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台湾のマルヨン(F-104J/DJ)の話

<編集履歴> 06Mar.2023公開、30Sep.2023見直し更新(第5回目、見直し実施)

 

【はじめに】

 2023年3月3日付の産経新聞は元空将補が台湾に渡った航空自衛隊のF-104に関してまとめを行い、これまで断片的に知られていた事項の「全容」を明らかにしたという話を掲載した。

断交後の台湾守った日本の戦闘機 裏面史を元空将補まとめる - 産経ニュース

 産経新聞記事によると、まとめた内容は自衛隊内誌に掲載されるとのことであったが、その後の結果としては2023年4月21日に発行された航空ファン誌2023年6月号p.60-68「台湾海峡の守りに就いたF-104J/DJ」(尾形誠、以下KF誌と略)の方が先に発表され、2か月半ほど経過した7月12日になって航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」夏燕号(No.130)p.54-67に「台湾海峡の守りに就いた航空自衛隊F-104」(尾形誠、2023年6月26日印刷7月12日発行、以下翼誌と略)が発行されている。

 

【二つの論文の内容比較】

 私自身はこの翼誌を東京・新橋にある航空図書館でみつけて読む機会がありました。KF誌と翼誌を比べると以下に記載する4点ほどの差がありますが、文書量の99%程度以上は同じ内容/文章です。むしろKF誌の方が文末にまとめとして「その後の第427戦術戦闘機連隊」という小文が付加されているので「より資料価値が高い」内容だと思います。したがって読者の皆様には「KF誌掲載文を読んでおけば十分」と断言します。なお「翼」誌を読んでみたい方は国会図書館で閲覧するか、上述した新橋の航空図書館、あるいは地方協力本部で相談してみるとよいでしょう。また航空自衛隊基地広報施設(資料館など)の本だなに置いてあることもありますので、基地広報に相談してみると良いかもしれません。

<KF誌と翼誌の内容の差異>

(1) KF誌は横書き、翼誌は縦書き構成のため、KF誌では数字はアラビア文字表記となっているが、翼誌では主に漢字数字が用いられている。

(2) KF誌ではいくつかの漢字が平仮名になっている。「既に(すでに)」「一人(ひとり)」「纏まった(まとまった)」など。

(3) 翼誌にあるカッコ内の付記がKF誌では一部消えている。例:翼誌p.61中段、「操縦士と機体20機(A型17機、B型3機)」のカッコ内の記述はKF誌には無い。

(4) 翼誌の掲載文末(p.67下段)の締めの言葉の語尾がKF誌と異なっている。KF誌には前述の通り、この後に「その後の第427戦術戦闘機連隊」という小文がついて論文が終わるので、この小文を削除したための修正措置だろう。

 

【現時点で不明な事項】

 ここで2023年3月初旬の時点で「不明」となっている事項を列挙してみよう。もちろん私個人ベースで”不明”という意味だ。

(1) 台湾がアメリカにF-104J/DJを要望した文書内容およびその文書作成に関する裏話

(台湾のF-104J/DJ入手プロジェクト「阿里山9号」は1986年9月12日に開始されたとされている)

(2) アメリカでのF-104J/DJ供与決定の背景情報(文書記録)

(3) アメリカに返還されたF-104J/DJのS/Nリストおよびアメリカが(日本から)台湾に輸出したF-104J/DJのS/Nリスト。いずれも民間マニアの目撃情報から作成したものは存在するが、ここでは「公式文書ベースのもの」があれば良いと思う。なお1993年11月8日付の新聞報道によると1985年に20機、1986年に17機の合計37機が返還された。内訳は単座のJ型が31機、複座のDJ型が6機だ。米国の情報公開法を利用すれば分かるかもしれない。

(4) アメリカから日本への指示内容(文書記録)

(5) 岐阜基地第2補給処から名古屋港までの輸送手段、輸送日および出港日

(6) 初便の台湾到着日。なお台湾では屏東基地内で再組立が行われた後に台湾中部の清泉崗(CCK)基地にフェリーされている。→論文より最初のコンテナの開梱日は1985年7月6日とされる。小牧から高雄までの航送日数は3日程度。日本と台湾での税関手続きでそれぞれ数日かかるとして、初便は1985年6月初旬から中旬ごろに名古屋港を出たものと考えて良いだろう。

(7) 台湾空軍のF-104J(4520)は屏東基地で再組立が行われ、1987年5月14日にCCK基地に向けてフェリーしている途中で墜落したため、現時点で唯一S/Nが不明な機体だ。台湾の軍事歴史家J.P.Fu氏とオランダのInternational F104 SocietyのH.prins氏の対談によると「日本から提出された資料(恐らく米国の情報公開法を元に入手した資料)が正しければ」、該当するのは36-8525号機か36-8555号機だと考えられている。残念ながら外部の調査で分かるのはここまでであり、台湾空軍における再組立て記録および4520号機の空軍登録記録が無い限りは絞り込むことができないままだ。

