<編集履歴> 17Nov.2022公開、23Nov.2022見直し更新(第2回目、MU-2の経歴に関する記述を大幅に更新)
<場所 Place> 愛知県豊山町(とよやまちょう)大字青山字神明120-1 航空館boon
施設案内 航空館boon(こうくうかんブーン)|豊山町公式ウェブサイト
<訪問日Visit> 15Feb.2017, 08Nov.2019, 12 Nov.2022ほか
<行き方 Access>
(1) 名古屋空港より道なりに約2.4㎞、徒歩30分程度
(2) 名鉄犬山線西春駅より名古屋空港行バスに乗車。「豊山町社会教育センター」で下車して道なりに約1.7㎞、徒歩22分程度。バス運行頻度は1時間に1~2本程度
(3) 名古屋の栄から「とよやまタウンバス」利用、栄から「航空館boon」下車。バス運行頻度は1~1.5時間に1本、所要約45分、500円
<解説General>
(1) かつての名古屋空港内には「名古屋空港航空宇宙館」(1985年7月20日開館)があったが2004年10月31日に閉鎖された。ここにあったゼロ戦を含む展示物の多くは所有者に返却されたが、その残りもの(失礼!)の展示場所として県によって神明公園内に整備された施設がこの航空館boonだ。2005年4月1日にオープンし、管理運営は豊山町が行なっている(Wikipediaおよびヒコーキ雲さんより、2022年11月17日閲覧)。開館時間は0900-1600、休館日は火曜(祝日の場合は翌日以降の直近の平日)および年末年始(12月29日から1月3日)で入場は無料。なお館名の「ブーン(飛行機のプロペラの音)」のbは小文字なので記載時には注意する。
(2) 本Blogのテーマである”用廃機”以外にも近隣で製造されている航空機の部品等も展示されている。最も大きなものはB-777のドアだろうか。アルミ塊から削り出す部品等の細かい構造を知るにはジックリと見ることができるのでお薦めだ。
【展示機】
(1) MU-2A (JA8626)。三菱MU-2Aの3号機(cn. MU-2-003)。本記事にてウンチクを語るためにいくつかのサイトなどを確認したが、結構間違っているようなので修正・見直しをしたJA8626の経緯を以下に記しておく。
<JA8626の経歴>(注1)
1964年09月29日 所有者:三菱重工業、定置場:記載なし、備考:新規
1965年02月11日 初飛行 (注2)
1968年06月03日 所有者:伊藤組農林、定置場:札幌飛行場、備考:記載なし
1969年06月09日 所有者:三菱重工業、定置場:三菱重工業小牧南工場、備考:記載なし
1975年07月14日 抹消、備考:航空の用に供さない(1975/07/10)
1975年 名古屋空港屋上に展示(注3)
1985年07月20日 名古屋空港ターミナルビル内航空宇宙館開館、展示開始(注4)
2004年10月31日 名古屋空港ターミナルビル内航空宇宙館閉館により展示終了
2005年04月01日 航空館boon開館、展示再開
注1:基本的な情報は私設データベース「JA Serach 日本の民間登録航空機検索データベース」と「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」(以下、ヒコーキ雲と略す)による。
注2:初飛行日はヒコーキ雲さんの記事の大部分では1965年2月11日となっていますが、一方で丹羽八十氏がまとめた故森脇敬忠氏コレクションの紹介記事では1965年2月11日撮影のタキシング中の写真があり、かつは飛行日は不明とされています。
なおMU-2の1, 2, 4, 5号機はいずれもJA番号を登録した2~4か月後に初飛行を行っていますので、3号機も「JA登録を終えたあとで初飛行を行った」ことでしょう。すなわち9月末のJA登録日から2~4か月後の初飛行は1964年12月から1965年2月ごろに行われたものと考えています(年末年始を含むので恐らくは後ろに伸びる形になったのではないでしょうか)。1965年2月初旬にテストランおよび初飛行を行ったという流れには無理がないものと考えています。
注3:名古屋空港屋上に設置された年月日は不明です。
注4:「東海3空港 日本のエアポート04」(イカロス出版、2011年)掲載の年表より。なおヒコーキ雲さんの記事中には屋内に展示された本機の写真(および搭載エンジンのチュルボメカ アスタズーエンジンの写真)の撮影日が1978年7月14日となっているものがあります。1985年7月20日の航空宇宙館開館前に屋内展示されていた(しかも屋上に展示してからわずか3年後)ことは考えにくく、撮影日が間違っているものと思っています。
注5:<豊山町HPの誤記>
2022年11月23日時点の豊山町の航空館boonのサイトには「三菱MU-2A3号機(昭和38年製)」と書かれていますが、本機は上述の経歴の通り1965年2月中旬ごろ(昭和40年初めごろ)に初飛行していますので「誤記」だと考えています。
では、なぜこのような誤記が生じているのでしょうか?その理由を次のように考えます。
かつて名古屋空港内に本機が展示されていたころの説明版には「MU-2シリーズの第3号機である本機は昭和38年9月、三菱重工業が独力で開発した戦後初の小型多用途機です。(当時の写真より転記)」と書かれており、「昭和38年9月」が「3号機」にかかるのか「三菱重工業が独力で開発した戦後初の小型多用途機」にかかるのかはハッキリとしない書き方になっています。史実を振り返ればMU-2の初飛行は昭和38年(1963年)9月14日なので「昭和38年9月」が「三菱重工業が独力で開発した戦後初の小型多用途機」にかかるのは明らかです。しかしながら、現在のHPの記述は、これを「MU-2の3号機が昭和38年9月に作られた」と誤って解釈しているものと思われます。
すなわち三菱MU-2A3号機は「昭和40年製」とするのが正しいものと考えています。しばらく文案を考えてから豊山町には記述の修正を進言したいと考えています。
写真1-1, 1-2, 1-3 MU-2Aの機首周辺にはエンジン等や説明パネルがあり、機体全体のスッキリした写真は撮影できない。2階テラス部分より限定された角度ながらも見下ろした絵を撮ることができる。(2022年11月12日撮影)
(2) 川崎ヒューズ369HS (JA9053) 中日新聞社で使用されていた”あきづる”号。機内に残る銘板より1970年9月30日製造のcn.6608だ。1970年10月13日に登録され、1985年12月24日付で登録抹消されている。
写真2 こちらも二階に上る階段の途中から見下ろしたアングルで撮影可能。(2022年11月12日撮影)
(3) ハンググライダー 黄色い羽布のハンググライダーが天井から吊り下げられている。”STEADY”と書かれているが(私はハンググライダーのことを知らないので)詳細不明。
以上