは残されている。(2020年11月11日撮影)
<J/ALQ-7>
(1) 上述したとおり、国産初の航空機搭載型の「通信妨害装置」で、日本電気(株)製。国内文献としては「広帯域高ERPを有するECM装置(J/ALQ-7)の開発」(鈴木孝尚ら、防衛調達と情報管理1(4)、2001年2月p.29-31)が存在する。国立国会図書館の遠隔複写サービスを利用すれば手数料込みで550円くらいでなので、気になる方は入手して読んでみよう。私自身は2024年4月1日に入手したが、予想通りサラリと上っ面しか話が述べられていない。さらに専門知識がない私のアタマでは、書いてある内容が全く理解できないのだな(笑)。
(2) 本装置の開発に際しては次の技術が開発され適用されている。上述の通り、書かれている中身は全く理解していないので、字面だけでまとめてみる。
1) 広帯域高出力電力増幅技術
1-1. 広帯域高出力トランジスタの開発
電子戦用途に適応可能な広帯域トランジスタを開発した
1-2. 低損失合成方式の開発
広帯域にわたり周辺回路とのインピーダンス整合をとる技術開発
1-3. 搭載に適した冷却構造の開発
外気を使用した強制冷却装置の開発:何となくわかったような気持ちになって、胴体側面の冷却空気取入口の様子を見てみようじゃないか。
2) カージオイド(Cardioid)素子アレイ空中線技術開発
「無指向性空中線の二つを一対とし、最適な位相配分及び電力配分をすることで全方位に対し、均一に、カージオイド型の空中線パターンを形成することが可能となった」と記載されている。機体胴体下面の前後にある、それぞれ2枚のアンテナに注目しよう。(通信妨害は、相手に対しては大出力の妨害電波を放射するが、これによる味方通信系への電波干渉は極力低減することが重要。電波パターンをハート型にすることで、指向性があり、同時に干渉しないエリアを設けることになる)
※1 カージオイド(Cardioid)型:この分野では一般的な呼称だけれど、フツーの用語に置き換えるなら「ハート型」のことだ。やや細長いハート型を想像してほしい。機体が上側の「くぼみ」にあるとすると、下に伸びた部分が「指向性」のある部分、上側が、電波干渉の無い部分となる。文章の字面を鵜呑みにするならば、YS-11EAはこのハート型の「指向性のある電波干渉エリア」と「電波干渉の無いエリア」を全周に渡って作り出すことができる。
※2 余談になるが、むかしむかし、昭和の終わりごろにT-2CCVについて知りたいと思い、文献を読んだり、航空機シンポジウム(T-2CCV特集時)に出席したことがあったが、言っていること(書いてあること)がなんとなく判るようになるまで、それから10年近くを費やしたことがある。今から、上記の電磁波制御について勉強すれば、死ぬまでには理解できるようになるかな・・・、なんて頭の片隅で思っている(多分、ムリ)。
写真3 入間基地にアプローチするYS-11EA。(2019年4月16日撮影)
<外形的な特徴>
(1) YS-11E時代の大小合わせて8個のレドームは全て撤去された。代わりに胴体前方下部のプロペララインの直後に大きめの2枚のアンテナと、胴体後方下部の主翼付け根後端部付近にやや小さめの2枚のアンテナが新たに設けられた。胴体中央上部に目立つアンテナが1枚ある。
(2) YS-11E時代に設けられた左主翼付け根後方の冷却器用フェアリングは撤去され、整形された。右主翼後方の電力供給用の発電機(推定)の設置部分の膨らみは残されている。
写真4-1, 4-2 胴体上下のアンテナに注目。(4-1/4-2: 2019年2月7日撮影)
写真4-3 胴体下面および右主翼付け根後部の膨らみに注目。(2018年7月18日撮影)
<垂直尾翼の部隊マーク>
グレー二色の迷彩塗装になってからは部隊マークを記載されたことの無かったYS-11EAだが、2023年11月04日に入間基地で行われたEC-1/YS-11EA/海自UP-3Dを集めた部隊間交流行事の際に、垂直尾翼に「ヘルメットを被ったカラスが脚先から電光を発している」図案のマークが初めて入れられた。EC-1と同じ図柄であるが、こちらはグレー基調の迷彩版だ。残念ながらYS-11EAは2022年度末頃からフライトを行っておらず、このマークを入れた後もフライトする姿は確認されていない。
写真5 垂直尾翼にマークを入れた#162。プロペラは外されている。
(2024年2月14日)
<一般公開の記録>
