用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

YS-11EL/EBの記録

<編集履歴> 27Dec.2024公開、09Oct.2025見直し更新(第4回目、見直し更新)

 

【はじめに】

 航空自衛隊の公式資料には電子戦機に関する記述はほとんど無い。先にEC-1とYS-11E/EAに関する記事を書いたけれど、YS-11EL/EBに関しては、これらの機体より、さらに資料や記述がない。例えば飛行開発実験団のHPの搭載電子機器のページを見ると、EC-1やYS-11EB関連機材の話は掲載されているが、本機については一言も触れていない(注:後述コラム参照)。この機体も退役後に残されることは無いだろう。ここでは一般に入手可能な書籍や資料等に述べられていることを、「ヒコーキ写真マニア目線」で記録としてまとめておこう。

 いつものことだけれど、本記事も資料を集めつつ、書きながらUpdateを進めるので、本記事が「そこそこの形」になるのは、早くても半年程度はかかると思っている。そんなワケで今日の時点では(この記事も)中身はありません。期待してこの記事を開いた皆さん、ごめんなさい。年単位の間隔で「話の中身が増えているかな?」と、もう一度見に来ていただければ幸いです。

【概要】

(1) YS-11ELおよびYS-11EBは航空自衛隊のELINT機だ。1980年頃から既存のYS-11を改造し、ELINT機材J/ALR-1を搭載した機体を「電子情報収集機」”YS-11EL”と称していたが、後年になって、ELINT機材J/ALR-2を搭載して、エンジンをRRダート(2,775shp)からGE T64-IHI-10E(-10J説あり/-10J説の方が有力)へ、プロペラも従来のダウティロートルの4翅からハミルトン・スタンダード60E60-27の3翅のものへと換装した機体を「電波情報収集機(電”子”情報ではない)」”YS-11EB”と称している。この換装工事の際やIRAN時に適宜、搭載機器の更新が行われているのであろうが、その状況は一切不明だ。

航空ファン2024年11月号No.863, p.10の巻頭写真の解説ではYS-11EBの搭載エンジン名称を「アリソンT64」としているが、これは「GE T64」の間違いだ。

 

(2) YS-11EL/EBは工場を出た当初から灰白色迷彩となっており、APW/ADTWによる試験期間を除き、実部隊配備になってからは部隊マークやスペシャルマーキングを施したことはない。ちなみにYS-11EAは改造当初は元のYS-11通常型塗装とほぼ同じカラーパターンだった。なお、YS-11ELが現れた1982年度末ごろに”制空迷彩”となっていた機種は、配備されたばかりのF-15J/DJのみであり、F-104JやF-4EJは戦競時に様々な迷彩塗装を試行していたような時代だ。「実戦的な機体が現れたなぁ!」と驚いたものだった。

(3) 以下に掲載する写真は、特記無き場合には全て入間基地周辺で撮影したものです。

 

【YS-11EL】

 #161号機(初号機)と#157号機(2号機)の2機が存在した。1980年頃からYS-11C(#161)を改造して、東芝製J/ALR-1と呼ばれるELINT機材を搭載し、航空自衛隊初の電子測定機(電子情報収集機/ELINT機)YS-11ELとした。1983年8月度にはAPWのマークを付けた#161号機が入間基地を拠点に試験を行っており、その後に部隊配属となった。

 

【YS-11EB】

 #155、#157、#159、#161号機の4機が存在した。ELINT機材をJ/ALR-2に換装(#155と#159に対しては初搭載)、エンジンをRRダート(2,775shp)からGE T64-IHI-10E(-10J説あり)へ、プロペラも従来のダウティロートルの4翅からハミルトン・スタンダード60E60-27の3翅のものへと換装した機体。#155号機ト#159号機は輸送型YS-11からの改造機、#157号機と#161号機はYS-11ELからの再改造機だ。換装後は「電波情報収集機(電”子”情報ではない)」と称している。なお、YS-11EA/EBはエンジンを換装し、パワーアップしていることから、”スーパーYS-11”(通称)と呼ぶことがある。

 