(8) 台湾空軍におけるF-104J/DJ運用中止決定書(記録文書)。F-104J/DJはそもそも耐用命数が少なかったこと、J型とG型で一部仕様が異なっていたこと、日本語の技術指令書に不備が多く整備が大変だったことに加え、1990年12月5日にF-104J(4511)が空中分解して墜落したことが原因となって1991年3月1日に運用を終えている。→論文では「運用終了後」も1994年初頭頃までは使われていた旨が記されている。

写真1 第7中隊の4510号機。本機は元航空自衛隊の26-8503号機だが、この写真の機体の垂直尾翼には"46-8577 / 4510"と描かれている。真相は26-8503号機の本体(ノーズから主翼後端部まで)に46-8577(部品取りとして使われた機体)の後部胴体をくっつけて塗装した際に間違えて後部胴体の機体のS/Nを描いてしまったもの。(1990年3月某日、CCK基地)

 

【参考文献】

 さて一般が入手できる(現在では入手困難な古本もあるが)台湾で使われた元航空自衛隊のF-104J/DJに関する資料を発行年順に紹介しておこう。中でも2000年3月に発行された「F-104星式戦闘機 中国空軍服役歴史」は良書だ(私の撮影した写真も掲載されている)。Wikipediaや多くのS/N関連サイトの情報源はこの本だと断言しても良い。なおScrambleやInternational F-104 Societyなどは1980年代から独自にS/Nリストを作成していたが、この本の情報を元にその内容をUpdateしている。また後述する日本人マニアのHP "Skywarriors Gallery"の台湾空軍の項にも運用当時の詳しい話が掲載されている。これらの内容を超えるものでないと「何を今さら・・・」という評価になるだろう。

https://www.mnd.gov.tw/NewUpload/202005/08-%E5%94%90%E9%A3%9B-(%E4%BA%8C)_101697.pdf

(1)「マルヨン 今も台湾の空に健在」(王俊明/日本人マニアのペンネームだ)、航空ファン(以後、KF誌)1993年12月号、台湾でF-104J/DJが使用されていたことを伝える国内初のレポートだ。ただし現地の状況より、全てのF-104J/DJが引退したあと(公式発表の1991年3月1日以降)に投稿され、公表されている。

(2)「退役「F104J」台湾空軍に」東京新聞1993年11月8日。上述した(1)のKF誌記事を取り上げたものだが、新聞社側は現地での確認を行っていないために「すでに台湾でも退役している」ことは述べられていない。使われている写真はKF誌掲載写真だが、KF誌提供である旨は記載されていない。

(3)「自衛隊退役F104台湾空軍が使用」中日新聞1993年11月8日。東京新聞と同じ記事を配信社/系列新聞社の繋がりにて配信/転載し、紙面に合わせていくらか記事内容を縮めたもの。こちらも使われている写真はKF誌掲載写真だが、KF誌提供である旨は記載されていない。

(4) 「F104 in ROCAF」写真:飛行兵工作室、記事:石村誠(これも日本人マニアのペンネームだ)、航空ファン1995年10月号p.26-29

(5) 「台湾空軍のF-104」石村誠(詳細上述)、航空ファン1995年10月号p.60-65。この記事の最後には参考文献リストが掲載されているので、適宜参照していただきたい。

(6) 「MILITARY SERIES No.2 F-104 STAR FIGHTER 星式戦闘機全集」模型族雑誌社(1997年2月発行)

(7) 尖端科技特刊「F-104星式戦機」(宋玉寧著、尖端科技、1998年発行)。F-104の引退に合わせて、あり合わせの写真で作成した本のようで、あまり評価は高くない。日本人の目からすれば台湾空軍のF-104の写真ばかりなのでそれなりに資料価値はある。

(8)「F-104星式戦闘機 中国空軍服役歴史」傅鏡平著、中国之翼出版社(2000年3月発行) 台湾F-104に関する最良・最高の資料。絶版で古本も入手困難だ。これ以降の出版物の多くは本書を参考にしている。

※(6)は保有していない。(7)は一時期保有していたが廃棄した。いずれも模型作成用に詳細写真はあるが、史料としては不十分なものと考えている。

 

【参考HP】

 (1) Skywarriors Gallery:台湾空軍でF-104J/DJを運用していた頃に現地に赴任していた日本人航空機マニアが現地マニアとの交流で得たナマの情報をまとめたもの。これ以上の情報源は存在しない。なお台湾では軍事施設の撮影は禁じられており、個人でこっそりと撮影している人は多かったものの、その活動は活発では無かった。しかし航空ファン誌1990年7月号p.51でLOROPノーズを付けたRF-104G(4398 / 67-14890)の外撮り写真が公開されると(その後、数か月間は空軍の調査が行われていたために撮影は困難だったそうだが)、真面目に撮影し始めるようになったというエピソードがある。

https://skywarriors-gallery.com/rocaf%20top%20sub.htm

(2) 産経新聞の記事の中で触れられている2022年に発行された台湾空軍上層部の方の論文とはこのことだと思う(再掲)。

https://www.mnd.gov.tw/NewUpload/202005/08-%E5%94%90%E9%A3%9B-(%E4%BA%8C)_101697.pdf

(3) 本Blogの参考記事

【台湾】台湾空軍 F-104シリーズの展示機 - 用廃機ハンターが行く!

