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【航空自衛隊】 S-62は何型?

<編集履歴> 27Nov.2020公開、07Mar.2023見直し更新(第3回目、小牧基地のS-62の銘板写真を追加)

 

 航空自衛隊で1963-1983年の間に使用された救難ヘリコプターS-62。
コイツの自衛隊型式はA型かJ型か、それとも何もつかないただのS-62か?というのが今回のお題です。

 

【発端】
 まずは話の発端となった今月号(2021年1月号No.817)の航空ファン誌を見てみましょう。「航空救難団 新田原救難隊」の記事p.14左上4行目には「S-62A」と記されています。また「航空救難、災害派遣に奔走した新田原救難隊の60年」記事中、p.54左のコラム下から8行目と5行目にも「S-62A」と記されていますね。これらの記事は恐らくは(新田原)救難航空隊の公式資料を元にして執筆されているものと考えるのですが、これまでの「ヒコーキマニアの一般常識」としては航空自衛隊に配備されたのは「S-62A」ではなく、「S-62J」ですよね。

すごく違和感を感じたので確認してみました。

 

【確認結果】

まずは国内に3機が残る展示機の状況をチェック!

<浜松広報館展示機 53-4774>
 浜松広報館にかつて展示されていた機体のコクピット左側脇には「S-62 53-4774」と記されています。ここにA型かJ型かの形式は記入されていませんが、解説板には「S-62J」と記載されていましたす。なお私自身は解説板の写真を撮っていませんが、ネット上に投稿されている画像から解説板の記載が「S-62J」であることを確認しています。本機は残念なことに2021年3月に格納されてしまったため、見ることはできません。

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写真1 浜松広報館の機体説明板には「J型」と記載されていた。(2018年8月13日撮影)

 

小牧基地展示機 53-4775>

 撮影時には機首左側に機種およびS/Nの記載はなかった。機体解説板には単に「S-62 救難ヘリコプター」としか書かれていない。銘板を確認すると型式は「S-62」と打刻されています。”A”でも”J”でもありません。ただの「S-62」です。機体解説板に書かれた「S-62」は「銘板通りで正しかった」ということですね。ついでに製造番号の打刻は「M62012」となっていました。

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写真2-1 小牧基地正門脇のS-62。(2008年10月4日撮影)

 

写真2-2 機体銘板の型式欄には「S-62」と打刻されている。(2023年3月5日撮影)

 

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写真2-3 解説板には銘板の型式通り「S-62」と記載されていた。(2016年3月13日撮影)

 

美保基地展示機 63-4776>
美保基地展示機前の看板には「S-62A」と記載されています。

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写真3-1 美保基地にあるS-62の解説板には「S-62”A”」と記載されている。(上:2007年5月27日撮影、下:2014年6月8日撮影)

 

【文献上の表記の確認】

東京・新橋の航空図書館にていくつかの古雑誌を確認していますが、体系的にまとめていません。

 

【ネット上での表記の確認】(2020年11月27日確認)

 いくつかのサイトでの記載状況を確認した結果は以下の通りでした。

<インターネット航空雑誌ヒコーキ雲さん>
国内の航空史に強い「ヒコーキ雲」ではS-62は取り上げられていない。

<Go! Navyさん>

Go! NavyさんのBBSII GalleryではH-52シリーズの中で「S-62J」としている。

<Flyteamさん>

機材一覧の中では航空自衛隊のS-62は全て「S-62J」となっている。

<航空自衛隊>

S-62Aの表記で掲載している。

 

【考察】
 本件については次のような仮説を考えました。

(1) 航空自衛隊では三菱重工製の「S-62A型」仕様機を導入し、航空自衛隊での名称として「S-62」(あるいはS-62J)を付与した。(注:「航空自衛隊では1963年から1968年にかけて9機の三菱製S-62AをS-62Jの名称で導入した」とする記述もネット上の随所に見られるが、その「根拠」となる文書が見つからない。)

(2) 航空ファン誌には「S-62A」との記載がある。これは記事を書く際に参照した自衛隊資料に「S-62A」と書かれていたからだと思う。しかし、その資料の記載自体の信憑性が欠けているように思う。自衛隊で当初参考とした資料は導入初期に作成されたものであったため「S-62A」のままであったのではないだろうか。