(1) YS-11EAに改造されてから、公式に一般公開されたことはない。しかし、入間航空祭、入間基地ランウェイウォークイベントや体験搭乗の際には撮影可能な場所に置かれていたことが多い。私自身はこのチャンスで見たいがためにイベントに参加応募を繰り返したが、残念ながら当選したことは一度も無かった。2010年11月3日の入間基地航空祭では、ほど良く撮影できる場所に#162号機が置かれていたのだが、この年には私は入間に行かなかったのだ。また、YS-11EAを見る最後の機会として2024年6月1日に行なわれた入間基地ランウェイウォークイベントがある。このイベントは前々から楽しみにしていたのだが、直前で急用が生じてドタキャンすることになった(心が折れかけたねぇ・・・)。
写真6 離陸する#163を下から見上げる。(2021年3月17日撮影)
【まとめ:YS-11E/EAに関するイベント年表】
1964年度 入間基地航空総隊司令部飛行隊に電子訓練隊を新編。国産初の機上ECM装置J/ALQ-1を搭載したEC-46D(91-1140, 91-1143, 91-1145)を配備。
1971年06月05日 YS-11C (12-1162, c/n.2161) 初飛行(ヒコーキ雲さんでは6月22日初飛行と記載)
1971年06月22日 YS-11C (12-1163, c/n.2162) 初飛行
1971年06月25日 航空自衛隊に#162号機引渡し(ヒコーキ雲さんでは7月15日引渡しと記載)
1971年07月15日 航空自衛隊に#163号機引渡し
(※1970年代前半ごろ、EC-46DのECM装置をJ/ALQ-3に換装か?)
1976年03月 ?日 #163をYS-11Eに改造(3月に改造後初飛行したか?)
1978年3月22日 美保基地でC-46D(91-1138)、入間基地でEC-46(91-1145)の最終飛行実施。空自でのC-46運用終了
1979年02月 ?日 #162をYS-11Eへ改造(2月に改造後初飛行したか?)
1987年 XJ/ALQ-7開発開始(日本電気(株))
1990年01月23日 #163(YS-11E)を三沢基地にて目撃(私信)
1990年02月05日 #163のYS-11Eにおける最後の写真投稿(Flyteam)
*1989年度から#163を通信妨害用の電子支援機に改造する作業が行われた(世界の傑作機C-1)
1991年09月12日 YS-11EA(#163)改造後の初飛行。垂直尾翼には総隊司令部飛行隊のマークが描かれていた(Wikipedia、KF1991.12,p.62、AR1991.12(No.566)p.61)
1992年02月19日 #163は厚木基地(日飛)から入間基地にフェリー(AR誌1992年6月(No.573)p.61掲載写真のキャプションより)
1992年03月03日 YS-11EA(#163)にADTWマークが記入されていた(AR誌1992年6月(No.573)p.61掲載写真より)
1992年春ごろ YS-11EA(#163)はAPWマークを付けた姿で入間基地で撮影(GoNavy!芝生の具合から春ごろと推定)
1992年04月から1993年03月は飛行開発実験団による電子支援機(XJ/ALQ-7搭載)の実用試験及び技術試験協力が行われた(ADTWのHPより)
1993年07月 電子訓練隊廃止/電子支援隊発足(配属機はYS-11EAとEC-1)
1994年01月09日 YS-11EA(#163)旧塗装を入間で撮影(Flyteam)
1999年02月10日 YS-11E時代最後の#162の写真投稿(Flyteam)
1999年 #162をYS-11EAに改造(Wikipedia)
※1999年1月-2000年12月発行のKF誌およびAR誌の国内ニュース写真ページを確認したが、#162が改造後初飛行したという記事をみつけることができなかった。
2003年01月10日 YS-11EA改装後の#162の旧塗装を入間で撮影(Flyteam)
2008年05月16日 YS-11EA(#162)旧塗装最後の写真が入間で撮影される。(Flyteam)
2008年秋ごろから2009年2月末頃にかけてのIRANにてYS-11EA(#162)の塗装変更
2009年02月17日 #162のグレー塗装が厚木で撮影される。(Flyteam)
2010年10月05日 #163の旧塗装最後の姿が入間で撮影される(Flyteam)
※この3か月間で塗装変更が行われたことになるが、IRANにしては期間が短すぎるように思う(正月を含んでいるのだ!)。旧塗装撮影日か新塗装撮影日が間違っているのではないだろうか。
2011年01月27日 #163のグレー塗装機が百里で撮影される(Flyteam)
2012年03月15日 #163のグレー塗装機が撮影される(Go Navy!)
