用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

【千葉県】市川市 大慶園の機体

<編集履歴> 05Mar.2021公開、28Nov.2023見直し更新(第4回目、F-104J胴体は56-8669)

 

<場所 Place> 〒272-0801 千葉県市川市大町358、大慶園

【公式】 大慶園 DAIKEIEN

<座標 Location>  35.7625N, 139.9693E

<訪問日Visit>  14Sep.2013, 07Apr.2019, 04Mar.2021ほか

<行き方 Access> 

(1) 北総鉄道北総線大町駅から北北西に直線で約1.5km、道なりに約1.9km、徒歩で25分程度。

(2) JR武蔵野線市川大野駅から北東に直線で約1.8km、道なりに約2.5km。

(3) バスも近くを走るが一時間に一本未満。原則として車で訪問する場所だが周辺は細い道が多く渋滞することが多い。

<解説General> 

(1) 市川市霊園と市川市動植物園の脇にある民間のアミューズメントパーク。24時間営業で入場料、駐車料金は無料。園内にはゲームセンターやスリックカーでのミニレース、バッティングセンターなどがある。展示機(機体の残骸)は主に駐車場脇に置いてあるが、小型ヘリコプターはゲームセンター内に展示されている。 

(2) 展示機の数の上では「ジェット戦闘機3機、民間ヘリコプター4機の合計7機を有する国内有数の展示場」と表現してもけっして間違いではないが、「航空機を見せるために展示」するのではなく「客寄せ用に・目を引くために(アイキャッチャーとして)展示」することを目的としているので、純粋なヒコーキファンとしてはとても複雑な気持ちになる施設だ。

(3) 国内で取り上げられることは少ないが、世界のヒコーキマニアの間では「唯一の空戦による被撃墜F-15がある場所」として有名な施設。しかしスポッティング主体のツアー旅行では基地訪問ルートから外れるため、外国人スポッターが訪問することは極めて稀。

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写真1 駐車場の展示状態。通常より大きめの横680ピクセルで張付ける。(2021年3月4日撮影)

 

【展示機Aircrafts】 

(1) F-15J (52-8846) コクピット部分のみ(機首レーダー取付部分から射出座席のあった場所の直後あたりまで)が展示されている。本機は1995年11月22日に発生した空戦訓練中のミサイル誤射事案によって世界で唯一”空中戦で撃墜された”機体だ。幸いなことに操縦者は墜落前に脱出し生還、2019年頃には防府北基地司令となられていた。被弾墜落した機体は海中から引揚げて原因調査が行われた。調査後にスクラップ業者に払下げられたものの一部を入手したのだろう。2000年頃から展示されている。当初は事故当時のオリジナル塗装であったが2002年7月以降2004年1月までの間に目を引く赤黒の塗装が機体右側に施され、これが褪色したまま現在に至っている。本機については別稿も参照のこと。

航空自衛隊 F-15J/DJの展示機 - 用廃機ハンターが行く!

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写真2-1, 2-2 世界で唯一、空戦で撃墜されたF-15の残骸(F-15J 52-8846)。機体右側には搬入後に赤黒塗装が施されたが、今では褪色が進んでいる。(上:2013年09月14日撮影)、下:2021年3月4日撮影)

 

(2) F-104J (46-8571) F-104Jの機首部分は2機分が置かれている。このうち駐車場にある赤い塗装の跡のある機体はコクピット内にラジオコールプレートが残っており「46-8571」と確認できた。元は浜松基地第1術科学校でスケルトン展示とされていた機体で、このため機体各所の外板が外されている。1968年8月29日には用廃となり、1970年頃にはスケルトン状態で教材となっていたという。浜松広報館の開館に際して展示することが検討され、収蔵予定機を収める仮設テント内に入れられたことがあったようだが、結局はF-1(90-8225)を充当したため、本機は不要となり廃棄されたという。その機体が廃棄物業者から大慶園へと流れてきたのだろう。

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写真3 こちらはF-104J(46-8571)と確認できた。外板が一部外されているのは航空自衛隊で教育訓練用スケルトンモデルとしていたため。(2021年3月4日撮影)

 

(3) F-104J (76-8697)  2機分あるF-104Jの機首部分のうち、園内の建物脇に立てかけてあるほうのコクピット内のラジコールプレートは計器パネルごと取り外されており、確認することはできなかった。しかしコクピット部分の後半部(シート取付部付近からインテイク前まで)は2013年訪問時にはF-15の残骸の隣に置かれており、その機体には「697」と記されていた。この二つのパーツにはそこそこの連続性があるため、同一の機体のものと考えている。

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写真4-1 園内ゲームセンター脇に立てかけてあるF-104J(76-8697?)の機首部と垂直尾翼を除いた尾部。(2021年3月4日撮影)

 

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写真4-2 「697」と描かれたコクピット後半部分。(2013年9月14日撮影)

 

(4) F-104J (56-8667)

 私が2021年訪問した際に駐車場に展示されていたF-104Jの胴体部分には機番を特定する手掛かりは見つからなかったが、2023年11月27日にヒコーキ雲のイガテックさんが再調査したところ、後部胴体部分に「F104J「SERIALNO. 3169」と打刻した銘板を発見。これにより(後部胴体は)56-8667号機であると考えられた。

 なお、航空自衛隊および台湾空軍でのF-104J/DJの運用時において、それぞれ前部胴体と異なる後部胴体を組合わせて運用した例が写真に残されている(試験飛行時のみかもしれないが)。このため、例えば上述の76-8697号機の前部胴体に56-8667号機の後部胴体をくっつけて「76-8697」号機として運用したことがあったのかもしれない。ただし、航空自衛隊運用時においては機首の3桁番号と尾翼の6桁番号が異なる機体の写真は残されているものの、「後部胴体を交換したことに伴い、尾翼の番号を書き換えた」という話は現在までに聞いたことがない(用廃機においては那覇基地に展示中のF-104Jの前部胴体と後部胴体は異なる機体であることが知られている)。

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写真4-3 この写真の機体の後部胴体部分に残る銘板の打刻より、後部胴体は「56-8669 cn.3169」のものと考えられたが、「前部胴体も同じ機体である」という証拠は見つかっていない。(2021年3月4日撮影)

 

(5) Bell 47G2-A (JA7352) 本機は2004年1月には屋外展示となっていたことが確認されている。その時には機体下面にJA7352と描かれていた。

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 写真5 スリックカーレースコース上にあるBell 47G2-A。(2021年3月4日撮影)

 

(6) Robinson R22 Beta (JA7845) いつから展示されたのかは分からないが2007年末には存在が確認されている。

写真6 RobinsonR22。(2021年3月4日撮影)

 

(7) Robinson R22 (S/N?) いつから展示されたのかは分からないが2014年頃から存在が確認されている。

(8) Robinson R22 (S/N?) いつから展示されたのかは分からないが2014年頃から存在が確認されている。

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写真7 機体番号不明のRobinsonR22。(2021年3月4日撮影)

以上