その歴史を「空の広場(仮称)」で紹介するとともに周辺の遺構を紹介することにより、周辺に残る施設等の観光資源化を図る。
【米子空港の歴史】(主としてwikipediaより転載、一部加筆)
1939年(昭和14年)3月 - 舞鶴鎮守府美保海軍航空基地の建設を開始。
1943年(昭和18年)10月1日 - 美保海軍航空隊として開設。
1945年(昭和20年)11月12日 - 連合軍接収(イギリス連邦占領軍、その後アメリカ軍)
1955年(昭和30年)6月12日 - 航空自衛隊立川基地(現:陸上自衛隊立川駐屯地)から「臨時美保派遣隊」が移駐。C-46型輸送機を配備。
1956年(昭和31年)2月 - 旧米子空港ターミナル施設完成。
1958年(昭和33年)5月 - 大阪(伊丹)への定期便就航。
1958年(昭和33年)9月15日 - アメリカ軍より日本政府に返還。
1958年(昭和33年)10月1日 - 航空自衛隊「美保基地」となる。「臨時美保派遣隊」を「輸送航空団」に改称、隷下にC-46型輸送機を配備する「輸送航空隊」を編成。
1964年(昭和39年)10月1日 - 全日本空輸による東京(羽田)への定期便就航。
以後、自衛隊・民間それぞれで発展。
【旧海軍の遺構】
(1) 掩体壕が周辺各所にある。
(2) 基地内にある掩体壕の見学は事前許可が必要となり、一般観光には適さないが、基地外周道路沿いにも掩体壕があり、こちらを観光スポットとして整備することを提案する。主たる説明は「空の広場(仮称)」で行い、掩体壕近くには駐車場を設けるだけとすることで、整備費用並びに爾後の管理費用逓減を図る。
写真1 美保基地外周には掩体壕が残っており、ここを観光資源とすることを考えたい。
【ゾウの檻の跡地】
美保基地(正確には隣接する通信所)は半島方面の情報収集基地でもあった。
写真2 「ゾウの檻」。既に撤去されており、塔やアンテナは存在しない。(2014年6月7日)
日本国としての立場と鳥取県の立場の両方を解説する。
県としては国の立場を支持しても良し、否定しても良しだが、明確に表明すること。
写真3 竹島上空を飛行する韓国空軍のF-15Kの編隊。(この写真は韓国国内にて宣伝パネルを撮影したもの)。
以上
【編集履歴】
04Jul.2021 公開
06Jul.2021 見直し更新(第1回目、内容見直し)