【機体&Gallery】

(1) 82-1155 (cn. 2074) 1968年7月25日にYS-11PCとして初飛行し、後にYS-11Cに改造された。さらにYS-11EB初号機(J/ALR-2搭載初号機)として改造され、1995年2月16日にYS-11EBとしての初飛行を行った。改造を行った日飛(日本飛行機株式会社)としては、この時点ではエンジン換装第2号機(初号機はYS-11EAの12-1163号機)であり、このことを記念して「YS-11エンジン換装2号機完成記念 日本飛行機株式会社 平成7年3月」と記したテレホンカードが作成されている。このカードに使われた写真は本機の離陸時のもので、オークションに出品されたことで、その存在が発覚した。1995年4月1日に総隊司令部飛行隊電子飛行測定隊に配備されたことになっているが、恐らくこの日付は書類上のもので、機体自体は3月31日まで(1994年度末まで)に厚木の日飛から入間基地にフェリーされていたものと考えている。

 なお本機は改修当初よりSATCOMアンテナが搭載されていたというが、改修後の初飛行(1995年2月16日)から1999年12月9日以前に撮影された写真記録を見つけていないので、確認はとれていない。

 2025年2月27日以降にIRANに入った。納期は2026年2月。契約金額は193,600,000円也。RC-2の3号機予算も計上されている現在では、これがYS-11シリーズの最後のIRANとなることだろう。

写真1-1 光線具合にもよるが、かなり色褪せた感じの155号機。(2024年4月2日撮影)

 

写真1-2 T&Gをやってくれたので、下面の写真撮影もトライする。(2024年4月2日撮影)

 

写真1-3 さらにT&Gをやってくれたので、斜め前からも一枚。(2024年4月2日撮影)

 

(2) 92-1157 (cn. 2125) 1969年9月27日にYS-11Cとして初飛行。のちにYS-11ELの2番機へと改造された。YS-11ELとしての初飛行は1991年04月05日。そして1999年(??月??日)には YS-11EBの4号機として初飛行した。4機のYS-11EB中では唯一SATCOM(と思われる)アンテナフェアリングが無い機体。最終IRANは2017年11月末頃に終了し、恐らく同年12月6日に厚木の日飛から入間基地へのフェリーフライトが行われている。2020-2021年度に用廃になったものと思われる(YS-11EBとしては初の用廃)。解体公告は2022年9月6日付で入間基地のHPに掲載され、9月16日ごろに本機とC-1(88-1028)が基地北東部の解体場所に運ばれた。そして10月17日に解体されてしまった。

写真2-1 那覇基地航空祭の最中に姿を見せた157号機。SATOCOMアンテナのフェアリングが無いので、他のYS-11EBよりもスッキリとした外観をしている。(2014年12月14日撮影)

 

写真2-2 解体のため、基地北東部に移動された157号機。すでにエンジンは外されている。(2022年9月26日撮影)

 

(3) 02-1159 (cn. 2151) 1970年9月8日にYS-11Cとして初飛行。その後、YS-11Pに改造され、さらにYS-11EBの2番機として改造された。改造後の初飛行は1996年01月16日。2004年7月7日にはSATCOM(と思われる)アンテナフェアリングを胴体中央上部に装備していた。YS-11EBの初号機#155が初飛行時からSATCOMアンテナフェアリングを取り付けていたのなら、本機も初飛行時から装備していたと思われるが、「改造後の初飛行から最初のIRAN」までの間の写真記録が見当たらないので、「本当に改造初飛行時からSATCOMアンテナフェアリングがあった」のかどうかは確認できていない。航空ファン誌2023年4月号にて「2022年12月ごろ引退した模様」と伝えられたが、これは誤報であり、2025年10月時点でも現役だ。

写真3-1 離陸上昇する159号機。プロペラを流すような低速でレンズを支えるコトができないので、1/1,250秒という高速シャッター速度で撮影する。(2024年撮影)

 

写真3-1 右主翼後方の膨らみを見せてアプローチする159号機。(2024年撮影)

 

