<編集履歴> 24May.2020「航空自衛隊 連絡機、救難機、その他の展示機」として公開、28Dec.2024「航空自衛隊 B-65のお話し」に分離独立、02May.2025見直し更新(第2回目、引退年確認結果記載)
【概要】
(1) 航空自衛隊が計器飛行訓練用に5機を購入し、当時B-65を訓練機として運用していた海上自衛隊に運用委託していた。しかし海自ではTC-90へと機種変更が進んだことから1980年3月4日に航空自衛隊に返還された。日本語の表現・表記上の曖昧さがあるのだが、書類登録上は5機とも1980年3月5日付で航空自衛隊機となっている模様。すなわち3月4日は海上自衛隊所属機としてのB-65を空自に返還した日であり、翌5日から晴れて航空自衛隊機ということなのだろう。航空自衛隊ではこれら5機を連絡機として1999年3月末まで運用した。
(2) 現在、国内に残る機体は浜松基地内で屋外放置されているのみとなっている。
【機体】
(1) 03-3091 (cn. LC-320, 元海自の6720号機)
那覇基地で1997年3月31日付で用廃となり、廃棄された。なお用廃日は「書類上の用廃日」であり、最終フライト実施日とは一致しないことがある(以下、同様。またその他の航空自衛隊においても同様)。
(2) 03-3092 (cn. LC-321, 元海自の6721号機)
入間基地で1997年2月17日付で用廃となり、廃棄された。
(3) 03-3093 (cn. LC-322, 元海自の6722号機)
入間基地に3機配備されていたB-65のうちの最後の一機で、1998年2月3日に最終フライトを行った。書類上では1998年3月25日付で用廃となっているようだ。これをもって入間基地におけるB-65の運用は終了した。1998年11月3日の入間航空祭では退役スペシャルマーキング描かれて展示されている。このマークの運用期間は海上自衛隊で運用していた1969年から1998年を記しており、海上自衛隊時代に所属していた202ATS(徳島)のマークも張られていた。廃棄された後、残骸は回収され、再び組立てて福島県 old Car Center Kudanにて展示されていた。2025年3月に撤去(個人収集家へ譲渡か?)




写真1-1, 1-2, 1-3, 1-4 Old Car Center Kudanに展示されていた頃の03-3093号機。本機は2025年3月末頃に撤去された。(1-1: 2019年8月24日、1-2/-3/-4: 2021年12月11日撮影)
(4) 03-3094 (cn. LC-334, 元海自の6727号機)
1999年3月1日に南西支援飛行班(当時)にて引退し、奄美ー新田原基地を経由して浜松基地にフェリーされた航空自衛隊における最後のB-65だ。書類上は1999年3月24日付で用廃となっている。その後は浜松広報館にて南西航空混成団支援飛行班マークを描いて展示されていたが、2021年3月8~12日のリニューアル工事に際して3月10日に搬出/格納され、以後は非公開となっている。保存指定機かどうかは確認していない。2022年頃から屋外に放置されている姿が、衛星写真で観察される。2024年に実施された3D計測の対象機からも外されており、廃棄されるものと考えている。

写真2 リニューアル前の浜松広報館に展示されていた頃の03-3094。(2018年8月13日撮影)
(5) 03-3095 (cn. LC-335, 元海自の6728号機)
1998年7月16日付で用廃となり、那覇基地の一角にて展示中。2025年4月30日時点で、国内で一般人が見ることのできる唯一の航空自衛隊のB-65だ。 展示機前の説明板には「平成11年3月ラストフライト・・・」(注:平成11年は1999年)との文言があるが、上述の通り、平成11年3月にラストフライトを行ったのは03-3094号機のことだ。ここでは、あくまで「那覇基地におけるB-65の運用史」について述べているのであって、「展示機03-3095機のことではない」ことに注意する。近年では12月頃に実施される基地祭時に、この説明板まで行くことはできないが、「ヒコーキ雲」さんのサイトに写真が掲載されている。


写真3-1, 3-2 那覇基地の一角に展示されている03-3095号機。2024年度夏までに後方にあるファントムの展示方法が変わっている。(3-1: 2023年12月10日、3-2: 2024年12月8日撮影)
【B-65の用廃時期について】
航空自衛隊で運用していたB-65の用廃時期について調べると、ネット上には1998年説と1999年説が混在していた。そこで過去に出版された書籍を確認したところ、本機の用廃時期を「1998年3月まで」とする記事と、「1999年3月まで」とする記事が存在していることが判明した。イカロス出版の出版物では主に「1998年」、文林堂出版物では「1999年」と記載されていたのだな(後述する参考文献を参照)。
本当の用廃時期は、上述した通り「1998年度末/1999年3月末」が正しい。
国内事案においては「**年」と「**年度」を混同する事例が多数生じており、歴史的事実の検証を行う際の障害となっている。今回の事案も「1998年度用廃(1999年3月用廃)」ということであれば、何ら問題はないのだろう。どこかで「年」と「年度」を間違えたのか、もしくは「98年」「99年」の誤植なのだろう。
本件に限った話ではないが、読者の皆様が歴史調査の結果を公表する際には、参照した記事・文献名称等も明記しておくことをお薦めしたい。間違えていた場合、「ボクが悪いんじゃないモン、こっちの記事が間違っていたんだヨ!」と言い訳が出来るように・・・。
<参考:航空自衛隊におけるB-65運用年記載文献と、その記載例>
(1) 「1998年3月1日に全機用途廃止になるまで、連絡、人員/軽貨物輸送機として使用した。」(「自衛隊機年鑑」p.118、イカロス出版(2016年1月20日発行))
(2) 「1998年3月1日に全機用途廃止になるまで、連絡、人員/軽貨物輸送機として使用した。」(注:上記(1)と全く同じ文言が記載されている)(「自衛隊機全集」p.118、イカロス出版(2021年12月5日発行))
(3) 「総飛からは1998年に、南混団からは1999年3月1日付で最後の1機が退役し、全機用廃になった。」(航空ファンイラストレイテッドNo.108,(1999 Autumun)「自衛隊航空機 ALL CATALOG」p.41、文林堂(1999))
(4) 「JAPANESE MILITARY AIRCRAFT SERIALS 2000」(J.A.R.G.編)を見ると、航空自衛隊のB-65の運用期間は「1980-1999」となっている(上述の通り、海上自衛隊から返還されたのは1980年3月4日付)。
<参考:入間基地におけるB-65の用廃時期に関する参考文献>
(1) 航空情報誌1998年5月号p.91のDomestic Newsのページには03-3093号機が着陸する際のショットが掲載されており、「2月3日、ラストフライトを終え、入間基地に着陸する総隊司令部飛行隊のB-65(中略)、入間に3機、那覇で2機が使われていて(中略)、着陸後、簡単な退役式が行われた。」というキャプションが添えられている。
<那覇基地におけるB-65の用廃時期に関する参考文献>
(1) 「1999(平成11)年3月1日、航空自衛隊に最後まで残っていた同隊(注:第83航空隊のこと)所属のB-65が用途廃止となり、奄美ー新田原基地を経由して浜松基地にフェリーされている(現在、同機は浜松基地広報館「エアーパーク」に展示されている)。」(「航空自衛隊那覇基地の沿革」石原肇、KF誌2022年2月号No.830,p.53)
なお、これは03-3094号機のことだ。
※1 新橋の航空図書館に当時のエアワールド誌は無く、確認できなかった。
※2 航空ジャーナル誌は1988年7月号をもって休刊となっていたため、調査対象外。
以上