(4) 台湾空軍のマルヨン全般についてよくまとめた中国語のサイト。これを自動翻訳するだけで国内雑誌2-3ページ程度は貰えそうだ(笑)。

中華民國空軍F-104 - 維基百科,自由的百科全書

 

【台湾空軍F-104JのS/N】

 台湾空軍S/N: 4501~4522の22機が登録されたが、4520号機は再組立てを終えてCCK基地にフェリーする途中で墜落したため、実際に運用したのは21機だ。

4501 (46-8612) 1999年解体

4502 (36-8528) 空軍公式文書では高雄の国立科学工芸博物館に貸与。F-104G 4303/62-12252と記入して展示中(4522号機の注釈も参照) 

4503 (36-8531) CCK基地デコイ後、解体か?

4504 (36-8554) 1999年解体

4505 (46-8611) 1989年12月9日墜落

4506 (36-8565) 花蓮佳山基地でデコイ・ハンドリング訓練に使用されたのち、南投縣集集軍史公園にF-104GのS/Nである "4303/ 62-12252"を記入して展示されていた。2016年12月1日に4506 / 36-8565へと修正された。修正後の写真投稿はまだ少ないので確認する際には注意を要する。

4507 (46-8569) 1988年4月11日墜落

4508 (46-8570) 1999年解体 

4509 (36-8508) 不明(恐らくスクラップ済)

4510 (26-8503) 1999年解体

4511 (46-8582) 1990年12月5日墜落。これが直接原因となって運用終了

4512 (36-8509) 1999年解体

4513 (36-8514) 1999年解体

4514 (46-8616) 國立成功大學(台南)に展示

4515 (46-8618) 2010年前後まで高雄の中山大学で展示された後に台中市私立嘉陽高級中學に移設、展示中

4516 (46-8619) 1999年解体

4517 (46-8627) 1988年9月1日墜落

4518 (26-8502) 1999年解体

4519 (46-8645) 台中の成功嶺に”4522”と記載して展示

4520 (S/N?) 1987年5月14日、フェリー途中で墜落。36-8525か36-8555とされる。

4521 (36-8541) 不明(恐らくスクラップ済)

4522 (46-8596) 國立科學工藝博物館(高雄市)にF-104G 4303/62-12252と記入して展示されており、使用されている部品から永らく「4522」とされていた。「4502」の注釈であるように空軍公式文書では「4522」ではなく「4502」だ。

 

【台湾空軍F-104DJのS/N】

台湾空軍S/N: 4591~4595の5機が運用されていた。

4591 (26-5003) 不明(恐らくスクラップ済)

4592 (26-5004) 不明(恐らくスクラップ済)

4593 (26-5006) 不明(恐らくスクラップ済)

4594 (36-5016) 1999年解体

4595 (36-5017) 1999年には花蓮佳山基地地下格納庫に放置されていた。2003年頃から2016年までは南投縣の水里親水公園に展示され、その後は中華科技大學雲林キャンパスに移設されている。

 

【台湾に”輸出”されたものの部品取りだけで使われなかった機体】

J型9機とDJ型1機の合計10機が確認されている。以下のリストではJ型”10機”を記載しているが36-8525もしくは36-8555は台湾空軍4520号機となった機体だ。この機体は屏東基地で組み立てられ、CCK基地にフェリーされる途中で墜落してしまったのでS/Nが確認できていない。「墜落しなかったほうの機体」は部品取りとして使われたが、台南のスクラップ屋に転がっていた機体からはその番号は確認されていない(すなわち写真記録が存在しない)。

(1) F-104J (36-8525) 台湾空軍4520号機かもしれない機体(その1)。写真記録は残っていない

(2) F-104J (36-8526) 台南市南化水庫に”4526”と記入して展示

(3) F-104J (36-8547) 國防大學理工學院に"4547"号機と記入して展示

(4) F-104J (36-8555) 台湾空軍4520号機かもしれない機体(その2)。写真記録は残っていない

(5) F-104J (36-8556) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(6) F-104J (46-8576) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(7) F-104J (46-8577) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(8) F-104J (46-8580) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(9) F-104J (46-8614) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(10) F-104J (46-8634) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

(11) F-104DJ (36-5012) 台南の廃棄物業者ヤードにて確認

写真2 第8飛行中隊の4515号機。元は航空自衛隊の46-8618号機だ。オリジナル画像を見ると垂直尾翼のS/Nの下一桁は不鮮明ながら"6"に見える。46-8616号機は台湾空軍4514号機だ。本機も前部胴体と後部胴体とを交換して使用していた機体かもしれない。(1990年3月某日、CCK基地)

以上