(3) 航空ファン記事を作成した際に参考とした資料の中には制式名称を付与した際の文書、すなわち「導入したS-62Aのことを航空自衛隊ではS-62(あるいはS-62J)と命名する」という定義づけの文書(部隊使用承認や通知、達あるいは導入に際しての公式発表資料など)が欠けていたのではないだろうか。日本語や日本の役所資料に多く、近年の各種マネジメントシステムに慣れた目で見ると信じられないようなことではあるが、当時は「自衛隊機の名称をS-62(もしくはS-62J)とする」という定義づけを行ったという事実の記載が存在しなかったのではないか。このため「自衛隊資料を元にして記事を書く」と「S-62Aを導入した」となった。またこの資料を元にして航空自衛隊のHPを作成しているため、「公式サイトでの表記はS-62A」となってしまっている。

 蛇足だが私自身はかつて国内企業に勤務しており、ISO9001/14001の認証取得業務に携わったことがあるが、その際に「社内用語」の統一性がなく「社内の意思統一」「社内用語の表現統一」に大変苦労した経験がある。同様の「なんとなく分かっていれば良い(しっかりと定義を定めなくても分かるから良い)」という状態だったのではないだろうかと思う。

(4) 自衛隊内には業務として隊史をまとめる方がおられるだろうけれど、基本的には史料収集のシロウトが「仕事として押付けられたのでやる」「表面的にまとめる」状況であり、「上司はまとめた結果を精査しない(精査する力がないため、できない)」のだろうと考える。これは一般企業でも同じだろう。部下が集めてきた過去の記録を異なるソースと照らし合わせて真偽/正誤を確認するという作業は相当な力をいれないとできない話です。文章上の間違い(誤字脱字、てにをはの間違いなど)が無いかどうかを確認するのがせいぜいというのが実情だと思います(自衛隊航空史に関しては外部のマニアの方が詳しい場合があるが、外注依頼する予算が無いため外部に助けを求めることもできない。企業の場合(社史編纂時など)では外部の経済評論家や投資コンサルの方が自社の人間よりもはるかに詳しい情報を集めていることもある)。

 よって「隊史」などの「公式資料」は「鵜呑みにはできない事象が含まれている」ことに留意すべきと思います。ついでに書くと、一度「公式資料」を作ってしまうと、その中に記載された間違い(誤認を含む)を正すことは大変困難です。

 蛇足話ですが「昭和のロケット屋さん」(エクスナレッジ、2007年)という本の中には「あの(国内ロケットに関する)歴史編纂は**さんが"造ったもの"だからねぇ。ホントの歴史はこっち」というような話がでてきます。歴史資料は鵜呑みにしてはいけないこともあるという良い例かと思っています。

(5) 「本機を***と命名する」という宣言(定義づけ)をした文書が見つからないと後世のリサーチャーはどちらの表記にすべきか困っちゃいますネ。
2020年11月15日から「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」さんのサイトでは陸上自衛隊のHU-1B/HがUH-1B/Hへと名称変更された経緯が判らない、誰か知らないか?と問題提起してますが、これも同種の問題ですね(本件は1992年に名称変更している。なんらかの発表があったと記憶しているけれど、その変更に係る文書を今のところネット上では見つけていない。2021年2月に新橋の新橋の航空図書館に行って、古い航空雑誌を眺めてみたが、当時の航空情報誌、航空ファン誌、航空ジャーナル紙、エアワールド誌の国内ニュース欄に本件は記載されていない。しれっと翌年3-4月号の自衛隊特集の中で表記がHU-1からUH-1に変わっているのだ。唯一、鳳文書林出版の「'93 日本航空機機全集」p.601に「名称は92年にHU-1HからUH-1Hに変更された」との一文が確認できた)。

 なおUS-2の01号機と02号機は「US-1改」として製造されたため、機体銘板や整備記録には「US-1改」と記載されているそうです。しかし、これはTRDIの試験が終了した際に「本機をUS-2とする」旨の発表があったと記憶しています(ただし、これも明確な定義づけの文書を見つけていない)。


・・・と考えるのですけれど、ホントのところはどうなのでしょうね(ここまで書いてきて、そう言うか?笑)。

 

 まとめとして、従来S-62"J"型としてきた機体を突然S-62"A"型と記載した理由なんぞを、いつかどこかで一筆入れておいていただけると嬉しいな~と雑誌側には希望する次第でありますヨ。

 

以上