(4) 12-1161(cn. 2160) 1971年5月11日初飛行。元YS-11CにELINT機材(東芝製J/ALR-1)を搭載したYS-11ELの初号機として1982年度ごろに改造された。ネット上にはAPWのマークを描いて岐阜基地を離発着する1982年12月13日撮影とする写真が公開されている。翌1983年度にはAPWのマークを描いて入間基地を拠点として試験を行っていた。部隊配備は1982年度末~1985年頃。1997年度ごろにYS-11EBの3号機としての改造を受ける(初飛行日は不明/1997年度としておく)。ネット上の写真によると、2002年5月12日以降、2004年10月1日までの間にSATCOM(と思われる)アンテナフェアリングを追加で装備した(追加装備は2005年という説もある。投稿写真の撮影日が間違っているために生じた誤差と思われるが、どちらが本当なのかは現時点では不明)。2025年3月7日にIRANを終え、入間基地に戻ってきた。個人的には相性の悪い機体で、動いている姿はAPWマークをつけて入間基地で試験飛行をしている時(YS-11EL時代)に撮ったのが最後だ(1983年の夏ですねぇ)。

写真4-1 基地南端から駐機中の機体を見る。個人的にはYS-11EBとなってからは動いている姿を撮影したことがない。(2013年11月1日撮影)

 

【まとめ:YS-11EL/EBに関するイベント年表】

1980年頃 #161号機をYS-11ELへと改造開始

1982年9月ごろ 改造後初飛行

1983年度 APWによる試験実施

1982年度末~1985年度ごろ 部隊使用承認/電子訓練隊に配備

1991年04月05日 YS-11ELの2番機(#157)初飛行

1991年11月11日 電子飛行測定隊発足(YS-11EL配備)

1995年02月16日 YS-11EB 初号機(#155, J/ALR-2搭載)初飛行

1996年01月16日 YS-11EB 2号機(#159)初飛行

1997年度    YS-11EB 3号機(#161)初飛行

1999年??月??日 YS-11EB 4号機(#157)初飛行

2004年度以降 #155, 159, 161に順次SATCOM追加装備

2020年10月01日 RC-2を電子作戦群電子飛行測定隊(入間)に配備

2020-2021年度 #157号機用廃(推測)

2022年10月17日 #157号機解体

以後も運用中。

 

【参考】

(1) Japanese Military Aircraft Serials 2000 (J.A.R.G.)

(2) ヒコーキ雲さんのサイト

(3) Flayteamさんの投稿写真

(4) X (旧Twitter)への投稿

 

【余談:同業者パイロットのお話し】

 ELINT (SIGINTを含む)任務でのフライトは「相手の玄関先」でグルグル周回飛行を行うが、パイロットとしては(かつては)ヒマな任務だったらしい。ネタ元は1990年頃のAW&ST誌だったか、そのほかの海外誌だったか、ハッキリとは覚えていないが、たしかRC-135Sの同乗レポート(!)の中でのクルーの話として、「そりゃね、領空侵犯しないように気を使うけどさ。インターセプトされたところで、こちらに出来るコトなんて無いしね~。」なんていうノリの文章が掲載されていたように覚えている。鼻先で急旋回されたり、ぶつけられたり、時には発砲/撃墜されることもあるけれど、飛行業務としては互いの意地の張り合い(こちらとしては進路の維持)”だけ”というような話だったような記憶がある。現在のロシア/北朝鮮/中国がどのような態度で出てくるのかは、もう、全く分からないけれど。

写真5-1 入間基地北端にて。(2024年11月12日撮影)

 

【余談その2:航空自衛隊、存在を認める?!】

 2025年10月6日午後4時過ぎ、航空自衛隊航空戦術教導団は公式X(@jasdf_atdw)への投稿にて、おそらくは航空自衛隊としては初めてYS-11EL/EBの存在を認める記事を配信した。記録として、その全文を紹介しておく。

(開始)

「#電子飛行測定隊 の部隊発足は平成3年11月11日、電子測定機YS-11ELを運用開始。その後、DARTエンジンからGET-64エンジンへの換装を経て電子測定機YS-11EBにて運用、令和2年からは電波情報収集機RC-2も運用し、電磁波領域における優勢確保等のために活躍しています。」(終了)

ついに公表したか!と、ビックリたまげて驚きました。

なお、本Blogでは上述記事中にて"「電波情報収集機(電”子”情報ではない)」”YS-11EB”と称している。"と紹介していますが、今回の航空戦術教導団のXへの投稿では「電子測定機YS-11EB」と称しているのが気になるトコロです。

そのうち東京・新橋の航空図書館を訪問して、過去の記述を見直してこよう。(2025年10月9日記)

 

【参考文献】

(1)「航空自衛隊電子戦機概史」松崎豊一、航空ファン2024年11月号No.863, p.59-63

以上