用廃機ハンターが行く!

アジア各地に転がる用廃機を見に行くためのガイド(?)

このBlogについて

※ 2022年8月29日夜にウッカリ全ての文書を消去してしまいました。以下のイントロ文は新たに書き直ししたものです。2022年9月19日に見直し更新実施。

 

【目的】

 このBlogは主に東南アジアから極東の各国に展示されたり放置されている「飛べない軍用ヒコーキ」を訪ねる際の”ヒントを提供する場所”として作成しました。また一部の国・地域では航空ショーの様子やスポッティングガイドも記載し、皆様が現地を訪問される際の一助となるようにしています。

 ここでは読者の皆様が現地に辿り着くための情報(あくまでヒント)を提供することに主眼を置いていますので、展示機の由来や背景、機種解説や当該国での運用実績・エピソードなどは基本的には記載していません。これらの詳細は別途ネット検索を行って、そのスジのリサーチャーのHPなどを参照してください。

 

【ご紹介する範囲】

1. 本Blogでは主に日本国内および東南アジアの各国に展示されている航空機を訪問するための情報を提供します。また「番外」として私自身が訪問したことのあるその他のエリア(欧米やオーストラリアなど)の博物館なども少しばかりご紹介します。

 なお、これらの国々やエリアにある全ての展示機を網羅するサイトにするつもりは毛頭なく、あくまで「訪問したことのある場所の紹介」と「今後、機会があれば私自身が訪問したい場所の情報(事前調査結果)の共有」が主体です。情報提供のみで私自身が未訪問の場所には都度、その旨を記してあります。

 

2.紹介するのは次の国やエリアです。

2-1.極東、東南アジアから中近東;

Abu Dhabi、Australia、Cambodia、India(デリーのみ)、Indonesia、Laos、Phillipines、Malaysia、Singapore、Vietnam、中国、香港、台湾、韓国、日本 

2-2.番外編として紹介する欧米諸国;アメリカ、イギリス(予定)、フランス、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、ロシア、オーストラリア

  

3. 紹介する航空機の種類は主に軍用機です。

 私自身の興味の対象から軍用機の展示場所をメインに紹介します。軍用機であれば固定翼機も回転翼機も問いませんが、民間機(特に小型機)はあまり取り扱っておりません。政府機関(警察・消防など)の機体はケースバイケースです。予めご了承ください。

 

【その他】

 本ブログ記事はスマホ閲覧には対応してません。PCで閲覧される場合には右側に表示されるカテゴリー欄から国名(国内の場合には陸海空自衛隊か地域)を選択してみてください。スマホの場合には「用廃機」と「機種名」あるいは「展示場所名」などで検索してみてください。

 以上  

【青森県】陸自 八戸駐屯地の展示装備品

<編集履歴> 19Apr.2024公開、20Apr.2024見直し更新(第1回目、アクセス手段追加、その他見直し実施)

 

<場所 Place> 〒039-2295八戸市市川町字桔梗野官地 陸上自衛隊八戸駐屯地

【公式】 八戸駐屯地 オフィシャルサイト

<訪問日Visit> 13Apr.2024

<行き方 Access> 

(1) 青い森鉄道陸奥市川」駅より、正門までは道なりに約1.5km、徒歩約20分。

(2) 八戸の中心部にある中心街(六日町バス停、40.5091N/141.4915E)から多賀台団地行(K68系統)のバスに乗り、「陸上自衛隊前」で下車。所要約30分、320円。概ね30分に一本程度の頻度で運行されているが、土曜日の8時台には一本しか便がない(2024年4月時点)。

(3) 基本は車で訪問する場所だ。

<解説General>

(1) 第4地対艦ミサイル連隊、第5高射特科群、第9後方支援連隊、第2対戦車ヘリコプター隊、第101高射特科隊、第9施設大隊、第384会計隊、第38普通科連隊(一部)、八戸駐屯地業務隊が駐留している駐屯地。大雑把にいえばAH-1S/OH-1と地対艦ミサイル、HAWKミサイルを配備した駐屯地。滑走路(07/25)の北側が陸上自衛隊駐屯地、南側が海上自衛隊八戸航空基地となっている。詳細は例によってWikipediaを参照のコト。

(2) 例年4月中旬ごろに創立記念行事を行い、駐屯地が開放される。ヘリコプターや戦車などの用廃装備は、正門を入って右手方向にある防衛館の周辺に置かれている。正門やメイン会場からはやや離れているので見学者は少ないが、それでもパラパラと訪れる。装備品だけの写真を撮る場合には、見学者がいなくなるまで気長に待とう。

(3) 駐屯地行事のエリアからヘリコプターの離着陸は見ることができない。また訓練展示エリア(40.5544N/141.4534E)が狭いので、ここに離発着したり、ラペリングを行うことも無いようだ(ラペリングはテニスコート(40.5542N/141.4550E)付近で行う模様)。

(4) 「中心街(六日町バス停)」は本八戸駅から約900m離れた街中のバス停だ。「八戸中心街バスターミナル」と呼ばれることもあるが、都心部のバスターミナルのようにビルの一角にバスがやってくるワケではない。八戸中心部は一方通行路となっているので、その周囲にいくつかのバス停が分散している。K68系統バスが停車するのは「六日町」バス停だが、バス時刻表を見ると「三日町」となっている。一方でバス路線図を見ると「三日町」は通過しないことになっているのだな。「初心者殺し」の状況なので、利用する際には事前にバス停の位置とバスの時刻を十分に確認しよう。なお本記事のコメントでは「南部バス」と記載されているが、このコメントを得てから調べたところ、2024年4月時点では「市営バス」にて運行されている。