2014年08月01日 電子戦支援隊を改め、電子作戦群電子戦隊発足(配属機はYS-11EAとEC-1)
注意:ヒコーキ雲さんおよびFlyteamさん掲載の記事や写真、そして世界の傑作機の記事をを元にして、#162と#163の動向を上記のようにまとめたところ、いくつかの事案については記載された年月日や配属先について、いくつかおかしな点がみつかった。一部はヒコーキ雲さんのトコロでS/Nとc/n.を混同したことに起因する誤記だと思われますが・・・(S/Nとc/n.では下3桁の数字が一つ違うだけなので、間違えて記載した可能性がある)。別途、過去の雑誌等の記事により、確認が必要だと思っています。(2024年3月26日記)
<ヒコーキ雲さん掲載のYS-11EA関連記事の日付等がおかしいと思われる箇所>
(別途まとめて、通知予定)
1991年09月12日 YS-11EA#162が改造後初飛行(この日、初飛行したのは#163)
1991年12月 YS-11EA(#163)に改造(日付がおかしい)
1992年01月17日 YS-11EA(#163)にAPWマークを付けている姿が撮影される。(ヒコーキ雲投稿写真だが、撮影日がおかしいと思う)
1992年02月 YS-11EA(#162)は飛行開発実験団(ヒコーキ雲、#162と#163の間違いと推定)
1992年02月 YS-11EA(#163)は総隊司令部飛行隊電子支援隊配備(ヒコーキ雲:IRANを終え、原隊(入間基地総隊司令部飛行隊)に戻り、直ちにADTWへ配置換えとなったのであれば、この記述は時系列的/手続きの流れ上は間違いではない。)
注意2:世界の傑作機C-1によると1991年09月に#163の「YS-11EA改造作業終了、引き渡し」とまとめられているが、「09月に改造作業完了、翌年2月に引き渡し」が正しいものと思われる。
写真7 入間基地南西部をタキシングするYS-11EA(#163)。(2020年11月16日撮影)
【参考文献等】
私自身が目を通していないけれど、読んでみたいと思うものも混じってます。
(1)「空撮・電子戦訓練機 EC-1&YS-11E 妨害と欺騙の空」瀬尾央、航空ファン1999年10月号p.41-47(EC-1の写真はp.41-44)
(2)「航空自衛隊の電子戦飛行隊」小林健、航空ファン1999年10月号p.70-74
(3)「空自の航空機搭載用ECM機材」小林健、航空ファン1999年10月号p.75-77:ALQ-5/-7以外のお話。
(4) 「広帯域高ERPを有するECM装置(J/ALQ-7)の開発(平成12年度防衛調達基盤整備協会賞」受賞技術の概要)」鈴木 孝尚ほか、防衛調達基盤整備協会、防衛調達と情報管理 1(4) (通号 4) 2001.2、p.29~31
(5)「EC-1の開発と運用」加賀仁士、世界の傑作機スペシャルエディション「川崎C-1」文林堂(2022)p.122-127
(6)「電子戦の技術 基礎編」デビット アダミー著、東京電機大学出版局(2013)
(7)「電子戦の技術 拡充編」デビット アダミー著、東京電機大学出版局(2014)
(8)「電子戦の技術 通信電子戦編」デビット アダミー著、東京電機大学出版局(2015)
(9)「電子戦の技術 新世代脅威編」デビット アダミー著、東京電機大学出版局(2018)
以上