用廃機ハンターが行く!

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浜松広報館のリニューアルに想うこと、いくつか。

「浜松広報館展示航空機の移設作業に関する部外委託」の入札が3月2日に行われます。履行期限は3月31日。なお広報館の整備休館日が3月8日~12日に設定されているので、この間にリニューアルする可能性が高いと思われます。

その仕様書は2月15日現在、浜松基地HPの調達情報から読むことができます。

https://www.mod.go.jp/asdf/hamamatsu/choutatsu/koukoku/220kouhoukanisetu20210129.pdf

 

<展示内容変更の予定> 

 仕様書の内容から、今回のリニューアルによって航空機展示館内の内容を次のようにするように思えます。

1.ブルーインパルス展示コーナーを設ける。

歴代の使用機(F-86F、T-2、T-4)を並べ、ブルーインパルス解説コーナーを設ける模様。

2.防衛の最前線を見せる。

歴代の戦闘機(F-86D、F-104J、F-1、F-4EJ改)を並べて展示する。

3.航空救難について見せる。

先代の救難機(MU-2およびKV-107)について見せる。

4.戦後の航空機開発の黎明期に関する展示をやめる。

5.上記以外の歴史は展示縮小とする。

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写真1 今回のリニューアルでは右側の列に並ぶ5機(バンパイア、T-28B、T-1A、B-65、T-33A)と中段左端に見えるT-6およびS-62ヘリコプターは姿を消す予定だ。

 

<様々な想い>

 「今般のリニューアルによってすごく軽薄な上っ面だけの展示内容になるなぁ!」というのが私の感想です。

 「展示はこうすべき・こうあるべき」ということについては各人各様の想いがあることだと思います。また理想はあれど、無い袖は振れない(予算が無い)という事情もあるのが現実だと思います。本Blogではそれを承知したうえで、あくまで私個人の想いを綴ってみます。もっとも上手くまとめることができないので、とりあえず書き進めてみる、というところなのですが・・・。何かのご参考になれば幸いです。

 

 さて浜松広報館。「広報館」という名称が付いているものの実態は「一国を代表する空軍博物館」ですが、今回はその誇りを捨てて、単なる「ショールーム」に堕ちたと感じがしています。(自衛隊は軍ではない」という方もおられますが、字面の話はここではしない。)

 通常(世界的な視点で見れば)一国を代表する空軍博物館はその国の航空文化の程度を示す施設でもある。今回のリニューアルでは「広報の花形ブルーインパルス!」「防衛最前線の戦闘機!」「災害派遣でも頑張ってる航空機!」の3本立てが極めて強調された形になったように思います。「広報」という点だけに注目すれば「目的に沿った形」なのでしょうけれど、空軍(航空自衛隊)を構成する教育体系や自力で国産戦闘機を開発してきた歴史をないがしろにして良いのだろうかと思うのです。

 

<教育体系の展示について>

 教育体系(パイロット養成課程)に関しては吊下げられたT-34/T-3は残されるようなので「プロペラ小型機(T-34/T-3)→初等・中等ジェット練習機(T-4)→高等ジェット練習機(T-2)・戦闘機(各種)」で説明できないことはないのだけれど、ブルーインパルス塗装機(T-4およびT-2)を並べて航空自衛隊パイロット養成課程を説くのは少々無理があるように感じますね。今回T-6とT-33Aの機体を展示から外すことにより、「どのようにしてパイロットを養成してきたか」という「歴史を伝える」部分が無くなりますね。

 

<国産機の開発史の展示>

 今回のリニューアルでは戦後の航空機開発できなかった空白期を経て、バンパイヤとT-28Bを購入し、T-1を開発したという流れを無くす(隠す)てしまうので「国内航空機開発の歴史」「航空機技術の変遷」が見えなくなりますよね。MAP供与のF-86F/D、超音速のF-104J、なんでもこなせたF-4EJ改に挟まれ、F-1/T-2の意義って何なのさ?という気がするのです。戦後航空の黎明期を飛ばして「MU-2→T-2/F-1 (→T-3)→T-4→F-2モックアップあり)」という流れにするつもりなのでしょうか。YS-11FCは展示されそうもないけれど、航空自衛隊を支えてきた日本の航空技術の発展史の基礎となる部分を削っちゃった形になるので、いよいよ「足元のない、上辺だけの展示」という感じがするのですよね。

 

<なぜ航空救難を残すのか?>

 私自身の心の中では「国産機開発の歴史」を展示する方が「航空救難」を展示するより重要だと思っています。でも何故「航空救難」を展示するのでしょう?私個人の勘ぐりですが、「災害派遣に利用される」ということを見せたいがために行うのではないでしょうか。MU-2の脇、F-86Dの後ろに不自然なスペースがありますね。ここで「災害派遣」のパネル展示でも行うのではないかと思うのですが・・・。

 

上述の三件より、「今回のリニューアルでは歴史を排除し、上辺だけの展示になるなぁ」と感じるのであります。(繰り返しですみません。そのうち文書をもう少しうまくまとめられるよう努力します)。

 

<非展示機の扱い>

 今回の入札に先立ち、昨年11月頃の入札で予備調査が行われました。

 その際の仕様では今回のリニューアルで移動させられる航空機は屋外係留とする予定でしたね。これには私を含む一部の航空機愛好家が反発し、何とかしてくれという嘆願書を関係各部署等に送付するという活動を行いました。

 そのかいあってか今回の仕様書では「バンパイアとT-6については」10411格納庫に移動されることになりました。しかし残る機体については「官側が移動する」ことは記載されていますが、「どこに移動する」かまでは明確になっていません。場合によっては屋外放置もあり得るというのが現状です。

 

ブリュッセルの王立軍事歴史博物館の例>

 ファントムやT-4を追加しても、展示機の合間をギッチギチに詰めれば今のスペースでも入らないことはない。ベルギー・ブリュッセルの王立軍事歴史博物館を参考にしてみよう。文字通り「翼が触れ合わんばかり」に機体が置かれているだけでなく、数機はポールを立てて「三次元スペースに立体的に」詰め込んである。地震の多い日本で、かつ現行の広報館の強度で三次元配置による展示が可能かどうかは判らないが、「後世まで機体を保存して見せる」という考えがあれば、こんなことも出来るという実例だ。逆にやる気が無ければスカスカの展示館、「”広報”館なのだから置いてありゃいいんだろ?」的な上っ面だけの展示館となる。

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写真2 ブリュッセルの王立軍事歴史博物館の航空機展示館の様子。詰め込み過ぎて見学者の入るスペースが少ないのが難点でもあるが、手続きを経たリサーチャーに対してはジックリと見せてくれる。手に取って実物を見せるという教育の原点を知っているかどうかが対応に現れるのだろう。(2019年6月18日撮影)

 

 別項「シシマルはどこに行く?」の中で書きましたが、そもそも「情けないけれど自国で歴史的機体を保存できるとは私は考えていないのです・・・。 」「いっそ本機はアメリカのスミソニアン博物館かアメリカ空軍博物館に寄贈した方が「後世に遺る」のではないかと思うのですヨ。」と書くくらい国内のほとんどの航空博物館に期待をしていません。というか「期待させてもらえない」のですよね。

参考: ”シシマル”はどこに行く? - 用廃機ハンターが行く!

 

さて、どこに落としどころを持ってきて本稿を締めようか?

(ううむ、やっぱり言葉がみつからない・・・。見つかったら本稿の改訂を行います。)

 

以上

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15Feb.2021 公開