写真1 用廃ヘリコプター群。後ろに見える建物は防衛館だ。(2024年4月13日撮影)

 

【装備品等の展示物】

(1) OH-6D (31178, 40.5520N/141.4516E)2009年4月に存在していた機体。銘板とコクピット計器盤に残されたラジオコールから31178号機であることが確認できるが、テールブームは31201号機のものだ。機体左側を見るとエンジンマウント部とテイルブームのSNが異なっていることが判る。撮影訪問時には見学者が居たため、機体左側(逆光で真っ黒)を撮るのを後回しにして他の装備品を撮っているうち、すっかり忘れて撮らずに帰ってきてしまった。ま、いいか・・・。

写真2(2024年4月13日撮影)

 

(2) TH-55J (61336, 40.5519N/141.4516E) 2003年4月以降に存在している機体。銘板の存在は確認していない。機体にアスベストが残ることが判明し、2019年度内に石綿部品の除去・飛散防止処置実施した。全国各地の駐屯地に展示されていたTH-55Jは全て廃棄されてしまったが、陸上自衛隊が直接管理する展示機で全国に残るのは本機のみという、貴重な存在になってしまった。だが、保存程度は良好とはいえず、近い将来AH-1Sと置換されるのではないかと危惧している。なお民間では所沢航空発祥記念館の収蔵庫とOld Car Center Kudanに各1機が残存している。

・本Blogでの参考記事;

陸上自衛隊 TH-55Jの展示機 - 用廃機ハンターが行く!

写真3(2024年4月13日撮影)

 

(3) UH-1H (41662, 40.5518N/141.4516E)、2003年4月には存在していた機体。銘板が残されており、SNを確認できる。

写真4 UH-1Hのテールローター後方に見える鉄骨は、旧第9飛行隊の格納庫の構造部で、八戸空襲の際に銃撃された弾痕が残る(2024年4月13日撮影)

 

(4) UH-1H (41718, 40.5486N/141.4514E) 2014年4月14日以降のGE-Pro画像に存在する訓練機で、一般公開時であっても見ることはできない。

(4) 61式戦車

写真5 61式戦車。一週間後に訪問出来たら、満開の桜の下になっていたハズ。(2024年4月13日撮影)

 

(5) 74式戦車

写真6 特記すべきことが無い・・・と思われる74式戦車。もともと私は陸自装備品には詳しくないのだ。(2024年4月13日撮影)

 

(6) 60式自走106mm無反動砲

写真7 全国の多くの駐屯地で見ることができる60式自走106mm無反動砲。(2024年4月13日撮影)

 

(7) 60式装甲車

(8) 105mmりゅう弾砲

(9) 88式地対艦誘導弾(SSM-1の弾体) (40.5549N/141.4539E) 隊舎前にモニュメントとして展示れている。

写真8 88式地対艦誘導弾(弾体)を用いたモニュメント。(2024年4月13日撮影)

 

(10) 改良HAWK弾体 (40.5559N/141.4520E)  白色弾体1本のみがモニュメントとして展示されている。2024年4月13日の訪問時には、私はこのモニュメントの存在に気づいておらず、見てはいない。どうやら建物一つ分”非公開エリア”にあったようで、過去のXへの投稿を探しても、これを撮影した記録はみつけることができなかった。X上の隊員や活動紹介写真の後方に写っていることがある(なんだか心霊写真のような存在だな)。

 

【その他】

(1) 防衛館近くには昭和20年7月14日の八戸空襲の際に受けた銃撃の跡が残る旧第9飛行隊格納庫の構造部が移設展示されている。

写真9 数多くの弾痕が残る旧格納庫の構造部分。(2024年4月13日撮影)

 

(2) 2024年4月13日に訪問した際には展示装備品の近くに用廃トラックなどがズラリと並べられていた。並べられている装備品の種類や数は訪問時期によって異なるが、記録として押さえておきたい。

写真10 ズラリと並んだ用廃トラック群。(2024年4月13日撮影)

 

【余談】

<その1>

 2024年訪問時には普通列車乗り放題の企画切符「JR北海道&東日本パス(7日間有効)」を利用して、金曜日の一日をかけて東京から八戸へ移動。土曜日は昼まで駐屯地祭を楽しみ、郡山まで南下。日曜日には郡山駐屯地祭を昼まで見てから東京に戻るというコースで移動した。片道分だけでモトが取れる切符なので、学生さんや時間のある方、お金を使いたくない方にはお薦めだ。

<その2>

 防衛館には八甲田山雪中行軍部隊遭難に関する資料が展示されている。個人的には見学者閲覧用に無造作に置かれていた「陸奥の吹雪(閲覧用の写本か?)」(第五普通科連隊編、昭和40年6月23日刊)をじっくり読みたかったと思う。

 新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」や、これを元にした映画「八甲田山」が有名だが、これはあくまで史実を元にした”小説”と、その”小説を映画化したもの”だ。1902年(明治35年)1月に八甲田山中で雪中行軍訓練中の部隊210名中199名が死亡した事故があった、という点だけを押さえておけば、まぁ、良いかとは思う。「八甲田山死の彷徨」を読み、また、これを元にした映画「八甲田山」を観て興味を持ったなら、「八甲田山 消された真実」(伊藤薫山と渓谷社)や、この「陸奥の吹雪」その他の「本当の記録」も目を通していただければと思う。

以上