<編集履歴> 25Jun.2020公開、04Jul.2021見直し更新(第6回目、写真リンク更新)
<座標 Location> 34.7357N, 37.6165E
<機体Aircraft> C-47 (L2-32/11, cn.25762), RTAFのAF501(USAF 43-48501)
<訪問日 Visit> 27 Aug. 2020
写真1 機体右側面を順光で撮るには10時前に現地へ!(2020年8月27日撮影)
<行き方 Access>
1. JR浜松駅前のバスターミナル1番から遠鉄バスNo.30舘山寺温泉・村櫛方面行にて約57分、庄和町下車(700円)。下車後約1.5kmを歩く。バスは毎時04分発、帰りのバスは毎時18分ごろに庄和町のバス停を通過する。
2. JR舞浜駅から徒歩約8km。
3. JR弁天島駅から徒歩約9.5km。
<解説General>
1. 2013年に公開された映画「飛べ!ダコタ」撮影のために2011年にタイ空軍のAF501を”輸入”したもので、RAF FL510号機”Sister Ann”と描かれている。新潟県佐渡島での映画撮影が終了した後にこの場所に設置された(詳細は後述)。
2. 機体は機首を北西(磁方位325度程度)に向けて置かれている。季節にもよるが機体右側面を順光で撮影するには現地に10時前に到着するようにしたい。機体の左側面は11時過ぎごろから順光となる(13時以降がより良好な光線状態となる)。機体の30m程度前方に立入り禁止柵があるので機体解説板のある機体前までおよび機体左側面には近づくことはできない。私は訪問時にグランドパークの受付にて来訪目的を告げ、立入り禁止エリア内での撮影許可を得たうえで撮影を行わせていただいた。この場をお借りして関係者の方々に御礼申し上げます。
3. 機体右側を撮影する場合、手前の柵を入れて撮影するとこの柵が道路に沿って右側が低くなるように傾いている。機体は左の尾翼側が下がる形なので、ファインダーを覗くとかなり混乱する。水平をしっかりとるように気をつけよう。
4. 機体右側面が順光となる時間が長くなる夏季の早朝に本機を撮影した後、浜松の広報館や喫茶飛行場の展示機、さらには磐田市竜洋袖浦公園のF-86Fなどと共に車やバイクで一気に訪問すると効率が良いだろう(私自身は2020年8月27日に実施)。
5. 本機を実質的に管理していた道路反対側の株式会社浜名湖グラウンドゴルフパ一ク(浜松市西区白洲町)は、2020年9月30日に静岡地裁浜松支部に自己破産を申請、同年12月22日に破産手続開始の決定を受けた。負債総額は約1.5億円とみられる。本機の今後の動向は全く不明だ。なお2021年3月6日時点で駐車場の入口は閉鎖されているため、道路側から写真1のような機体右側面の撮影はできるものの写真2のような正面~機体左側の写真は撮ることができなくなっている。
写真2 立入禁止エリアの端から中望遠レンズにて。(2020年8月27日14時頃に撮影)
<機体来歴>
C-47B-1-DKとして製造。USAF 43-48501として第二次世界大戦で使用、大戦後は予備役、ベトナム戦争でガンシップFC-47となり、さらに名称がAC-47Dに変更された(1965年当時はAC-47Dとして4th Air Commando Sqn. Stewart AFB所属) 。ベトナム戦争後はベトナム軍、ラオス軍を経てタイ空軍(S/N: L2-32/11)で使用後、1986年には用廃となりLop buri基地で保管された。その後、Tango sqn.(タイの機体動態保存集団)の所属機となり2007年12月までにNakhon Pathomに移動されていた(GE-Pro2009年12月18日取得画像、3.8026, 100.0074)。定説によれば本機なのだが、衛星画像ではエンジンより先の外翼は外されており、外された翼は確認することができない。またGE-Pro画像によると2009年12月3日、7日、18日の画像にて敷地内の配置物が大きく変化しており、タイ人の仕事ぶりから「こんなに短期間でできるはずがない」と考える。「画像取得日」にもなんらかの誤差があるものと思われる。
出展:http://www.dc3history.org/locateadc3bynumber.html
<Wikipediaの誤情報:BT-67か?>
さて映画「飛べ!ダコタ」のWikipediaには「タイ王国空軍が2006年に廃棄したBT-67(DC-3の改造機)」との解説が2020年6月29日まであった(現在は消失)。しかしタイ空軍が所有するC-47をターボプロップ化したのは1998年ごろのことであり、上述の経緯が正しければ廃棄した機体のエンジンを換装したことになる。こんなことがあるハズがない。日本で組立て、あるいは浜松への移転の際に分解し、再度組立て時の写真を見てもエンジン及びマウントに手をつけた形跡はない。もちろん現地の実物にもエンジンマウントに手を加えた跡はない。何をソースにしたのかは判らないがWikipedia執筆者は本機の入手の経緯について明らかに誤認識していたものと思われる。
写真3 切断した機首(や胴体後部)は新たな外板(色の異なる部分)で補修されている。(2020年8月27日撮影)
<垂直尾翼の来歴>
なお上記の状況を確認する際に佐渡島で組立てを行う際の写真を見たが、垂直尾翼(ラダーおよび尾翼上部を除く)のみは迷彩塗装であり、「210」という数字が描かれていた。210号機はパタヤ近くの町Si RachaにあったL2-41/18(ex.USAF 43-49210)のものだ。GE-Proでは2009年11月19日取得画像まで13.651, 100.9908にて2機並んで展示されている機影を確認できるが北側の機体が210号機、南側の機体が919号機だ。次の2012年12月24日に取得画像では2機とも消失している。機体の詳細画像はAirliners.netで確認しよう。垂直尾翼の明細の塗りが同じだ。
佐渡島での組立て時には垂直尾翼が迷彩塗装であり、「210」と描かれていることが確認できる写真はこちらに掲載されている;
写真4 機体の左側は立入禁止エリアだが許可を得て撮影した。(2020年8月27日撮影)
<撮影終了後の動向>
映画撮影終了後はしばらく撮影地である新潟県佐渡島に置かれていた。yahoo!オークションで800万円の価格を付したものの不成立となった。その後、別途興味を示した企業により購入され、浜松に移転された。なお2020年6月29日まではWikipediaにおいて「オークション落札企業に購入され浜松に移転」という旨の書き込みがあったが、これは誤情報だ。
<その他>
国内に残るDC-3/C-47系統の機体はほかに海上自衛隊鹿屋基地航空史料館のR4-D6Qが存在するのみであり、純粋な輸送機型(の外観を示すもの)としては唯一の機体なのだが、極めて知名度が低いのが残念だ。
写真5 飛行するC-47のイメージ。(2019年3月3日オーストラリアAvalon空港にてVH-AGUを撮影)
以上