昭和58年(1983年)5月30日に酣燈社より発行された航空情報別冊「JASDFSabre Special」のp.15には、どこかのグランドの脇にあるようなF-86D 04-8185の写真が掲載されています。(写真は大人の事情で本Blogでは紹介できません。あしからず。)
「これは一体、どこで撮影されたものか」という情報提供を求めて、「指名手配」とした記事を掲載しておりましたが、この度、読者より情報提供がありましたのでお知らせいたします。
なお本記事掲載により、オリジナル記事は削除しました。また本件はヒコーキ雲さんHPの「質問箱(質問者は私です。念のため。)」Q020の3.項(2018年8月12日投稿)への回答にもなります。
さてF-86D(04-8185)はヒコーキ雲さんによると故 下郷松郎氏の記録として「浜松に展示」とされていたそうですが、「浜松基地内」にあったのか「地域としての浜松エリア」にあったのか、ハッキリとしたことが判りません。そこで国土地理院の航空写真サービスを用いて、「浜松基地」を上空から撮影した写真を数年分調べてみましたが、これに相当するような明確な機影は確認できませんでした(何かが置いてあるようだ、程度の識別ができる)。
【浜松基地に縁のあった読者からの情報提供内容まとめ(2021年09月28日入手)】
1. F-86D 185号機は確かに浜松基地北地区(元北基地)ゲート近くのグランドに展示されていた。
2. 浜松北基地にてゲートガードだったF-86F 82-7808号機をブルーインパルス の929号機(本当は12-7995号機だが機番を”92-7929”に書き換えた機体、現在も展示中)と入れ替えた時に、このF-86D 185号機はF-86F 808号機2と共に撤去され、スクラップとなった。
<Blog管理者からの注と見解>
F-86F 82-7808号機はヒコーキ雲さんのF-86Fの研究(全機写真・経歴)を見ると用廃後に「浜松?」とされており、その後、アメリカに返還されQF-86Fとなって1985年5月1日に撃墜されたことになっています。当時、返還する機体の本当の番号と書類上返還された機体の番号が異なっているケースがいくつか確認されています。浜松基地に「82-7808」と描かれた機体があったことは恐らく間違いはないと思いますが、この機体が本当に「82-7808」号機であったかどうかは、今ではもう判りません。また同様にアメリカに返還された機体が本当に「82-7808」号機であったのかは確認のしようがありません(書類上はそのようになっている、というだけです)。
<さらなる希望・お願い>
ヒコーキ雲さんに掲載されているF-86D/F(およびその他の機種)の写真は国内最高のアーカイブと考えていますが、浜松基地に展示されていた当時のF-86Dの185号機とF86Fの808号機の写真はヒコーキ雲さんにはありません。もし当時の写真をお持ちの方がおられましたら、どうかヒコーキ雲さんへ投稿をお願いできないでしょうか。
国内航空関連の歴史を少しでも後世に残すという視点でご検討いただければ幸いに思います。
ヒコーキ雲さんのHP
投稿先アドレス:ys45●hikokikumo.sakuraweb.com(●には@を入れる)
写真 文章だけでは寂しいので、小牧に展示されているF-86D(94-8125、84-8111と記入)の写真を貼りつけておきます。(2016年3月13日撮影)
以上
08May2020 公開
29Sep.2021 見直し更新(第1回目、読者からの情報を追記し、ブログ張り直し)